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ハタチ

昨日は成人の日、娘がハタチの年なので二十歳の集いに行ってきた。

2024年度の生まれなのでもう既に二十歳にはなっているが、このような式典はちょっと感慨深いものがある。会場が自宅の近所ということもあり、多くの小中の同級生が参加していて、懐かしい顔ぶれを拝顔した。面影を残している子も全く大人になってしまって誰かわからない子もいて、なんだか不思議な感覚をおぼえた。

さて、自分がハタチの時ってどんなだったかなーなんて振り返ってみると、東京での生活がはじまって1年を終えようとしていた頃だったかと思う。前年の95年は阪神淡路大震災がおこって、てんやわんやの中の受験、そしてあわや二浪確定かと思ったが、記念受験で受けた東京の大学に滑り込み、散々悩んだ挙句、親にも頼み込んで入学させてもらい、右も左もわからない東京の地での生活がはじまった。親元を離れることはもちろん、引越し、友人知人ゼロ、そして一人暮らしなんて初めてだったので、不安と期待と楽しみとの複雑な思いの中で生活していたかな。

元来人見知りで奥手な性格なので、なかなか学校生活にも慣れず、常にひとりで行動をしていたような記憶。そんな中でいろんなサークル活動の体験に行ったけど、最終的に選んだ軽音(バンド)サークル。そこが私の居場所となった。私が入った当時のそのサークルは超技巧派の強者たちが揃っていて、超絶上手なバンドサークルだった。と同時に、超絶激しい飲酒サークルで、今では考えられないほど、そしてここには書けないような内容が日常茶飯事に起きるサークルだった。幸い肝臓と腎臓は強靭だったようで、酒飲みな私は酒の席ではかわいがられたと思う。良い意味でも悪い意味でも。(笑)今、私がビールを水のように飲んでしまうのは、この頃鍛え上げられたに違いないと思う。社会人になって先輩や上司に、お前にビールを飲ませるのは勿体無いとよく言われたものだ。いつも奢ってもらう時は飲み放題か生中200円前後のお店がほとんどになっていた。

音楽とお酒と運送会社のバイト漬けの毎日を過ごしていた二十歳。それでも夢や希望もあって、当時一番の目標は渡米して英語を学ぶということだった。義務教育で6年間も英語を学んでいたのだから、今更学ぶというのもおかしいなと今思えば思うけれど、話せない、使えない英語を些かもったいないとも思っていたので、話せるようになりたい、使えるようになりたいという思いが強かったのと、もうひとつの思いとしては、アメリカの文化が好きな父の影響が大きかったとも思う。幼少の頃からアメリカの音楽や映画、そして文化を父のそばで観たり聴いていたりしたから、必然的に自分の中にもアメリカへの憧れがあったのかもしれない。そんな中で1年後、2年生が終わった時点での渡米を計画しながら、お金を貯めていたのを思い出す。あ、もちろん親の援助はたくさん頂きましたけど。

嫌なこともたくさんあったし、なんで僕が…。なんて考えることもあった。今思うと二十歳には結構過酷なこともあったとも思う。それでも周りの人たちの助けや支えの中で乗り越えてきた。成人っていうけれど、二十歳なんてまだまだ子供で、自分の力だけで克服できないこともたくさんある。50歳をそろそろ迎える今でさえ、自分の力だけではどうにもならないこともある。つまりはどれだけたくさんの人たちと出会って、どれだけ味方になってもらえる人たちと出会えるかということ、そして味方になってもらえるような徳の積み方をしていかなければならないと思う。

昨日の二十歳の集いの式典の中で、市長さんが「これから社会に出ていくあなたたちは、黒い大人にも出会うことがあるでしょう。」と言っていた。黒い大人という言葉が正しいかどうかは置いておいて、白と黒、そして灰色な出会いは人生においてたくさんあると思う。ただひとつ、白だと思っていたことが黒だったり、黒だと思っていたことが白だったり、灰色の美しさや必要性だったり、またそれはその時自分の置かれているタイミングで変わったりもするっていうこと。白が良い、黒が悪いではなくて、自分の人生においてその時必要なこと、人が何なのかを判断できる能力を積み重ねていくしかない。黒も白も灰色も人生にとっては必要な時がある。どっちから見るかで白だったり黒だったりすることもある。命を落とすことなく、人生の選択肢や思慮深い思考を持てるように生きていく。そんなことを若者たちが考えてくれると嬉しいなと思う。

娘はもうすぐ遠い異国の地へ旅立つ。いろんなことを見て、聞いて、多くのひとたちと出会って、黒も白も灰色も学んで、より思慮深い人間になって帰って来てくれると嬉しい。昨日娘の小さい頃の写真を見ていて、目頭が熱くなった。娘が9年前に作ってくれたお守りはいつも財布の中に入っていて、いつも私を守ってくれている。何が起こるかわからない時代、天災、人災問わず、多くの困難を乗り越えて、健やかにハタチを迎えてくれてありがとう。ここからの20年は今までのの倍速で時間が過ぎていくと思う。ただでさえマグロである私のDNAを引き継いで、いつも走り続けている娘。いつも明るく前向きな娘。

娘のこれからの人生に幸あれ。


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