8月のおわりに思うこと

3年前の8月のおわり、私はいちど死んだのだと思う。正確には、死んでない。いまだに生きながらえている。

3年前の8月のおわり、何が起きたか。人生一度めの休職をした。自分にとっては多すぎる仕事を抱えて、自滅したのだ。といっても突然ではなく、1週間の引き継ぎなどの準備期間を経て、の休職だった。その引き継ぎ期間を終えて、私は何を思ったか。
『これで、いつでも死ねる』と思ったのだ。

休職の診断書が出た時、私は死にたくてたまらず、未遂までしていた。死ぬことは、逃げ場のないここから逃げ出すための唯一の方法だとも思っていた。

そんな精神状態の中、義務感とも、正義感ともいえない気持ちの中で引き継ぎをしたのだ。『これさえ終われば、死んでも迷惑はかけない』と。

結局、私は逃げ出したと言えるのかもしれない。それでも、逃げ出さなかったら、本当に死んでいたのかもしれない。
どこかの並行世界には、逃げ出さずやりきった私と、逃げ出さず死んだ私が存在している気もする。

それでも、今ここに存在しているのは、逃げ出して生き延びている私なのだ。

その後、復職したり、再休職したりとクラゲのように浮遊しながら私は生きている。ある面から見れば、出世街道からは外れた不良債権かもしれない。それでも、生きているからいいじゃない、と心から肯定できるようになれれば、あの夏の私は救われるのかもしれない。

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