誕生日と毒。
悪夢を見た。夜中に雨が降っていた。
朝の空気には湿り気が混じっていて呼吸をするのに心地よかった。最近は乾燥がひどく、起きた時に喉の不快感がきつかったので、少しひんやりとした空気の中、これくらいの湿度は心地いい。
空は久しぶりに灰色で重く沈んでいる。
澄み渡るような青空よりいいな、と思った。
カーテンを開けると、窓際のベッド(猫用)の中で愛猫が眠っていた。この子は普段このベッドにはあまり入らない。使ってるのを見たのは久しぶりだ。それが微笑ましくて、少しだけ心を軽くした。
悪夢を見た。
叫び出しそうな夢だった。恐怖からではない、まるで理不尽さから抗うように。
それは子供の頃の体験で、その時には抑えていたものだった。夢の中で発散しようとしているのだろうか、起きた時の気分は最悪だけど。
なんでこんな……。
あぁ、そうだ。きっと誕生日だからだ。そう思った。
年齢など関係なく、誕生日はあまり気にしたくない。それでも意識せざるを得ないこともある。特にこういう、わかりやすい日には。
甘えなのか、怒りなのか、なんなのかよく分からない感情を抱えたまま、一人でぼーっとしている。
去年よりは成長したと思っていたけど、まだまだらしい。
子供の頃から祝われるのが当たり前であった誕生日(少なくとも家では祝ってもらっていた)は、今の私には少しだけ苦手な日だ。
もちろん今でも祝ってくれる人はいる。嬉しくない訳じゃない。
じゃあなんなのかと聞かれても、答えられないような感覚だ。
贅沢なことだと思う。
誕生日だから、その日は大切にされる。主役にもなれる。
そんなことに、違和感を感じる。言ってしまえば不快感に近い気もする。これは私の中の強烈な毒だ。
誕生日でなくとも、人はみんな、いつだって特別だ。
綺麗事なんだろうとも思う。だけど私は、そう思う。
そうして祝われなくなった時に寂しいから、こうして心は防衛策をとるんだろうな、とも。
なんとも捻くれた、可愛くない本心だ。
そして実際、一番大切な人に祝ってもらえなくて、いじけるなんて。こんなに寂しくなるなんて。
一年前には思いもしなかった。
私の中の寂しさは、永遠に消えない蝋燭の火みたいだ。
ほぞぼそと、だけどしっかりと。消えることなく燃え続けている。
たまに風であおられて大きな火になると、私はどうしたらいいかわからなくなる。
まだ、その熱さに、じっと耐え続けることしか知らない。
一年後がどうなっているのかはわからない。
どんなことを感じるのかも。
気楽さに憧れながらも、私は私のなかにある泥沼のような感情も、大切にしたいと思う。