見出し画像

指揮者百傑・祖国のオーケストラが存続の危機を迎えるたびに駆けつけた名指揮者ヴァーツラフ・ノイマン〜名盤・稀少盤5選

ノイマンとチェコ・フィルは黄金のコンビとも言われ、レパートリーはドヴォルザークやヤナーチェクなど自国の作曲家が多い。
チェコ・フィルを振った名指揮者の中でも、ボヘミアの土の匂いが一番薄い指揮者。
厳格なまでにリズムの正確さにこだわった演奏は日本でも人気に。ノイマンの確信のある指揮ぶりで、横の流れよりも縦のリズムを重視した演奏で、勢いだけに流されない引き締まった演奏を聴かせて魅了しました。
ノイマンの芸風にはある種の生真面目さが感じられましたが、晩年には練れた解釈が大きな余裕と暖かさを感じさせるものに変化して素晴らし演奏を聴かせました。

厳格なまでにリズムの正確さにこだわった演奏。

9月2日は指揮者、ヴァーツラフ・ノイマンが没した日(Václav Neumann, 1920年9月29日〜1995年9月2日)。チェコのプラハ生まれ。プラハ音楽院在学中に学友と組んだ弦楽四重奏団は、戦後はスメタナ弦楽四重奏団の名称でデビュー。同時にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者を務め、1948年からは指揮活動に専念し、同楽団の国際的な名声を築き上げることに貢献した。クーベリック首席指揮者時代のチェコ・フィルの常任指揮者を50年まで務めました。1968年にチェコ事件が発生。チェコ・フィルの首席指揮者だったカレル・アンチェルがソ連による迫害を恐れてカナダに亡命すると、母国の名門であり古巣でもあるチェコ・フィルの首席指揮者に就任。その危機を救うとともに、同団を20年に渡って率いて世界的水準を維持しました。黄金のコンビとも言われ、レパートリーはドヴォルザークやヤナーチェクなど自国の作曲家が多い。チェコ・フィルを振った名指揮者の中でも、ボヘミアの土の匂いが一番薄い指揮者。先輩のターリヒやアンチェル、あるいがクーベリックと比較して、もっとも洗練された音楽を展開する。ノイマンの芸風にはある種の生真面目さが感じられましたが、晩年には練れた解釈が大きな余裕と暖かさを感じさせるものに変化して素晴らし演奏を聴かせました。厳格なまでにリズムの正確さにこだわった演奏は日本でも人気に。1969年の初来日以降、9度来日し、1976年の来日の際にはチェコ・フィルとプラハ・フィル合唱団でベートーヴェンの第9交響曲をレコーディングしている。ノイマンの確信のある指揮ぶりで、横の流れよりも縦のリズムを重視した演奏で、勢いだけに流されない引き締まった演奏を聴かせて魅了しました。

CZ SUPRAPHON 1410 2423 スク&ノイマン ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲、ロマンス

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、かの有名なチェロ協奏曲に比べれば録音も多くはありませんが、これは基準となる一枚。ドヴォルザークの曾孫でありチェコを代表する名ヴァイオリニストのヨセフ・スク(ヨゼフ・スークとも)を迎えて、これまたチェコを代表するノイマン&チェコ・フィルの演奏を地元のスプラフォンが録音するという、これ以上ない組み合わせ。

スーク・トリオのメンバーでもあるヴァイオリンのヨゼフ・スークがソリストを務めたドヴォルザークの協奏曲で、ノイマン自身も元々、スーク・トリオと共にチェコを代表するスメタナ弦楽四重奏団の創設時のメンバー(ヴィオラ)であったこともあり、ソリストの意向と指揮者、オーケストラとのバランスが非常に良い演奏としても発売以来愛好家の多い録音です。スークは激しい生命力や訴えかけ、懐かしい愛情のほとばしり、暖かい親しみ、チャーミングな節まわしで、豊かな郷土色と一体化して聴く者の心に涙をにじませる。1つ1つの音が完全に身についており、自分の音楽として表現している。ノイマンの指揮は音楽を意味深く語りかけつつ、美感を保持した見事なもの。スークの素晴らしい反応と熱情的なまでの表現が印象的です。本場、というだけではなく、チェコの伝統と格式、自然な表現やフレージングなど、今日でも第1線の録音であるばかりでなく、スーク2度目のヴァイオリン協奏曲は特に、決定盤として評価されてきました。

