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不肖の娘でも

#不肖の娘でも#井川直子
という本がある。私にとってはお守りのような本だとずっと思っている。愛に溢れている。

 5月の終わりに父が亡くなった。
随分前に脳梗塞を患い、車椅子を使う生活は10年も経った。年もとるからその他の病気やらで入院することも増え、長く母と兄が介護していた。
離れて暮らすわたしは「不肖の娘」で、たまに顔を出すけど、そうなにか手伝えるわけでもなく、申し訳ないとは思っていたけれど、そうたくさん申し訳ないと思っていた訳でもなかった。

 5月末の金曜日、仕事中に姉から電話がかかってきた。仕事を早退し、お守りと言いながら黒い服と靴を鞄にいれた。その翌日の昼に父は亡くなった。
病院で働く私は仕事柄、たくさんの命のおわりを見ている。でも、父が亡くなったときに思ったのは、口から出たのは「父さんでも本当に死ぬんだ」という不思議な感情だった。人が死ぬことも、親がいずれ死ぬことも知っているのに。

忌引きの間は実家にいて、葬儀まつわるあれこれを手伝った。
いっぺんに沢山のことを決めることに混乱する母に、兄や姉は寛容で、母がいいと思うことを基準にあれこれ決めていった。いいひと達だねぇなどと思ったりもした。

 先日、納骨をした。
葬儀や納骨などの日の天候は、その人の生まれた日と同じなのだとお坊さんが話していた。
 雨続きのあとの晴れ、それが父の生まれた日なのだな。

葬式当日に、戒名が気に入らないと母が言い出した事や(兄が一緒にお坊さんに相談に行った)、納骨の日に墓石を動かすためにバールが準備されていたこと、暑いからストッキングはやめると言った母の黒いソックスのナイキのマーク。どうでもいいことの方をこれからずっと憶えている気がする。

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