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ある一日

10月22日(火)

新大阪駅に着く直前、着信があった。Kからだった。このあとの集合場所や時間のことかなと思い、「ごめん!いま新幹線💦着いたら連絡するね」と返しておく。ホームに到着して間もなくスマホが震えた。

「あ、ごめんね。いま着いたよ」
「ちょっと落ちついて聞いてほしいんやけど、Mが今朝、亡くなったって」

まさにそのMに会うことがこの日の目的だった。長らく病床に伏せっており、緩和ケアに入ったと聞いたのが少し前。Kからは「誕生日までもたないかもしれない」と伝えられ、ただでさえ予定を1週間早めていた。

言葉が出なかった。涙も出ない。実感がわかなかった。その後、時間を合わせて少しだけKと合流した。今後の流れを少し聞いて、帰りの新幹線に乗った。お通夜は明後日だという。

遅くに帰宅したら夫はいつものスペースで目をつぶっていた。仕事が忙しくなると夫は布団で寝ず、ソファで数時間の仮眠をとって作業をしたあと、早朝に家を出る。今日のことはLINEで伝えていたが、直接話を聞いてもらって気分を落ちつけたかった。しかし疲れが滲む夫の顔を見ると起こす気になれず、ため息をついて寝る支度をした。生理が来ていた。身体が重かった。

10月23日(水)

生理痛で起きられない。申し訳ない気持ちで職場に連絡して休みをもらう。そのままお昼すぎまで寝た。水分補給のため布団から出て冷蔵庫を開けた瞬間、さっきまで見ていた夢の一場面を思い出した。

Mが夢に出たのだった。私の家でロイズのチョコがけポテチやら、たい焼きやら色々なものをおいしそうに食べていて、夢の中の私の頭からはMが亡くなった事実は完全に抜けており、なんだかうれしくて(もっと食べな食べな!)という気持ちになった、ことまでがふわっとよみがえった。

今日はゆっくり休もう。

10月24日(木)

夕方、喪服姿の同級生数人と待ち合わせて品川駅から新幹線に乗る。複数人いると間がもつし、Mとの思い出を語りながら笑いも出る。一人じゃなくて良かったと思う。それでも新大阪駅が近づいてくるにつれだんだんと言葉少なになっていく。

お通夜が始まる1時間前に葬儀場に着いたにもかかわらず、Mの同級生たちがすでにもう何人も来ていた。泣きはらした目で「お疲れなあ!」と口々に言われ、ぶわっと涙が出る。同級生たちに促されて中へ入ると、Mの夫がまっすぐにこちらを向いて「来てくれてありがとう」と一礼した。うまく目を合わせることができない。奥の方ではMの子どもが大人にだっこされていた。

M。ほほえんでいるMの写真。私はMのLINEのアカウントで見ているから、これが夫と子どもたちとの家族写真の一部をトリミングしたものだと分かる。でも黒い額縁に収められたそれを見ると、本人はもしかしてどこか遺影用にとの思いもあったのだろうかと感じた。穏やかでやさしい笑みだった。

嗚咽を漏らして泣く同級生たち、Mの親戚たち。どうしても気になって喪主席を見ると、Mの夫と両親、弟は涙を流していなかった。これまでのお葬式でも似たような光景を見てきたような気がする。そちらの側の気持ちはまだ私には知りえない。だから心が痛む。

泣いてずっしりと重くなった頭と身体のままとんぼ返りで新幹線に乗り込む。やはり一人じゃなくて良かった。

品川駅に着く30分前、通路を挟んで向こう側に座っていたサラリーマンのうち一人が突然、床に嘔吐した。それまでボトルワインを飲んでいたので警戒はしていたが。気持ち悪さ、苛立ちでよく分からない感情になって帰路につく。夫は今日も仮眠中。悶々とした気持ちのまま眠りにつく。

10月25日(金)

仕事へ。午後にLINEを見ると、告別式に行ったメンバーたちから無事に終わったと連絡が入っていた。四十九日までは実家に遺骨を置くという。今後のことは大阪にいる同級生が小まめに教えてくれる。

溜まった業務をこなし、疲れて帰宅。夫から「今日は付き合い(飲み会)で帰れないかもしれない…」と連絡が来てふつりと何かが切れる。ずっとずっと溜め込んでいたやるせなさ、寄りかかりたさ…。いや、向こうも本当にギリギリのところで頑張っているんだと分かっている。けれど寂しかった。ただただそれだけだった。

10月26日(土)

別件の仕事で外出。移動時間が長いので本を持っていく。吉本ばなな『キッチン』、何の気なしにカバンに入れたが、Mのことと遠く重なる部分があって、読んでは止め、また少し読んでは止めて、そうして結局読み終えた。

夫から、18時半には会社を出られるので今日は家でご飯が食べられると連絡がある。夫に対してはなんだかずっと微熱みたいな怒りが継続しており、それは明らかにここ数日、寄り添ってもらえなかったという気持ちに起因しているものだと分かっていて、でも本当はそれが言いがかりや八つ当たりに近いものだという自覚もあり、自分はかなり余裕のない状態に陥っていると認めた。

ひと足先に帰宅して夕飯準備。少しして夫も帰宅、やはりどこか安定しない腹立たしさがあって塩対応をしてしまい、立て直そうとしても明らかに様子のおかしい態度しか取れない。食事中も気を遣ってちょくちょく話しかけてくれるが、ぎくしゃくしたまま食べ終える。

自分は本当に勝手な人間だなと思う。目の前のすれ違いがどうしても耐えられない時がある。人と人は合わなくて当然。100の理解を求めるのがお門違い。分かっているはずでも気持ちが受け付けない時がある。自分を受容してくれるのは小説だけだという考えが一瞬頭をかすめる。

「ごちそうさま」
食器を台所へ持っていこうと立ち上がった瞬間、本当に突然、何がきっかけになったかも分からないまま涙が込み上げてきて、夫の背後に回り、あてつけのようにTシャツに濡れた顔を押しつけた。微動だにせず、慰めの言葉もかけてくれない夫に違和感を覚えてスッと元に戻り、真顔で食器の片付けを再開した。

だめだ、完全に情緒不安定になっている。食器洗いはいつも夫がしてくれるので、一旦シャワーを浴びにいく。お湯で身体があたたまりいくぶん落ち着いたのか、(感覚がずれていてもけっきょく一緒に暮らしてくれるのは小説じゃなく人なのだ)と整理されきっていない思いが頭に浮かんだ。

シャワーを終えると夫ももう食器洗いを済ませていて、TVからは「アド街ック天国」が流れていた。椅子に座って見ていると、突然夫が私の方へ来て「姿勢が悪い!」と言いながら背中に触れた。その流れのまま、何も言わずしばらく背中をさすってくれた。

眠りにつく前、スマホのアルバムを開く。M。屈託なく笑うM。子どもをだっこするM。幸せそうなM。「かわいい笑顔」「M。」。何度か呟いて電気を消した。

***

怒涛の一週間が過ぎ去り、今日。出勤のためバスを待っている時、ふと先週までの出来事を振り返り、なんだかようやく一息つけたような気がした。
今日はMの誕生日だ。そんな、ある一日。

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