録音はスプラフォン独特の、高域に艶が乗ったあたたかみのあるサウンド。倍音成分と楽器の実在感が感じられる、ヴァイオリン・パートの統一感のある音色に加え、当時の木管・金管の特徴あるサウンドは今聴いても素晴らしいものがあります。
1978年1月20-27日プラハ、ルドルフィヌム録音、名演、名盤


正統的な解釈、シンプルな美しさ、本家の強みを思い知らされる名演として名高い75年盤。

JP SUPRAPHON OB7281-2 ノイマン スメタナ・わが祖国

1968年のプラハの春音楽祭のオープニングで《わが祖国》を指揮したカレル・アンチェルは、その直後に亡命。アンチェルの後を継いで同オーケストラの主席指揮者として返り咲いたのが、当時ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの音楽監督だったノイマンで、彼はラファエル・クーベリック亡命後の一時期、常任指揮者としてチェコ・フィルを委ねられていた。そしてアンチェル亡命後もソヴィエトの軍事介入を受けながらオーケストラを守り抜いて彼らの全盛期を築き上げた。

スメタナの連作交響詩『わが祖国』は、歴史的に外部からの度重なる苦難を強いられ、そして奇しくもこの曲が作曲された後の時代にも、更に国家的な危機を迎えなければならなかったチェコの民衆の愛国心を鼓舞し続けた、チェコの象徴とも言える作品だ。作曲家スメタナはこの連作交響詩『わが祖国』をチェコの首都プラハに捧げている。

祖国ボヘミアの歴史と自然があやなす一遍の叙事詩。日本からの要請によりノイマン=チェコ・フィルが比類のないスケールと緻密さで描く香り高い交響詩。「わが祖国」の決定盤として長らく愛聴されてきた名演。ノイマンとチェコ・フィルのコンビが充実の極みを迎えていた1975年にセッションで収録された名録音です。

ここでもチェコ・フィルは弦のしなやかな響きと管、打楽器の機動性が相俟って鮮烈な情景描写を表出している。
ノイマン自身はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と「わが祖国」の録音を1967年に行っていたため、この録音は2度目となります。チェコ・フィルにとって「わが祖国」の録音は、他のどの曲にも代えがたい厳粛かつ伝統に根差した行いであり、それは現在でも脈々と受け継がれていると思われます。これまで様々なイベントや名演がチェコ・フィルから生まれてきました。ノイマンにとっては、レコーディングとしてチェコ・フィルの首席指揮者就任直後から進めてきたドヴォルザークの交響曲全集&管弦楽作品集(1968-73年)に続いての重要な作品であり、特に前任者であるアンチェル時代の名盤との比較も含め、この1975年録音時にはオーケストラともども、相当な想いで収録を行ったのでしょう。テンポの取り方も中庸をわきまえた、ごく正統的な解釈を貫いている。
この曲を祖国への滾るような想いを秘めて演奏したのはカレル・アンチェルで、ノイマンは冷静なアプローチの中に緻密なオーケストレーションを再現し、しっかりした曲の造形を示している。
後のノイマン3回目となるスプラフォンのチェコ・フィルとのライヴ録音と比べても緊張感があり、さらに格調高い表現に大変感銘を受ける、まさに歴史に残る名盤となりました。

1975年2月/3月プラハ、芸術家の家での録音、1975年の日本コロムビア・ゴールデン・ディスク賞を受賞している。


アナログ録音の特性を活かした極めて良好な、自然で柔軟な音質。

CZ SUPRAPHON SUA 1110 2968 ノイマン ドヴォルザーク・序曲集

1968年の「プラハの春」でのソヴィエトの軍事介入によってチェコ国民の愛国心がいやがうえにも高揚していた時期と重なって、彼らの2回目の交響曲全集録音時に比較して、遥かに高いモチベーションとなっていた3回目の交響曲全集。

1963年アンチェルの後釜としてチェコ・フィルに復帰、そのチェコ・フィルに影響を残したまま隣国旧東独ライプチヒ・ゲバントハウス首席指揮者に就任、西側にもチェコにノイマン有りと知れ渡った。こうしてチェコと東独二股に掛ける充実した日々を送った集大成。

ドヴォルザークの交響曲は、ワーグナーやブラームス、西欧的アカデミズム、そして露骨な民族主義など多様なスタイルが見て取れるが、ノイマンは最初の演奏から既に揺るぎないスタンスと解釈で綿密に対応していることがよくわかる。ノイマン&チェコ・フィルのライフ・ワークとしてのポリシーに基いた、極めて燃焼度の高いドヴォルザーク演奏会用序曲集に仕上げられている。

