「揺れる夜に、二人の距離」

夜の街は静かだった。街灯の下に伸びる影が、時折通り過ぎる車のライトに揺れる。佳奈は、駅のホームで次の電車を待ちながら、スマホの画面を眺めていた。そこには、彼からの未読メッセージが表示されている。

「話したいことがある」

その一文を見た瞬間、胸の奥に不安が広がった。付き合い始めてまだ半年も経たない。順調だと思っていたし、彼の優しさに触れるたび、少しずつ自分の中で固まっていく想いがあった。彼のことをもっと知りたい、もっと近づきたい、そんな感情が日に日に強くなっていくのを感じていた。

だが、"話したいこと"という言葉が、すべてを揺るがすものになるのではないかという恐れが、彼女の心を締め付けた。

ホームに電車が滑り込んできた。佳奈はスマホをポケットにしまい、無意識のうちに深呼吸をした。心の準備ができているかは分からない。けれど、このまま立ち止まっていても、何も変わらない。彼の待つ場所へ向かうしかないのだ。

電車に乗り込むと、彼との出会いの日を思い出した。

カフェで偶然隣に座ったのが最初だった。彼は仕事の合間に一息つこうとしていたらしく、ラテを片手にパソコンに向かっていた。ふとしたきっかけで話が弾み、気がつけば連絡先を交換していた。彼の穏やかで優しい口調、何事にも真剣に向き合う姿勢が、佳奈の心に響いた。それから頻繁に会うようになり、自然と付き合いが始まった。

そんな彼が突然「話したい」と言うからには、何か重要なことがあるに違いない。別れ話ではないか、と心の奥でよぎる考えを振り払うため、佳奈は窓の外に目を向けた。流れていく夜景を見つめても、不安は消えなかった。

駅に着くと、彼は既に改札の前で待っていた。少し背の高い彼は、いつものように穏やかな表情で佳奈を見つめ、静かに微笑んだ。その微笑みが、どこか切なく感じられる。

「来てくれてありがとう」と、彼は言った。

「ううん、大丈夫だよ。話、聞かせて?」佳奈は精一杯の笑顔を作ろうとしたが、声が少し震えてしまった。

彼はしばらく沈黙したあと、静かに話し始めた。「佳奈、最近ずっと考えてたんだ。君のこと、本当に大切だって。出会ってからずっと、君といると落ち着くし、安心できる。でも、それと同時に、自分がどれだけ君にふさわしいのか、ずっと悩んでたんだ。」

佳奈は息を飲んだ。まさか、別れの言葉が続くのではないかと、心臓が早鐘を打つ。

「僕、仕事が忙しくて、君とあまり会えない日が多かったよね。それに、君のことをもっと知りたいって思いながらも、自分のことでいっぱいいっぱいで、君にちゃんと向き合えてなかった気がする。そんな自分が情けなくて、これでいいのか悩んでたんだ。」

「でも、別れたいってわけじゃないんだ。」彼の言葉が続いた。「むしろ、もっと君を大事にしたいと思ってる。でも、僕自身がまだ自信が持てなくて……。」

佳奈は、彼が何を言いたいのかが分かってきた。彼は不安に苛まれ、自分が彼女にふさわしいのかどうかを悩んでいたのだ。

「私も、同じことを思ってたよ。」佳奈はゆっくりと口を開いた。「あなたのことをもっと知りたいし、もっと一緒にいたい。でも、お互いに忙しくて、なかなか時間が取れなくて。それが少し不安だった。でも、今こうして話してることで、なんだか安心した。あなたも同じように悩んでたんだね。」

彼は驚いたように目を見開いた。「そうだったんだ。僕だけが悩んでたわけじゃなかったんだね。」

「うん。でも、話してくれて嬉しいよ。これからも、ちゃんとこうやって話し合えるなら、私たちはもっと良くなれると思う。」

彼は佳奈の言葉にじっと耳を傾け、深くうなずいた。「ありがとう、佳奈。僕、もっと君に向き合っていきたい。君がいてくれることが、僕にとってどれだけ大切か、改めて気づいたよ。」

その言葉を聞いた瞬間、佳奈の胸の中にあった不安が、少しずつ消えていくのを感じた。彼の誠実さに触れ、二人の絆が少しずつ深まっていくのを確信した。

夜風が静かに二人を包み込んだ。街の灯りが遠くに輝いている中、二人は手を取り合い、ゆっくりと歩き始めた。これから先、どんな未来が待っているのかは分からない。でも、お互いに向き合いながら、一歩一歩進んでいくことができると、佳奈は感じていた。

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