考えるのは明日までにしよう。
一抹の懸念が復活。
これから一年という時間と、給料1か月分をはるかに上回る費用をかけて、この弁理士試験を受けるかどうか。
受けるかどうか、じゃないな。受けるべきかどうか。
ポジティブな要素
何事も挑戦することは悪くない。やってみてもいいんじゃない。
今の仕事にも若干関係しないわけでもないし、その知識を深く知っておくことは今後の仕事にも若干は役立つだろう(大いに役立つとはいえない)。
もし合格したとして、単に仕事をしたことがあるというのではなく、それなりの知識・能力を持っていますよという証明にもなるだろうから、次のステップが広がるかもしれない。
以前から少しその分野そのものに興味があるし。
今後仕事も大変になったり、異動だってあり得るから、頑張るなら今は時間余裕的にチャンス。
若干ネガティブな要素
この資格を取って、そっちの分野の仕事がしたいのか?→実はどちらかというと微妙。
そもそも、その仕事に将来性があるのか?→もともとのパイはそんなに大きくないし(税理士などに比べて、お世話にならない企業も多いだろうに)、どちらかというと国内は減少傾向に見て取れる(昔に比べたら)。これだけでこれから食っていくには相当な覚悟が必要(どれも大なり小なり同じだとは思うが)。
他にもやりたいことはあるのに、それを差し置いて本当に今それをやる?
転職サイトを見ると、その業界企業の口コミ、なかなか辛辣というか香ばしいところも多いなぁ、といった印象。
挑むからには、最後までやり切る必要がある。今みたいに途中で迷いが生じたり、気が変わってはいけない。
覚悟を決めたとしても人は喜怒哀楽の生き物。その時々の感情に左右されるのは避けられない。モチベーションを365日全くの一定に保つのは不可能。
その時に多少振れ幅があったとて、芯となる部分は曲げないか?よく考える。
背水の陣。私が大学受験を宅浪したときに思っていたこと。正直、宅浪で結果を出せたのはそれだけの強い信念があったからだとは思う。
現状は、当時に比べると逃げる場所・余白が若干残ってしまっている。
もし、「挑もう」に気持ちが傾倒しつつある状態で、踏ん切りが今一つつかない状態なら、1年で必ず結果を出すことを目標にしてみたらいいのかもしれない。
このようにこの資格に「挑もうかなー」と思って、「違うな」と思ってやめたor別のことに注力したとは過去何度かある。そう、私はくり返しているのだ。多分今やめたとて、後で再燃する可能性は否定できない。何度も繰り返しているからまた似たことはあり得る。条件として後で思えば思うほど、私は歳をくってる。
なら、今がその時(挑む時)な可能性は十分にある。
よく考えろ。ではもはやない。やって後悔したこと、やらずに後悔したこと、それぞれ思い出せ。どっちがより多く思い出せたか、それでおのずと選ぶべき選択肢が出てくるだろう。
何に後悔するのかって?そりゃ歳をとったら記憶力鈍るし老眼になるだろうに。先人たちは老への苦しみをみんな口々にしているではないか。挑むのは確かにいつでもできるけど、若さは有利やで。
ただ、、どの方向向いて頑張るかを自分で決断し、自分の決断にちゃんと責任を持つ必要がある、って話。