麦茶・オバマ氏・父の遺影
2024年5月某日深夜。
今日一日を思う。たくさん眠りかなりの量を食べた。いい加減に家事をした。私は家事が苦手だ。スペイン語のクラスに新規の見学者が現れるたびに「Soy ama de casa」「私は主婦です」などと自己紹介などしているが、もし主婦という言葉が「家で家事育児等に専念する人」を意味するのであれば私は主婦ではない。
どこかで修道女という生き方に無邪気に憧れている。しかし修道女として献身的に教会の床や廊下や窓ガラスを掃き清め、拭いてまわり、環境の整理整頓に努めなおかつ献身的に神に仕えるなど、私などには圧倒的に無理だ。心身があまりに疲弊したときなど、修道女らしい衣装を身に着け、一生神の言葉を待ち、静かに暮らしたい、などと夢想する。夢想するうちに貴重な時間を一時間、二時間、三時間、半日、失ってしまう。
昨日もなにかを考え、なにかを書いた。一昨日もなにかを考え、それを書いた。明日もおそらくなにかを書く。猿が執念深く毛づくろいするように、今も私はなにかを書いている。が、どうしたことだろう。十分で飽きた。指はさらに仕事をしようとの意欲を見せる。すなわち指は積極的にぴくぴく震えている。すまぬ指よ。今夜は、書くことが見つからないのだよ。
キーボードはぱたりと鳴らなくなり、つけっぱなしのスペイン公共放送が勢いづいた水流のように耳に飛び込んでくる、夫がテーブルにひじをついた格好で眠っている。眠っている夫の全身を青銅色で塗りつぶしたら、ロダンの「考える人」のようにステキなブロンズ像になるのではないだろうか?
今、私は一秒を越えた。次の一秒も越えた。また次の一秒も越える。次の次の次の次の一秒ももれなく越えるつもりだ。今の連続は主観的に持続する。意識は、常に今の連続とともにある。未来とともにある。夫が目を覚ました。なにか飲みたいと言っている。私は麦茶が冷えてるよとややぶっきらぼうに答えた。本当に麦茶が冷えているのかどうか、実は私はまだ知らない。三秒もしたらわかるはずだ。
バラク・オバマ氏
夫が、息子の誕生日記念に、なにかうまいものを食べに行こうと言い出した。夫と妻と息子三人で話し合った結果、焼肉にしようということになり、三人で某焼肉店に行った。ひさしぶりの焼肉だ。奥のテーブルに通された。やや大柄の中年男とすれ違った。おそらく日本人だ。男はモスグリーンのTシャツを着ていた。Tシャツの胸に、オバマ氏の写真がプリントされている。アメリカ合衆国現大統領バイデン氏でもなく、前大統領トランプ氏でもなく、モスグリーンのTシャツの中で笑っていたのはたしかにバラク・オバマ氏であった。なぜだろう、ぽかんとした。驚いたのかもしれない。なぜ驚いたのか、その理由をうまく説明できない。単純、好感といった言葉が反射的に頭に浮かぶが、なぜモスグリーンのTシャツの胸のあたりで微笑むオバマ氏に驚いたのか。やはりうまく説明できない。他者にたいしてなにかをきちんと説明できないのは常である、慣れている。自分自身になにかを説明できないこのようなとき、私は少し苛立つ。
カルビを焼く前にサラダをほおばった。この店のドレッシングはいい。油がしつこくない。実はスーパーマーケットでもこの店のドレッシングが手に入る。お高いものなのであまり買えない。レタスの大きな塊をたとえば百円程度で手に入れることが出来たときなど、ついついここのドレッシングを買ってしまうことがある。
死
六十歳になり死を思う時間が増えた。
ひとはいつか死ぬ、そのうち死ぬ、死ぬとわかれば死ぬ、死ぬとわからずに死ぬ、もしかしたら明日の午後にでも死ぬ。積極的に死にたいと思い詰めたこともかつてはあったかもしれないが、よい方法が見つからなかった。今、この部屋で私が死んだとする。自殺にしても他殺にしてもこの部屋は事故物件となる、事故物件はなかなか売れないだろうし、夫は部屋の処分に疲労困憊するに違いない。私が死んだら息子の心にどのような影響を及ぼすだろうか。故郷の母は私に先に死なれたら、何を考え、何を思うだろうか、苦しむだろうか。あるいは苦しみはしないだろうか。
父が亡くなったとき、私はあまり苦しまなかった。少し悲しく、けれど心の大半は何が起こっているのかよくわからないという状況にあった。生は、あるいは現実は、常に死を孕むということがじょうずに理解できなかった。父はたしかに亡くなった。それはわかる。しかし父が亡くなったという事実は衝撃的な出来事ではなく、どちらかというと、父の存在が私の中に緩やかに定着したことを意味するようなのだ。遺影を見るたびに父は私に「お前はだめだ」と言っているような気がする。あるいは「勝手に生きろ」と言っているような気にもなる。よくいわれる表現だが、父は私の中で確実に生きている。そのまなざしは生前の父のまなざしより、はるかに厳しい。
ひとの死はそのひとを知る者たちのむしろ無意識下に強い印象を刻む。父の死は真夏の陽ざしのように私の心の真実を終わることなく白く焼く。
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