気まずいこと
初めてパソコンで記事を書いています。スマホで書いているときも大して機能を使っていないため、違いは感じません。
気まずいこと、という題で書いていきますが、毎日noteを更新し始めてから2週間たち、さていよいよ書くことが無くなってきたというところです。何年も継続して書かれている方々は本当に尊敬です。
書くことがないのに書かなければいけない…そんな状況になれば、必然的に日常生活からネタを見つけ出すしかありません。今まで見落としていたこと。こういうことをしているからこそ見つけられること。
さて、今日発見したことが例の「気まずいこと」なわけですが、アパートに帰る際、玄関が見えたあたりで他の入居者の人が先に入っていくことが気まずいことです。分かりますかね、この気まずさ。私が鈍感だったら躊躇うことなくそのままアパートに入りますが、生憎そんな器用さは持ち合わせていない。だって、前に入っていった人のおよそ20秒後くらい入れば、何だストーカーか?と思われかねないのかと不安になるじゃないですか。そんなこと気にすんなよ、という話ですが。で、結局私はアパートに入るのをやめて、辺りを3分ほどぐるぐる周ってアパートに戻るわけです。こっちの方が不審者…?
こういう日常的な話、いかにもブログ的な話の後に、どうしてもその経験から学びを得たいというのが私の性でして。枕草子や様々な日記に代表されるように古文ではよくあることですが、ただの日常の風景の描写から、ちょっと思索をめぐらせた世界へと文章が変わるのが好きなんですよね。
先ほど気まずさを感じないのを「鈍感」と表現しましたが、「鈍感力」というのは多かれ少なかれ生きていく上では必要なんだと思います。鈍感という漢字だと「感じるのが鈍い」となります。しかし、確かにそういう使い方もある一方「鈍感力」での「鈍感」の意味は「無視」「思考放棄」に近いものではないでしょうか。勿論肯定的なニュアンスで。
例えば「彼はあの子の恋心に鈍感」という文章での鈍感の意味は「恋心に気づいていない/気づきにくい」という感じでしょう。一方「時には上司の説教に鈍感であるべきだ」という文章では「説教を無視する/深く考えない」みたいな意味でしょう。例文の癖が強い…
鈍感力という言葉が使われる文脈というのは、後者の例文に近いでしょう。つまり、既に何かが起きていて、それを「意図的に」気付かないようにする、無視するのが鈍感力。
んーだから何?という話ですが、こういう些細なことに対して自分の考えをもつの、何かいいですよね。