【エッセイ】言葉にすることへの価値観
夫は「ありがとう」と「ごめんなさい」を一切言わない。
言えない、ではなくあえて『言わない』のだ。
私の母は、いつでもどこでもお礼を言う人だった。
弟もそっけない態度ではあるが、必ずお礼を言う。
そんな家庭で育った私も、当たり前のようにお礼を言っている。
結婚後、そういえば夫からお礼を言われたことも謝られたこともないことに気付いた。
なぜ言わないのか聞いてみたら、「ちゅんぺが言葉だけの謝罪なんかいらない、って言ったんじゃん」と言われた。
・・・・言ったっけ??
思い返してみる。
言った。確かに言った。
付き合ってる時に、夫が何かしらして、すごく謝っていた。
何かしらはすでに忘れた。
その時私は、「言葉だけで謝られても、誠意は感じられない」的なことを言った記憶がある。
すっかり忘れていた。
夫は、私が言ったことを事細かく覚えている。
私のオタクを公言する夫は、私の言動を本当にほとんど覚えているのだ。
・・・・ちょっと怖い。
お礼はどうなんだ?とも聞いた。
すると、「同じような意味で言わない」と返ってきた。
当たり前だけど、夫は外では必ずお礼を言う。
飲食店でも、ショッピングモールでも、旅行先の宿でも、必ずだ。
「ご馳走様でした。ありがとうございました。」と言う姿を見て、私はこの人と結婚してよかったと思ったのだ。
ではなぜ、私には言わないのか。
夫曰く、親しければ親しいほど言わないらしい。
職場でも出先でもお礼を言うのは、相手が全く知らない人で、お礼の言葉を言うことでしか感謝が伝えられないから、と言っていた。
私や家族のような身内だと、お礼や謝罪を言うのは「ただの言葉」としてしか伝わらない。だから、感謝したり申し訳ないと思ったら、言葉ではなく行動で示すようにしている、と夫は言う。
確かに、私へそういった言葉をくれたことは一切ないが、行動で示してくれたことは山のようにある。
「ありがとう」の代わりに、素敵な時計を買ってきてくれたこともあったし、「ごめんね」の代わりにケーキを買ってきてくれたこともあった。
・・・物でつられているわけではない。
歩道を歩くときは必ず車道側を歩いてくれるし、体調不良になったときは、30分ごとくらいに寝室に様子を見に来てくれたり、布団をかけなおしてくれたり、湯たんぽを用意してくれたりした。
『ハンターハンター』という作品をご存知だろうか。
キルアというキャラクターがいるのだが、夫はキルアが推しキャラの1人だ。
キルアが仲間に対してこんなことを言っていた。
「次にこんなことがあっても、もういちいち礼とか言わないからな。だからもし今度逆にオレがお前を助けるようなことがあっても、お前もオレにありがとうとか言うなよ。友達が友達を助けるのは当然だろ。」
夫は、この言葉を人生の言葉としている感じがある。
お礼を言われるということは、「そういうことを普段しない人」と言われているのと同じ、と感じるらしい。
意図しないことをされたから、お礼を言う。そんな意味にとれると。
夫婦なんだから、助け合って当たり前。
だから、私からの「ありがとう」も「ごめんね」も頑なに嫌がる。
妻のために夫が動くのは当たり前のことで、特別なことでもなんでもない、というのが夫の信念なのだそうだ。
最初こそ正直、めんどくさい人だわ、と思ったが、10年も一緒にいれば夫の人間性も分かってくる。
言葉に出した方がいい、その意見もめちゃくちゃ分かる。
でも、夫はイジワルで言わないわけでも、思ってないわけでもない。
1つだけ言えるのは、「好き」とか「かわいい」とかお礼を言ったりとかする人は浮気をしにくいという意見には断固反対する。
いい夫と言われていた人で、何股もしていた人を知っているからだ。
なので、全ての人に当てはまるわけではない、と世の中の主婦の皆様にお伝えしたい。
・・・人間嫌いを堂々と私に伝えてくるうちの夫は、若干特殊な気もするが。
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