#6 音の引き出し
タイトルの通りなんですが、今日は「音の引き出し」について少々。
何かものを創作するとき…
「創作」なんて難しい言葉は使わなくていいですね(笑)
何かを作るとき…でいいでしょう。
料理、絵画、工作などなど…
料理であれば作るものによって包丁を使い分けたり、調味料を使い分けたり、もちろん素材にこだわったり、盛り付けにこだわったり…とあります。
絵画であれば水彩と油彩の違いとか、使う筆の種類なども含めていろいろとあります。鉛筆のみのデッサンなどもあります。
工作も然り。
一番わかりやすいのは絵画かなぁ…
例えば「山の絵を描いてください」というお題があったとします。
山型に線を描いて緑色に塗る。これでも「まんが日本昔ばなし」のような山は出来上がると思います。
ですが、本来「山」というのは、高かったり低かったり、雪が積もってたり積もってなかったり、季節によって紅葉があったりなど、いろいろな表情があるわけです。
このいろいろな表情を作るときに絵の具だったり、クレヨンだったり、色鉛筆だったりを使うとします。
12色の色鉛筆がここにあり「これしかないのでこれでなんとかしてください」
60色の色鉛筆があり「これだけあるので自由に使って描いてください」
後者の方が圧倒的に表現力を付けるには楽ですよね。
もちろんプロが描けば12色しかなくても60色並みの表現は出来るでしょうけど、そこはひとまず理屈の上でと言うことで。
でも鉛筆でその色彩感を出すのは絶対に不可能なのです。
もちろん陰影で表現をしようとすることはできても、あくまでモノクロであってカラーにはならないのです。
60色あっても結局は12色しか使わなくてもいいのです。
何が言いたいかというと、もうおわかりだとは思いますが音楽(音)についても同じことが言えますね。と。
ある楽器で音を出しました。
その音色しか出せません。
その大きさしか出せません。
その強さしか出せません。
これでは、そりゃモノクロどころかそれ以下のものになってしまうわけです。
「息」というのは目に見えるものではありませんので、それをどう作ってあげようか、どう形づけてあげようか…というのは奏者に任せられてるわけです。
この曲を吹くときにはこういう息で、こういう吹き方で、こういう音色を出してあげる。
はたまた別のこの曲を吹くときには、さっきの曲では使わなかったこういう息で、こういう吹き方をして、こういう音色を出してあげる。
など臨機応変に対応をしてあげることで、その音楽の持つ力であったり魅力を最大限に引き出してあげることになるわけです。
…で、
いま書いたような「臨機応変」にできるようにするために普段から音の種類を、音という道具を、コツコツと作って引き出しに保管しておいていただきたいわけです。
プロはなぜ上手なのか。
その音という道具、それらをしまっておく引き出しをきちんと備えてるからなのです。当然、その引き出しを作ったところで中にしまっておく道具を取り揃えてなければ意味はありません。
引き出しを開けてみた。いろんな音(道具)がたくさんある→さてこの曲、この部分を吹くにはどの道具(音)を使おうかな…となるわけです。
「これが必要そうだから買っておこう」と思ってそれを買ってみたものの、結局使わなかったな(笑)
ってことがあるかと思います。(ここは音楽以外の話)
でもまた別の機会で「あ!この前買ったアレがあるじゃん!引き出しにしまってあるからそれ使おう」ってこともあるかと。
それと同じ考え方で、音に関しても楽譜上では「ド」は「ド」であり「レ」は「レ」ではあれど、使い方、使う場面に応じていろんな「ド」だったり「レ」だったりするわけです。
なのでそのいろいろな場面で使い分けられる音を作ってほしいわけですね。
音だけでもこれです。
これにリズムの吹き方も掛け合わされるとそれはそれは膨大な量の「道具」ができあがるわけです。
そしてその「道具」がたくさん揃ってくれば、いずれ「武器」に変わるわけです。
ただただ正解だけを追い求めるのではなく、試行錯誤をしながらその道具の数を増やしてゆき、取捨選択しながら上手に使いこなしていってほしいわけです。
いまその場で不正解(不要な)な道具の使い方も、別の場面では正解(必要)になることだって充分にあるわけですから。
息と舌だけで、それとその使い方だけで、たったそれだけで、かなりの量の道具(音)ができあがるんですよ?なんとおトクなんでしょう(笑)
いまその場で求められている音はどんな音なんだろうか、どんな演出が求められているんだろうか…
そんなことを考えながら楽譜という台本を読み、その台本に沿ってどのようにその音符というセリフを語り、どのようにそのストーリーを演ずるか…、どのように演者のひとりとして振る舞うか…
これに尽きるんです。
何度でも言いますけど、我々は人間なのです。
入力された信号を正しく出力する機械ではなく、喜怒哀楽を兼ね備えた「人間」なのです。
機械で創り上げた音楽よりも、人間が人間くさく演奏された音楽の方が、聴いている人には届くものだと私は思っております。
だって聴いてるのだって「人間」なのですから…
ではまた〜♪
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