  1. 序曲《自然の中で》作品91 B.168

  2. 序曲《謝肉祭》作品92 B.169

  3. 序曲《オセロ》作品93 B.174

  4. 序曲《わが故郷》作品62 B.125a

録音は総てプラハにある「芸術家の家」ルドルフィヌムのドヴォルザーク・ホールで行われた。1885年開場の歴史的コンサート・ホールで、現在でもチェコ・フィルの活動拠点にもなっているが、堂々たる風格の建築と内部の残響が潤沢なことでもヨーロッパを代表する演奏会場に名を連ねている。1982年録音。チェコ・フィルの長所でもある明るい弦の響きの瑞々しさとオーケストラの軽快な機動力が充分に捉えられている。


自然で、無理のない歌をチェロは奏で、伴奏のノイマンが素晴らしい!チェロ付交響曲第10番といえようほどにシンフォニック。

この若かりし女流奏者のしなやかで力強い演奏は忘れ去られるには惜しい。 ― 知名度に乏しく現在どういう活動しているのか不明なのだが、かつて札幌冬季オリンピックの時に、夏のミュンヘン五輪との関係で来日したミュンヘン・フィルのソリストとして同行してハイドンの協奏曲を演奏したことで記憶されるチェリストだった。普通に読んでしまうと、アンジェリカ・メイ(Angelica May)となりがちながら、ドイツ生まれの彼女なので、アンゲリカ・マイとなる。ピアノのハンス・リヒター・ハーザー、そしてパイネマン、という、いまや懐かし、そしてまぼろし級のドイツの演奏家と並んでオリンピック時のコンサートはテレビ放送されていた。ルドルフ・ケンペが当初より病気がちで来日不能であるため、ノイマンが率いてくる予定だったが、政治的なことからこれも不能となり、地味なベテラン、フリッツ・リーガーとともにやってきた。彼女の経歴は、ピアノとヴァイオリンを学び、本格チェリストを志し、パブロ・カザルスに認められ、その弟子となり、チェコを中心に、ことにノイマンとの共演によって名声を高めていったとされる。気心の知れたノイマンとチェコ・フィルとの共演盤はいくつかあるようだが、その代表格はこのドヴォルザークでしょう。

DE SUPRAPHON SUA 206 404 アンゲリカ・マイ ドヴォルザーク・チェロ協奏曲

マイのチェロ、強く印象づけられるようなものではないのですが、実に自然で、無理のない演奏です。特に第2楽章など秋の深まる抒情、あるいは静かな夕暮れ時の山の家で黄昏のひと時を過ごしているようにナイーヴで妙に美しい演奏だ。一音一音、丁寧に弾きわける女性らしい輪郭の豊かな演奏に感じます。

多種多様な録音のあるドヴォルザークのチェロ協奏曲ですが、本盤もまた独特の味わいがあります。さりげない一節にも、意図せずとも気持ちのこもったオーケストラの魅力は、渋くもありながら強みでもある。マイのチェロとノイマンとチェコ・フィルは、その抒情性と憂愁の美において完全に一体化してます。もちろん壮大な第3楽章では、豊かなオーケストラにも助けられて朗々と歌いまくります。聴き慣れた部分にも、本場物を感じる。この若かりし女流奏者のしなやかで力強い演奏は忘れ去られるには惜しい。

1983年4月8-10日プラハ、芸術家の家録音


典雅な演奏ではないが、一服の清涼剤。

CZ SUPRAPHON SUA ST50771 ヴァーツラフ・ノイマン シューベルト・交響曲3番/8番「未完成」

シューベルトの2曲は1966年の録音で、ノイマンはマーラーや自国のドヴォルザークでは交響曲全集を残したものの、ベートーヴェンやシューベルトでは一部の曲を録音したのみでした。とは言え、コンサートレパートリーとなっている曲は多く、この録音でも内容は良く練られています。

当時の木管楽器や弦の響きが存分に活かされており、交響曲第3番での快活な動線における独特な楽器の表情など、現代に無い響きも聴くことができます。《未完成》では重厚な表現でありながらも響きは決して沈まない、ノイマンらしいコントロールの妙が興味深く、2曲とも格調高く音楽が自然に感じられるのが特徴です。

1966年3月(3番)、2月(8番) プラハ、ルドルフィヌム録音、Recording directors: Zdenek Zahradnik、Recording engineers: Frantisek Burda

#夏の定番曲

いいなと思ったら応援しよう!

天宮飯店
「そんなアスリートおへそで…放っておきませんよ、誰もが。」 と、言われ、、、求める男たちに、おへそを売りました。