大人が眉をひそめるような

いい大人になんてなりたくない。いまだになっていないと信じてる。100歩譲って、大人にならなくちゃならないなら悪い大人でいたい。大人が眉をひそめるような存在でいたい。

私が中学生の頃、好きなバンドの大人達はずっと大人に見えていた。それでも、現在になってかえりみると『幼かったなぁ』なんてそのバンドの大人は言っていた。大人が眉をひそめるような曲を好んで作った、そんな幼い存在だったと。

ずっとずっと、大人に見えていたのだ。私から見て。たしかに、どこか反骨精神というかそんな物を感じることもあった。アテフリの音楽番組で、わざと楽器から手を離すこともあった。
それでも、私から見ていちおう大人だったのだ。

どんな大人だったかといえば、自由に見える大人だった。今に思えば何かしらの制約があったにしろ、自由な大人だった。好きなことで仕事をして、好きに表現することができる。

今に思えば、大人が眉をひそめるような大人、だったと思う。

その後、そのバンドの特集記事を硬派寄りの週刊誌が掲載したことがあった。ファンの若者を「普通の子たち」と形容した。クラスにいる、悪い子でもない、目立つ子でもない、普通の。
なんとなく、それが気持ち悪かった。今なら、アイデンティティを否定されたと感じたのだと言語化できるけれど。「分かったようなツラしやがって」と。

確かにそうだったのだ、私は。成績は中の下、かわいいわけでもなく、何か秀ている訳でもない。目立たない、普通の子。昔、教師には「可もなく不可もなく」と評されたことがある。普通の子だった。

普通の子街道を爆走し、よくある高校からよくある大学のよくある学部に進学し、よくいる社会人になった。
…が、些細なことで私は普通の子街道を外れた。まあ、精神疾患によるただの休職だが。

『セックス&ドラッグ&ロックンロール』という言葉がある。前方1つは諸々の副作用で失われているが、この言葉は私の人生の標語のひとつだ。もちろん、好きなバンドの受け売りだ。(別に私もそのバンドも違法ドラッグはしていないし、推奨もしていない。バンドの方は適度なドランク(飲酒)はしてそうだが。)
大人が眉をひそめるものの塊みたいな言葉だ。まあ、幼児の好んで言う「うんこ」みたいなものだろう。大人が眉をひそめればひそめるほど、嬉しくなる類の言葉だ。

生き方において、周りに合わせて流されるのが大抵ラクな生き方なのだと思う。その中で、自分の信念なり標語なりを持って生きるとはどういうことか。もし、それらが周りに反することならば?生きるのは難しくなるのだろう。

それでも、私は信念というか標語というかそんな曖昧なものでいいから、信じるものを持って生きたい。

それが、周りの大人から眉をひそめられるものだとしても。1つの私という筋の通った生き方ならいいのかなぁと思う。

世の中の「マジメ」に乗る気は無いが、私は私の正しいと思うこと・楽しいと思うことにマジメに対峙していきたい。

ちなみに、最近眉をひそめられたのは、柄シャツにワイドパンツ、ビットローファーというチンピラみたいな格好をした時だ。してやったりと思ったところだ。

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