父母が離婚して辛かったこと00 環境

少しノートを振り返って、父母シリーズが一番ジーンときたので、

シリーズにしました。いずれブログに書きあげたいです。

我ながらいいこと書いてるんです。片親で育つ辛さってあるんです。世にいるシングルマザーに怒られそうですが。片親育ちの悩み掲示板っていうのがあるんです。まぁnoteでは受けないですね。

時代は女性起業家 !一億総活躍 !女性でも稼ぐ!在宅で稼ぐ!という情報のほうがウケるのは分かります。それと両立できないです。ナウ。

しかし何で女性起業家ってだけで補助金出るんでしょうね私が男性なら嫌です。でも嫁になるならそうゆう制度で稼いでくれる嫁はありがたいです。

そうそう、離婚にまつわる悩みエトセトラの中で意外とあるのが、

家事負担が多くなったというのがあります!

手伝いしてるけど、失敗して怒られるとか、

私も宿題で疲れてるとか

家事負担が辛くなった というのがあがります。

私もです。離婚前も手伝う子でした。離婚後も手伝いました。

しかし、怒られました。

中学の最初の通知表で

「家事と勉強の両立が課題ですね。がんばってください」

と書かれました・・・その時は何も思わなかったです。

その前に、両親そろってた頃の環境を少し。
うちは家族住み込みの独身寮の管理人を仕事をしてました。


父が料理人なので、お兄さん達の朝ごはんと夕飯を用意して、

母が掃除、電話・鍵・金銭管理、パートのおばちゃんがクリーニング担当で、週4くらいで来て母と掃除を手伝いつつ、クリーニングのスーツやシャツを管理する、という特殊な環境でした。

サラリーマン家庭から見ると特殊なだけですが、地方都市のベットタウンだったので、うちの隣も隣も3ビル連なって独身寮でした(苦笑)

給食センターからの配膳利用が多い中で、うちは現役コックの父が朝夜作るという事で、地域テレビの取材も受けてました。

自営業みたいなものです。なので、必然的に父の配膳の皿だしや、

簡単な盛り付けの手伝い(プチトマトをのせるだけレベル)

母の掃除の手伝い、庭の草取りとり、などなど、

できる範囲の年相応の事をしてました。

40人くらいの独身の兄さん達がいましたね。

4階建ての建物で、一階に食堂、厨房、管理人室、ボイラー室、最大5人シャワー備え付けの浴場があり、2階以降が6畳の個室です。

子供にとって、親の仕事も見れて、日中の人がいない時間は空間をめいっぱい使って遊べて、手伝いもできて、環境としては恵まれてました。

食事は管理人室に台所もありましたが、どうしても2.3食分は残ってしまいます。当日寝坊して朝食べれなかったとか、夜誘われて時間を越したとかです。

それを我が家では食べてました。父も母が作らなくてもいいようにとやや多めに作ってました。何せ父の食料買い出し分は会社経費ですからね(笑

公私の区分もしっかりつけれてました。

お兄さん達は、土日は休んだり、食堂で集まって飲んだりしてて、この寮でしっかり休みお仕事で暮らしている、私達は仕事で暮らしている。そう躾られました。

そのため私達は、土日はおとなしく過ごしてました。

夜に、廊下ですれ違えば、挨拶は必須です。

私が5歳から入居し、10歳くらいまでいました。夫婦住み込みが条件なので、母が急に弟だけ抱いて出て行ったことで父・私・妹が取り残され、生計を立てられなくなりました。

その間、妹がまだ3歳くらいでうるさい盛りだったのと、弟が生まれたこともあり、土日の騒音など、多少神経質だったのでしょう。

私は、自分の置かれた環境は分かる年だったので、土日・夜は静かに、お兄さん達は仕事で住んでいるというのをしっかり肌身に叩き込まれてました。

妹は分別が分からずギャーギャーするし、新しくできた弟は泣くわで、自分だけでもちゃんとしようとか、そんな気持ちもありました。

お兄さん達はバブル時期の新入社員ということもあり、フレンドリーな方が多く、寮生活は今でいうシェアハウス感覚で楽しく過ごしていたようです。

もちろん、部屋に電話線をひいて籠る方や、寮が合わないと近隣に独り住まいをする方もいました。

そのため、暮らしてる方との関係は良好で、管理人関係者にコンタクトをとる人は、父の作る料理を褒めてくれたり、居心地がよかったり、私達が入居する前からの、寮の長みたいな人だったりと、

