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人生から「推し」が消えた。肯定し合えた日々を私は忘れない。

「僕たちは貴方の人生の隅々にまで感謝します。だってその人生があったから、僕たちに出会ってくれたんでしょ。だから僕たちはこれからも貴方の人生に関する曲を届けていくからね。そうやって、肯定し合っていこう」

back number「SCENT OF HUMOR TOUR 2022」より
※記憶の中に残っている言葉なので、間違っている点もあると思います

2022年6月29日。大阪城ホールの観客席にいた私は、back numberのボーカル・清水依与吏さんの語る言葉に心を動かされた。いわゆる「推し」と「ファン」の関係性を見事に言い表している言葉だと思ったからだ。

その翌日、私の人生から「推し」が消えた。


私は自分の人生を受け入れられずにいた時、「推し」に出会った。何となく観に行った舞台で主演を務めていた彼は、ステージ上で神々しいくらいの輝きを放っていた。思わず涙が溢れたのは、自分が叶えられなかった夢を想像にも及ばない努力で掴み取った彼に畏敬の念を抱いたからだと思う。

そこからはひたすら心の栄養を求めるように、彼が出演する舞台に通った。2.5次元界で不動の地位を築いていたにもかかわらず、帝劇という夢の舞台に挑む彼は益々眩しく、遠い、遠い存在になっていった。

そんな時、彼が発売した写真集を直接受け取るイベントが開催されることになった。一瞬しか話せないだろうから、ちゃんと伝えるべきことを決めなきゃ。そう考えた末に「いつも貴方に元気をもらってます。舞台で輝く貴方を見ているだけで頑張って生きようと思えるんです」という趣旨の言葉を私は彼に伝えた。

彼から返ってきたのは、「僕の方こそ、ファンのみんなにいつも元気をもらってるんだよ。人生、大変なことがたくさんあるけど、これからも一緒に生きていこうね」という言葉だ。

当時、終わらせたくて堪らなかった私の人生を、彼のその言葉は肯定してくれた。大げさかもしれないけれど、生きていて良かったと思えたのだ。

ただのファンだけれど、彼の人生を肯定できていること。そして、彼がそんな私たちの人生を肯定してくれること。嬉しくて、私はしばらく涙が止まらなかった。もちろん、そこには“お金”のやり取りがあるので、はたからみれば歪な関係に見えることもあるかもしれない。

実際、彼があるスキャンダルの渦中にいた時に当時の出来事を呟いたら、知らない方々から「彼は貴方のことをお金としか思っていませんよ」「ただの演技ですよ」「それが仕事だからね」との声が相次いだ。

それに関しては、構わないとしか言いようがない。私たち「ファン」は「推し」のパフォーマンスを提供していただく“客”でしかないのだから。彼の舞台、彼のイベントに“お金”を払って観に行く。それが彼の活動や人生の礎となる。それ以上でも以下でもない。

だけど、「推し」が“対価”として支払ってくれるパフォーマンスは時として生きる意味にもなる。絶えず夢に向かって努力する彼の姿勢は憧れを超えて、いつしか目標となった。次に会った時、何かを自慢できるような自分でいたい。「一緒に生きていこう」という彼の言葉を向けられるに相応しい生き方が少しでもできれば、と思った。

だけど、突然に別れの時はきてしまった。正直なところ、まだもう二度と俳優としての彼に会えない事実を私は受け止めることができない。

ありがとう。何もできずにごめんなさい。どうか健やかに生きて。どんな言葉も直接伝えるすべはない。だけど、もし届くのであればと一縷の望みをかけて、筆をとりました。最後の言葉は「推し」である前山剛久さんと、苦しみの渦中にいる「ファン」の皆様に送ります。

私は、貴方の人生の隅々にまで感謝します。

誰になんと言われようと、私の人生に貴方がいてくれたこと。肯定し合えた日々を、私は一生忘れません。


※スキャンダルに関しては、週刊誌に掲載された無記名の記事をファンとして見てきた彼以上に信じることができないこと、さらに故人とご遺族の思いが直接語られたわけではないため、不問とさせていただきます。真実はご遺族のみが知るべきことであり、私は全く興味がありません。



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