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悪いお嫁さん。その3。

お葬式は浄土真宗の習わしで執り行われた。

仏教用語には、宗派や地方によって訛りというか発音が違う。

南無(なむ)を、「なまん」と発音していたり、歌のようなお経に知識欲が駆り立てられた。それくらいに私は心に余裕があった。隣に座っていた夫はきっと悲しみに包まれていたろうに。


式が終わり、お母さんの体と最後の別れがやってきた。「これで故人様とは最後のお別れとなります。」と言われた時、自然の涙が出てきた。そんな自分に驚いた。

一緒に暮らしていた自分の祖母が亡くなった時も泣かなかった私が。
ほとんど会うことのなかったお母さんとのお別れに涙が出てきた。
後悔もある。懺悔もある。そして、夫の気持ちが流れ込んできたような、そんな気持ちが溢れてしまった。お棺の中にたくさんお花をいれた。紫色のトルコキキョウ。お母さんは紫色が好きだったらしい。

出棺のとき、斎場の方が私の方に位牌を持ってきた。私は躊躇いがあった。こんなに不義理をしていた私がお母さんの名前から書いてあるその形を持って良いものかどうか。

ただ、今はそんな遠慮してるような場合ではないのですかさず持たせて頂いたけれど申し訳なく思っていた。

斎場から火葬場まではそんなに遠くなかった。火葬場も忙しいのかなんなのか、あっという間にお母さんが炉に入っていってしまった。感情的になっている時間はなかった。

1時間半ほどで火葬が終わると聞いた。人が焼けるのはそんなに早いんだ、と思った。

身内の葬儀は、祖母が亡くなって以来で、それももう30年以上前の事で。当時は火葬が終わるのを待つ時間が途方もなく長く感じた。

それが今は1時間半とな。。

待ってる間、いろんな話をした。

ずっと話をしてこなかったお姉さん(夫の姉)が、次女の吹奏楽に興味を持ってくれていた。プロになるのか?なんでその高校を選んだのか?練習は楽しいか?と聞いてくれて、次女はたじろいでいたけど私はなんだか嬉しい気持ちになった。思わず、「是非、演奏会に来てください。」と言ってしまった。

そうこうしているうちにお母さんが焼けてしまった。

骨になってしまったお母さんを拾う儀式。それも宗派や地方によって違う。祖母の時は、近い身内は頭の骨から、遠い身内はつま先から、骨を拾っていったけれど、「逆さまにしないように」という理由で、足の骨から拾っていく。

少し前に娘たちに、“喉仏"の話をしていた。「喉仏の骨は、仏様が座っているように見える形だから、“喉仏"っていうんだよ。」お母さんの喉仏もちゃんと仏様だった。よかった。何がよかったのかわからないけど、よかった。

係の方が骨の説明をしてくださった。これがここの骨、これはここの骨、など。とても詳しい。見ただけでどこの骨なのかわかるなんて。自分も覚えたい!と思ったけど、思ったのはその一瞬だけだった。

お母さんの骨を持ち、私たちはまた斎場にもどった。このあとはみんなで食事をすることになっていた。

続く。

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