管理人の私達一家にも好意的でいてくれました。

すれ違い様に挨拶をした時に「まがりかどちゃん?父さんに、またカレー作ってって言っといて?」など、褒められると嬉しかったものです。

父への要望は簡単なものが多いです。

子供でも分かるものが多いので伝えやすいです。

母への伝言は難しいものも多いので、断るように教えられてます。

あとは、子供からみた25歳前後の大人の男性はみんな同じ顔です、正直怖いです・・・挨拶だけでもドキドキでした。何号室って言って伝言を頼まれますが、よく間違えます。こわい!でかい!

管理人室へは、同じ建物の1F内で、歩いて数分もないので、だいたい「母を呼んできます」「すいません」「わかりません」「言伝はするなと両親に言われております。」と断ります。

お兄さん達にも、小学校の先生にも、保育園の先生にも、しっかりしてるねと言われて育ちました。

それくらい、5歳のころから私の中では家の中で、公・私の区分というものがありました。

その中でしっかり手伝いをしてきたので、年相応で十分だと思います。

しかし、離婚してからの手伝いはどうでしょう・・・

「何時にどこどこで誰々さんと仕事があるから、その前に弁当を食べたい。

打ち合わせのためにニンニク等の匂うものはNGです。

妹が塾に行く時間に合わせて持たせてくれ。

なお、1か月の食費は4人で1万です。これで自由にやってください。やりくりよろしく。ハイ」という母のリクエストです。難しかったです。

家族の一員なんだからやってくれ、

支えてくれ、働かざる者食うべからず

母子家庭の子ならみんな手伝い負担を強いられると思います。

おなじ、手伝いとっても、

プチトマトをのせるだけで褒められた記憶が吹き飛ぶくらいハードなものでした。

中学生の手伝いってハードだな。って思いました。まぁそれができなくて、私の場合は、病んでいったんですけど・・

今ならリスカしちゃうとかそんな感じでしょうか。放置子ですね。

今6歳くらいの子供を育ててる友人にね、うちの住み込み環境を以前、話したんですよ。

そしたら、5歳で他人にしっかり挨拶できて、皿を運んで、草むしりしたら、それで十分だって褒められました。子育て自分育てって感じですね。友人の一言で過去の自分を思い切り褒めれます。

よくある片親さんの「息子が自主的にやってくれます☆彡」「娘が手伝ってくれてます☆彡」「分担してます」「協力してます」って親御さんの声を聞きます。

その子供達、ほんとは、したくない時あるんじゃないかなって思います。

私は間違えた時の母親の落胆ぶりといったら、「あんたほんと使えない・・・」そんな顔をされます。時に、「だからあれだけ!いったのに」と、時に冷静に諭されます。

どれだけ電話とりが大事か、間違えてどうゆうことが起きるか、私のせいで会社でどうだったとか・・・こんな責任、よく考えれば、親がそろって前の仕事してたら全く負いませんでした。

それをネトネチ責められて、できないんだ、ダメだと凹んで、病んで、病院送り数年になるとか、それが放置子の行く末です。

そんな電話の取次ぎなんて20過ぎの新入社員でも多少間違えるし、

それを12歳に求める親もいるんです。

今は考えられないかもしれないですが、当時は携帯が普及せず、

離婚後に母が始めた仕事の一つに保険屋がありました。家に電話がかかってきました。それをとり、メモをとり、母の携帯に伝えなければなりませんでした。

顧客の名前と番号は必須です。間違えたら絶対ダメです。電話の取次ぎが一番難しかったです。

うちの母は極端に放置するタイプですが、少なからず、よく討論してる尾木ママだって東大ママだって、子供にどういいかって観点ですからね。うちの母は、放置がすぎてます。

私は高校で自分で弁当作って持ってったから、何の楽しみもへったくれもないけど、

他人が作ってくれた食事や、

自分のために何かを誰かが用意してくれる、

そのワクワク感や、肯定感は生きる上で非常に大事だと思います。

自己肯定がないと、心がカスカスになりますね。

母子家庭の時がそうなので、いつも寮の記憶を思い出してます。