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ゆるく生きられない人の特徴と改善方法

はじめましての投稿( https://note.com/maenomerry/n/n5323644ee426 )で書かせていただいた通り、私は全然ゆるく生きられない人でした。

そんな過去の私がどんな人物だったのか、今はどうしているのかをご紹介していきます。

今でこそ以前勤めていた会社の隣の席の人に「テキトー人間の代名詞」みたいな扱いを受けていた私ですが…本人に言うってなかなかですよね(笑)

私はそれくらいゆるい人間なんですが、昔は毎日毎時毎分毎秒自分以外の他人に気を遣って生きていました。

(それで自分のことがおろそかになりまくりの人生だったことにも以後触れていきたいと思っています)

そういうタイプの人ってそれをまた表に出さないから、世の中にはたくさんいるのに知られずにいるんじゃないかと感じています。

そもそも私がなぜゆるっと生きる方へシフトチェンジしたかと言いますと、何かこれというきっかけがあったわけではなく、ある日突然ぼんやりと「あ、これこのままだと早死にするな…」って思ったんですよね。

漠然と。

今これをお読みになってる方、それ感じませんか?

あらゆるところで自分をすり減らしていて、具体的にどうというわけではないけれど、この無理が積み重なっていつか崩れてしまうな…ってうっすら気づいてませんか?

あーこのままだと体なり精神なり病んでくな…ってなんとなくありませんか?

私は20歳前後で気づいたんですよね。

そこから少しずつゆるく生きるようになりました。

それでは具体的にいきましょう。



・めっちゃ話聞く

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どこにいても誰と居ても空気を読む。

どんなグループの中で話していても誰の話でもすっごい聞いてる。

上司の話も前のめりで相槌打ってうなずく。

友達の中でも聞き役に徹する。

聞いてるからフォロー入れまくり。

次の予定もあるのに話の切りどきがわからない。

というか今が切りどきってわかっても自分から切れない。

自分から電話が切れない。

ちょっと前だとオンライン飲み会の終わりが見えない。

いつトイレ行くねん、そもそもオンライン飲み会断れない。

って感じじゃないですか?

これは過去の私のことなんですが。

もう察して察しての人生といいますか、まあ早い話「いいこ」でいるみたいな感じですね。

好かれたいとか贅沢言いません、嫌われたくないですみたいなスタンスでした。

今でも生きていくために、わざわざ自分から嫌われにいくことはしなくてもいいと思っています。

わざと嫌われるような行動をとるというのは違うと思いますが「嫌われないようにする努力」って無駄だと思ったんです。

自分がその対応をされる側だと考えると「あーこいつ嫌われんように必死やな…」ってことが見て取れたら感じ悪くないですか?

「好かれようと必死」と「嫌われたくなくて必死」って似てるようで違うと思うんです。

「好かれようと必死」な場合って少々落ち度があっても、あー自分のこと好いてくれてんねやなって好意的に受け取れますよね。

でも「嫌われてくなくて必死」って感じ悪いですよね。なんかそれ多分自分にだけじゃなくて万人にみたいなことだし、そんなビクビクおどおどしなくても私あなたのこと取って食べたりしませんから…ってなると思うんです。

まず、話をよく聞くことはとてもいいと思います。

やっぱり誰でも自分の話を聞いてもらいたいですから、しっかり話を聞くと人に気に入ってもらえます。

いわゆる「傾聴」というものですね。それはいいことなんですが、話の切りどきに困ること。これは変えたところですね。

この話題が切れたらおしまいにしようって考えると思うんですが、取り留めのない世間話ってマジカルバナナ方式にどんどんつながっていくんですよね…無限ループ…

それができる人は既にゆるいです。

私ぐらいゆるくなってくるとありとあらゆるものをきっかけにして突然話は終わります(笑)

電話がかかってきたから、あるいはこれから電話がくる来客があるとかを突然思い出すだけでもきっかけになります。

案外話がブチっと途切れても人ってそんなに気にしてないもんなんですよね。

だって思い出せますか?世間話の最後の会話。

友達とお茶しながら世間話してる最中に電話がかかってきたとき、あれ?なんの話してたっけ?ってなりませんか。

それと同じです。

急に話が終わったって大丈夫なものです。

先の予定があるのでとタイミングは気にせずサクッと終わらせましょう。



・誘いを断れない

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先ほどちらっとオンライン飲み会断れないと書きましたが、とにかくなんでも誘いを断るのが苦手じゃないですか?

せっかく誘ってくれたんだから悪いなぁ…って思って断るのが心苦しい。

忘年会を断る人がいるなんて思いもしなかった…とか

ほとんどの人が参加する様子のLINEグループが動き出したときの恐怖…早く誰か断ってくれ一人目にはなりたくない…って思いませんか?

私が一番断りづらくてしんどかったのが学生時代のバイトのシフトですね。

短大だったので学業は大学生に比べると空いている時間は少なかったんですが、夏休みとかそういうまとまった休みは長いのでフリーターみたいなもんですよね。

他のバイトのおばちゃんからまあ代わってくれってメールや直談判が多い。

バイトのシフトって月単位で決まってることが多いので、直前で予定が変わったりすると個人交渉になるのは今もあるあるではないでしょうか。

それがもう断れなくて社畜の極みでした…地獄の14連勤。

おかげで上司にはかなり気に入られましたけど、だからって何が残ったかな…ってところですね今となっては。

それがきっかけでゆるく生きようってなったわけじゃないところがすごいというか、これみなさんも気づかないというか無理してる人がわからない部分じゃないのかなと感じます。

無理してる人って、「まだいける」とか「なんとか乗り切れた」がギリギリ過ぎるんですよね。

だから真面目な人ほど鬱になるんだと思います。

私も14連勤、気合いで乗り切れたって思ってましたけど体力も気力も振り切れてましたよね…

というかそれでお金なりなんなり得ていたら実りあるものですよ?

