たそがれどきの女神
ここ数年、いろんなことがしっくり来ていなかった。
家庭のこと。
仕事のこと。
そして、自身の体調のこと。
キッカケは、あるドデカイ仕事。
これに孤立無援で向かっている期間が意外と長引いて、いろいろが崩れていった。
でも、なんとかしなければならなかった。
(この辺の話は、現在休刊中の「ノンキャリ出世」に記しますね)
ある夜。
その日も大した意識なく近所のスーパーで夕食を物色し、一番短かった列に並んでレジを済ませようとしていた。
「久しぶりですか?」
レジにいた女性が、そう声をかけてくれた。
言われて気がついたのだが、たしかにそうかも知れない。ずっと遅くまで仕事をしていたから、ここで買い物をしたのは久しぶりだったかもしれない。
「そうかもね」
緩んだ声色でそう返せたのは、それが素敵な女性だったからというのは間違いなくあるものの、それと同等に、自分を認知してくれている人がいたという安心感があったからかもしれない。
こんな素敵な人がいたんだ…。
声をかけてくれた女性店員さんのお顔をしっかりインプットし、その日以降は、彼女がいる列を選んで並ぶようになった。
だからといって、大した会話を交わしたわけではない。
おつかれさまですと言葉をもらい、私は軽く彼女を笑わせる。
なにを言ったのかは覚えていないが、私のひと言に見せてくれる笑顔が、疲れた心をやわらかく溶かしてくれる。
そんな日がしばらく続いた。
たぶん、半年も経っていないと思う。
別れは唐突に訪れた。
「来週で辞めるんです」と、彼女はそう言った。
それまでに来てくれてよかった、と。
辞めることを伝えることが出来てよかった、と。「どうして?」と、咄嗟にそう聞いてしまいそうになったが、そこまで踏み込んでいいのか躊躇いがあった。
代わりに聞けたのが「何年勤めたの?」だった。
たしか二年と言っていただろうか。
別の店舗から移ってきて、同じ会社なのに風情が全然違うから、最初は苛立つことが多かったけど、ようやく慣れてきたところだったと、彼女はレジをピッピッとやりながら、そう教えてくれた。
体調を崩していることも、そのときに知った。
それは、そんな身体で頑張ってたのかと、頭が下がるような大病だった。
シンドイだろうに、いつも癒しをくれていたなんて。と、心が傷んだ。
そんな状態で俺を癒してくれていたなんて、女神じゃないか!と、そう思った。
翌日、私はちょっとしたプレゼントを持ってそのスーパーに寄り、いつものように買い物をして、いつものように彼女の列に並んだ。
そして会計のあとにそれを渡し、ひとつのお願いをした。
ちょっとした文章を書いたので、読んで欲しい、と。
自分のことをあまり知らない人に読んでみてもらいたいのだ、と。
快諾してくれた彼女とLINEを交換し、自作の散文を彼女に送った。
彼女のLINEをゲットするための姑息な手段とも云えるが、他人に読んでもらいたいと願ったのも事実で、この事情も、いつか「ノンキャリ出世」に書きますね。
彼女がスーパーを退職してしばらく、他愛のない身の上話などをLINEでしたものの、文章を読んでくれた気配はなく、やがてLINEは既読スルーにされたま、月日が流れた。
既婚で家庭のある方だったので、迷惑だったのだろうなと、私は深追いすることなく、時の流れに身を任せていた。
彼女のいないスーパーは、急に魅力のない場所と感じられるようになっていた。
行かないことはないが、行けば彼女のことは思い出してしまうし、思い出せば、その後どうしているのだろうかと心配をしてしまう。
それもあって、スーパーなど他にいくらでもあるさと、そこへ行くことはなくなった。
それから半年。
私のことを覚えてますか? と、LINEが届いた。
入退院を繰り返してて、原稿は読めず、LINEも出来ずにいたというお詫びを伴ったメッセージだった。
女神さまだぞ!忘れんもんか!と、ここまで書くのは控えたが、もちろん覚えてるさ!と、軽い感じでそう返した。
大変だったんだね、読むのもLINEの返信なんかも、いつでもオッケーだよ、と。
それから数日、時間や、日を跨ぎつつ、ゆっくりとLINEのやりとりをしている中で、初詣の話から神社の話になった。
私は自分の守護神が日本武尊に違いないと知ったときから、急に神様が自分に優しくなったという話をした。
彼女には彼女なりに、私の日本武尊の逸話と同様に"なにかを感じるエピソード"があったらしく、そのシンボルとも云える東京にある神社に行ってみたいという。
そんな会話がテンポよく続いたあと
「明日からまた入院だから、いろいろ準備するのでまたね」
というメッセージが届いて驚愕した。
繰り返していた入退院は、まだ続いていたのか、と。正月だからこその一時帰宅だったのか、と。
そしてきっと、もしかしたら、これが最後の正月だからの一時帰宅だったのではなかろうか、と。
「その神社。いつか御案内したいから、必ず帰ってきてね。君は俺の女神さまだったんだからね」
無心で、そう打ち込んだ。
「ありがとう。楽しみにしてる」
そんな返信が現実になることを、心の底から祈る2025年の幕開け。
明日も彼女の健康を祈願しに行こう。