何を見にライブに行くのか
私は先日、4日間連続で現場を回していました
いつも怠惰なくせに現場だと頑張れちゃって本当に不思議です
1日目:フリーライブ
2日目:撮影会
3日目:ライブ
4日目:ライブ
という感じの予定でした。
まぁなんて元気なおたくだこと
この1日目のライブ当日の朝に、推しメンが親知らずの腫れからライブをお休みするというお知らせが出ました
最初は、このご時世でコロナが理由のお休みではないことに安心しました
むしろ原因がはっきりと分かっていて、病院も受診した上での決定をしてくれたことが流石だなぁとおもいます。
しかし、仕方がないこととは分かっていても私が待ち望んでいたものは「推しのいないライブ」になってしまったんです。
推しが不在のライブというのは初めてでしたが、せっかくチケット取ったし何より関西に来てくれるだけでもありがたいんだから空席はできるだけ作りたくないとおもい、会場を目指しました。
推しメンがいないステージで私はどうライブを楽しむんだろうな〜なんて呑気に考えながら電車に揺られて。
会場に着いたらお友達と会えたし「現場の雰囲気」を感じられて(あ、なんか今日ちゃんと楽しめるかも)って思いました。
でもいざライブが始まると全然違いました
楽しかったけど楽しくなかった
正直、
「推しがいないライブのなんとつまらないことか」
と思ってしまいました。
すみません。
きっと周りにはそのライブが楽しかったと断言できる人もいたはずなんです。それなのにつまらないって思ってしまったこと本当に申し訳ないです。せっかくのステージ、楽しめなくてごめんなさい
それでも言わせて欲しい。推しメンが出てこないライブ、私にとっては意味が無いとおもいました
私は何を見に来たんだろうって虚無感に襲われました
私はグループのことがもちろん好きです。そのことに嘘偽りはありません。
それでも、私は彼のことが好きだから、彼が立つステージが見たいからこのグループが好きなんだと改めておもいました。
その日のライブは2部制でした。
1部では他の色のペンライトを振りましたが、その色を振っていることに違和感を覚えて2部は推しメンの色を振りました。
ステージにいない人の色を振るのはありなのかなと思ったけれど、私にとってはそれがしっくりきて、それでよかった気がします。
そして、普段ライブを見る時は推しカメラをしてしまいがちなんですけど、どこを見たらいいのか分からなくて。
何となく全体を見て、他のメンバーの表情や絡みとかの新しい発見はあったけれどそれを心から楽しめたかと言えばそうでは無かった。
難しいおたく心
そしてもう1つ。推しは以前から喉の不調もあってステージ上で歌っていません。歌割りで音源が流れる仕様にももはや慣れてしまっていたけれど、誰もいない所で推しの声だけが流れるのはキツいものがありました。
何度泣きそうになったことか(実際泣いたんですけども)
ペンライトの色やライブ中どこを見るか迷うことも、音源が流れるときに誰もいないという事実も。全部ぜんぶ悲しかった
帰ってから少しだけ1人で泣きました
ここでもう1つお話したいのは、3日目のライブのこと。
上でお話したのとは別のグループのライブです。
このライブでもメンバーの1人がお休みしていました。
この日お休みしていたのは私の推しではありませんでした。
だから私、2日前とは違って「推しのいるライブ」を楽しめたんです
ペンライトを振って、推しを目で追いかけて、
「あ〜これこれ!!私が欲してたやつ!!!」って。
でも、お休みしているメンバーがいる以上、誰かにとっては「推しのいないライブ」だったということも事実なんです
お休みしていたメンバーを推しているお友達もその会場に来ていました。
1部が終わったとき、すごく寂しそうな表情をしていました。「推しのいないライブ」にきっとそのお友達もショックを受けていたのかなと思います。
「やっぱり全然違う」って言っていました。
そりゃあそう。
私その時にできるなら全力で彼女のこと抱きしめて「推しメンのいないステージ...っておもっちゃうよね分かるよ寂しいよね泣きたいよね」って言いたかったです
(結局何もできなかったのが悔しいです。ごめんね。)
推しメンがステージにいないというだけでこんなにも違う
私は「推しがいないライブ」というものに対して割と大きなショックを受けました。
ライブという生きた空間、その瞬間にしかない輝きや感動をくれるのがアイドル。グループの全員がそんなアイドルであるということは前提としてあって、それでも私にとってはその空間にいて感動をくれるのは「推しメン」であってほしい。
ライブ1つとっても、それを観た人がどう感じたかは人それぞれ。
心の底から楽しかったと言える人もいれば、普通だったなって思う人もいて、そう思った理由や基準も色々。
私はこれまでのライブで「楽しくなかった」なんて思うことはそうなかったんですけど、この数日で考えさせられました。
1日目のライブ
私は楽しめなかったけれど周りには楽しめた人がいた
3日目のライブ
私は楽しめたけれど周りには楽しめなかった人がいた
ライブを観て私がどう感じるか、友達がどう感じるか、隣の席の人がどう感じるか
そんなの一緒な訳が無いんですよね。というか一緒である必要も無い。感じ方は人それぞれで、その感じ方を否定するのもされるのもおかしいんだから
楽しめなかったなら楽しめなかったでいいんです
また推しメンがいる時にライブに行けばいいんだから
「あの日は仕方なかったんだ、だからまた行こう」って期待させてくれる彼らが好きなんです
「しばらくいいや」って思ったなら一旦お休みするのもありだし。心に負担をかけてまでライブに行っていたら本末転倒ですよね。
楽しめるときに全力で楽しむ。それだけでいい(自戒)
話が少しずれちゃいましたね
「推しメンのいないライブ」
失って初めて気づく、なんて。どこかの失恋ソングじゃあるまいし小っ恥ずかしいけれど
この数日で私は改めて、ちゃんと推しメンのことが好きなんだなっておもいました
ステージに立っていて欲しい。
登場して、挨拶して、ターンして、ステップを踏んで、客席に手を振って。そんな風に「アイドル」をしている所を見たい。
お前アイドル好きになりたてなんか???
みたいな感想を抱いてしまいました。
4日目のライブでもある曲で号泣してペンライトを振ることが出来ませんでした。推しメンへの好きが募って仕方ありませんでした。寂しくて悲しくて、今すぐ彼が踊るところを見たかった
寂しさで好きを再確認するなんてすごく虚しい
早く推しが立つステージが見たいです
キラキラでかっこよくて息するのも忘れちゃうくらいのライブ
頭の中が楽しいでいっぱいになる時間
楽しさで好きって思わせてください
幸せで好きって感じさせてください
貴方がいるステージが、ライブが大好きです
貴方が、好きです
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?