でもバイトですからね。

時給で働いてますし、パン屋さんだったんですが、別に将来パン屋になろうとかではなかったので、単純に安い賃金で自分を酷使していただけなんですよね。

なので、ギリギリまで耐えるのではなくちゃんと断る。

これはもう断固として自分を守るために意を決してやってください。

じりじりくることなので、だらだらなんとなくで了承しているとそれがエスカレートします。

周りもそれでこの人は対応してくれるんだと勘違いしてしまいます。

空いてるとか空いてないとかじゃない、その日は休みだ。

休むことも次の仕事のために必要なことですからね。

それは遊びも同様です。

なんとなく気が進まなくて行った飲み会、行ってみてやっぱりつまんなかった。お金も時間もどんどんなくなります。

どちらも有限です。すぱっと断りましょう。

でね、断ったからって嫌われません。

こういう「ノリ」のものには参加しないんだとか、この人は火曜は習い事をしているから誘ってもこない人なんだっていうキャラ付けになるだけだと思うんです。

そこに感情はありません。

こういう人なんだと分類されるだけなので大丈夫です。



・メッセージの返信に心血を注ぐ

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LINEはできるだけ早く、既読スルーなんてめっそうもない。

長文送られてきたら全部に事細かに返事しなければ…

ってなりませんか?

ビジネスの返信はそりゃ早ければ早いほどいいでしょうよ。

それに定型化されてますからね、それにしたがって返すだけだし、「私個人」の裁量じゃなく「会社」のことだからとぱぱっと返事できるという人も多いのではないでしょうか。

そうではなくて、友達や会社の同僚や先輩の場合ですね。

オフィシャルでない場合の返信。それに精神を削られていませんか?

今はLINEやSNSが発達してなかなか人がつかまらないことが減りましたよね。

古き良き時代に生きてたなと思いますよ。

私は小学生の頃はポケベルの世代です。中3でケータイをもったので、連絡手段は家電でした。

まだ彼氏の家に電話して、お姉さんが出たらどうしよう世代です。

今はLINEの返事が気に入らなくていじめられる時代ですよね…

誰かだけを抜いたLINEグループが乱立していて、そこで抜かれた子の悪口が流れてるなんて怖い話も聞きましたが、どこまで本当なんでしょうね…

それはおいておくとして、LINEって気軽なツールだと思うし、それに既読というシステムは見ましたよってわかるようについているシステムでしょうからそもそもそれでよくない?ってことですよね。

必要最低限だけ連絡して、他に必要なら通話なり会って話すなりすればいいわけですから、そこまで必死になることではないのかなと思います。

要点を押さえてレスポンス、会話が終了したと思ったらそれで終了。

会って話すと気さくだけどLINEだとサバサバする男子とかいますよね。

あれでいいと思うんですよ。自分をそういうキャラに仕立てあげましょう。

口べたならぬLINEべたですね。

そういう人だからという位置にこぎつけましょう。


・見栄を張る

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こう書くと私はそんなブランドばっかり身につけるとかないから…って思うかもしれないですが、見栄ってそういうことだけじゃないですよね。

「私ふつうです」って見せたいのが見栄だと思います。

日本人って横並びを重んじるので、平均的なところにいるのを重視されてると感じてそういう対応になる方は多いのではないでしょうか。

できないって思われたくない、変だと思われたくない…それが見栄です。

服を選ぶ時、カバンを選ぶ時、化粧をする時の動機が「変じゃないかな」になっていませんか?

私はそうだったんですよね。

これってふつうに見えるかな、変じゃないかな、世間のステレオタイプにあてはまる格好をできているかなって考えて身だしなみを整えていました。

今は過ごしやすい服装を心がけています。

もちろん清潔感があるとか、不審じゃないとかある程度はどう見えているかは大事ですよ、誤解は与えたくないですから。

誰かや世間のために服を選ぶのをやめました。自分のために服を選びます。

でね、これができるようになったきっかけっていうのが「他人は自分のことをそれほど見ていない」とわかったからです。

同じ服を着ていたって誰も指摘してきません。というかまず何を着ているかなんて誰も見ていません。

そりゃファッションリーダー的な方は見られますよ?

見てあの人が着てたワンピースがめちゃくちゃかわいくて欲しい!とかってなりますけど、隣の席の人が何着てたかとか8時間一緒にいても全然見てませんよ。

私のことテキトー人間っていう彼が今日何色のネクタイで何色のシャツだったかなんて知りませんから。

それと同じです。私の格好も誰も気にしていません。

大丈夫、誰も見てませんから好きなものを着ましょう。



ということでいかがだったでしょうか。

自己啓発的なこととか、科学的なこととか、哲学的なこととかなんでもいいんですが、そういう何かしらちゃんと根拠もあって無料で公開されている知識って今いっぱいあるんですよ。

あるんですけど、ハイレベルだと思いませんか?

いきなりそんなこと言われても内容入ってこないなってなりません?

なので、そこに行き着くまでのかけはしになれたらいいなというのが私のスタンスです。

難しいことはできるようになってからでいいじゃない。

今はゆるっとちょっとずつ、でもひとつひとつは大したことがなくても変えていくことがあなたの自由な楽しい時間を増やしてくれますから。

ニーチェも言ってますよね、

「毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、毎日は下手に使われ、翌日もダメになる恐れがある。」

小さくても何か自分を良き方へと向かわせてくれる行動は明日の自分を良くします。

みなさんの明日がマイペースな時間でありますように。


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