極右とキャミソール
インド・ヨーロッパ語族を調べるつもりでいた。言葉を考えることが好きだから。あるいは
ヨーロッパ議会選挙について調べる予定もあった。5年に一度の選挙が6日から9日かけて実施されたことをニュースで知ったから。ヨーロッパ議会の議員がヨーロッパのどんな政党に属していて、あるいはそれぞれの国ではどのような政党のメンバーであるのか。
欧州は右傾化の傾向にある。テレビはそういう。右とか左とかいうのはイデオロギーの問題だ。国民の基本はそれぞれの暮らしがほんの少しばかり楽になったらいいな、にある。ある程度ものごとに慣れた人間は、世の中にたくさんを望めるほど無邪気ではいられないから。必要なのは右でも左もないんだ。たぶんね。
スペイン語は極右をウルトラデレチャ、という。
ウルトラデレチャ。これ単純に言葉として口にすると呪文みたいですごく気になる。
包括政党。調べるうちにこの言葉につまづいた。なんのことだろう。英語はこれをCatch-all party あるいはBig tentと書く。はて。
イデオロギーの左右を問わずあらゆる層から支持される政党云々。とあった。特定の支持基盤を持たず国民の共通する利益を求め、あるいは個々の利害を調整する云々とも。
我が国の自由民主党も立憲民主党もこれに属するらしい。
政治は大を見れば小がおろそかになる。小にこだわると大を見失う。たぶんバランスが必要なんだろう。そしてたいていの人間はバランスに不満を持っている。
難しいな。
目が痛い。
昨晩の夢を考えることにした。
奔放な女が見えない袋に思いつく限りの男の名前を詰めていた。見たことのない女だった。うす汚れたベージュのドレスには黒い血の染みがあった。遊んだ男たちの名もあった。遊ばれた男たちの名もあった。思慕と侮蔑と恍惚と嫌悪が埃のようにあたりに舞う。
夢から醒めて、わたしは、あの奔放な女が私自身なのかどうかを調べる必要性を少し感じた。
ベージュのワンピース、たしかにわたしはそれを昨日地下街で衝動買いした。まだ新しい。黒い血の痕など付着してはいない。
遊んだ男たちの名。
遊ばれた男たちの名。
もう記憶にない。古い映画のように懐かしいけれどおそらく再度観ることはない。
リアルはいつでも心を癒す。リアルは今だから。
この瞬間、ベランダの向こうにマンションの屋上がある。
屋上で作業着にヘルメットをかぶった男たちが設備の工事をしている。
いけない。
わたしはシースルーのキャミ一枚だ。
ベンジャミンの鉢の奥に身体をしまった。
インドヨーロッパ語族の言葉には共通性があるという。
ヒンディー語とペルシア語とスペイン語。あるいは他の複数の魅惑的な言葉。語彙や文法のどこかがかすかに繋がっているのだろう。
スペイン。バスク地方(一部はフランスに属す)で話されているバスク語はしかしこのインドヨーロッパ語族に属していない。なぜだ。不思議でならない。
先日。diaspora ディアスポラという英単語を知った。国外への離散、移住を指すという。the diasporaとtheをつけるとユダヤ人の離散を示すらしい。
バスクの人々にもディアスポラがあるという。
書物にこうある。
There is also a diaspora of Basque, who mostly live in France, Spain, the United States South America, and a curious collection of French islands called Saint Pierre and Miqueron.
バスク血筋の人々がアメリカ合衆国にいる。
この情報はわたしをひどく喜ばせた。
英語のBe動詞にあたるバスク語の一覧表を見た。途方もない数の活用がある。さて、今日もバスク語に立ち向かう。際限なくヒマなのだ。