「再会の約束」
東京の駅前。無数の人々が行き交う中、雨がしとしとと降り続いていた。人々は傘をさし、無機質な都会の空気に紛れ込むように、誰もが急ぎ足で歩いている。
**結城紗季(ゆうき さき)**は、その駅前の喧騒の中に立ち尽くしていた。手に持ったスマートフォンには「7時」と表示されている。待ち合わせの時間は過ぎていたが、彼女はまだ動くことができずにいた。
「また雨か…」
ぼんやりとつぶやいた紗季の心の中には、ある一つの記憶が鮮明に浮かんでいた。それは、10年前、彼女がまだ大学生だった頃のこと。大学3年生の夏、キャンパスで偶然出会った男性と恋に落ちた。名前は藤井亮介(ふじい りょうすけ)。
彼との出会いは、まるで映画のワンシーンのようだった。大学の図書館で資料を探していた時、ふと目が合った亮介。二人はそれまで一度も話したことがなかったが、亮介が思い切って話しかけたことで、二人の間に自然な会話が生まれた。
「その本、僕も探してたんだ」
紗季は少し驚きながらも笑顔で応じ、彼女も亮介も同じ文学部に所属していることがわかり、それをきっかけに一緒に過ごす時間が増えた。何度も授業後にカフェで会話を重ね、映画や音楽について語り合った。
その夏、二人は恋人同士になった。初めてのデートは、鎌倉の海辺。夏の日差しが照りつける中、手を繋いで砂浜を歩き、波の音に耳を傾けた。その時、亮介がふとつぶやいた。
「いつか、またここに一緒に来ような」
その約束は、何の疑いもなく守られるものだと思っていた。しかし、大学4年生になった頃、亮介は突然、海外への留学を決意した。彼の夢は、外国の大学で建築を学び、建築家として成功することだった。
紗季は亮介の夢を応援したかった。しかし、遠距離恋愛に対する不安も拭いきれなかった。別れ話をするつもりはなかったが、自然と二人の距離は少しずつ離れていった。留学が近づくにつれ、亮介はますます夢に向かって走り出し、紗季は彼に対する愛情を持ちながらも、追いつけない焦りを感じ始めた。
そして留学前の最後の夜、二人は言葉にしないまま、別れることを選んだ。
現在、10年後。
「約束を守らなかったのは、私だったんだ…」
10年前の思い出が、雨音に混ざって紗季の心に再び押し寄せてきた。彼は今、どこで何をしているのだろう。彼との思い出を思い出すたびに、紗季は彼に連絡しようと思ったことが何度もあった。しかし、何度も迷ってはやめていた。
そんな紗季に突然、亮介から連絡があったのは一週間前のことだった。
「久しぶりに会えないか?」
亮介からのメッセージは驚きとともに、あの時の感情を再び呼び起こした。彼が東京に戻ってくるということ、そして自分を思い出してくれたということが、嬉しくもあり、少し怖くもあった。だが、紗季は「会いたい」と即座に返信を送っていた。
午後7時15分。
雨は弱まる気配を見せず、紗季の心もまた揺れていた。
「本当に来てくれるのかな…」
その時、遠くから慌ただしい足音が聞こえた。紗季が顔を上げると、そこに懐かしい顔があった。
「紗季、待たせてごめん!」
その声は間違いなく、亮介のものだった。彼は少し息を切らしながら、でも笑顔を浮かべて彼女に向かって歩み寄ってきた。見た目は少し大人びていたが、彼の雰囲気は変わっていない。柔らかい笑顔、落ち着いた声。それは紗季が記憶していた、彼そのものだった。
「久しぶり、亮介…」
言葉が自然に出た。10年の歳月が二人の間にあったことを一瞬忘れてしまうほど、彼との再会は不思議と心地よかった。
二人は近くのカフェに入り、窓際の席に座った。雨はまだ降り続いているが、その音が二人を包み込み、静かな時間を演出していた。
「変わってないね、紗季」
亮介が優しく言った。
「亮介も変わってないよ。でも、ちょっと大人っぽくなったかも。」
「そりゃ、10年も経ってるからね。君もすごく綺麗になったよ。」
その言葉に、紗季は少し照れながらも微笑んだ。10年前の彼と同じ、いつもの優しい言葉だった。
会話は途切れることなく、二人はお互いの近況を話し合った。亮介は海外での経験や、今の仕事について語り、紗季もまた広告代理店で働く自分のことを話した。亮介が日本に戻ってきた理由は、仕事のプロジェクトのためだったが、それ以上に、ずっと気になっていたことがあったという。
「紗季に、もう一度会いたかったんだ。」
その言葉に、紗季の心は一瞬止まった。
「私に…?」
「そう。ずっと考えてたんだ。あの頃のこと、君との時間。あの時は、自分の夢にばかり集中していて、君の気持ちに十分向き合えていなかった。それがずっと心残りだったんだ。」
亮介の言葉に、紗季は驚きながらも、自分の心が少しずつ温かくなるのを感じた。
「でも、私だって亮介のことを本当に応援していたよ。ただ、私もどうしたら良いか分からなくて…」
「分かってる。だからこそ、もう一度会って、ちゃんと君と向き合いたかったんだ。」
亮介は真剣な表情で、彼女の目を見つめていた。紗季の胸に、10年前の思い出が蘇る。彼との再会を通じて、彼女は再び過去の感情に揺さぶられていた。
「今度こそ、二人で約束を果たそう」
亮介の言葉が、紗季の心に深く響いた。
二人は再びお互いに惹かれ始めるが、それぞれのキャリアや生活の違いが次第に壁となって立ちはだかる。紗季は広告代理店での仕事が忙しく、亮介もまた新しい建築プロジェクトのために地方や海外への出張が増えていく。
お互いに再び恋愛に踏み出そうとするも、現実的な問題が二人の距離を少しずつ引き離していく。しかし、それでも亮介は紗季との関係を諦めるつもりはなかった。
ある日、亮介が紗季にプロジェクトのために再び海外に行かなければならないことを告げたとき、紗季は彼を引き止めるべきか悩む。
「亮介、また遠くへ行くの?」
「そうなんだ。でも、今度は…もう君を手放したくない。」
二人はそれぞれの夢を追いかけながらも、再び一緒に未来を描くことができるのか。過去の約束と現在の葛藤の中で、彼らは再び運命の選択を迫られる。
エピローグ
数年後、紗季は亮介と再びあの海辺に立っていた。二人が10年前に交わした約束を、今度こそ果たすために。
「やっとここに来られたね。」
「うん、今度はお互いの夢を叶えた上でね。」
波の音が静かに耳を包む中、二人は手を繋ぎ、これからの未来を共に歩んでいくことを誓った。