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誰もやらないシュトーレン作り

1年かけてシュトーレンを作るなんて、これまで誰もしてこなかった。
いや、誰もする必要がなかったというのが正しいかもしれない。
けど、自分にはそれをする必要しかなかった。  

「食べ物を作る仕事は尊いけど、愚かだと思う」
ある日の友人との会話で、何の悪気もなく飛び出たその言葉と、何ら言い返す事のできなかった自分。
その言葉は今でも胸の奥に沈んだまま。

兼業農家の家で育ち、食べ物を育てる大変さを知り、自分も食べ物を生業にする身として、できる事はなにか。
もがきながら、転がりながら、東京から高知へ移住し、たくさんの魅力的な人に出会い、その方達の育てた素材を使ってシュトーレンを作り始めた。

目の前にあるもの、これまで受け継がれてきたもの、それらを買わせてもらうのは単なる買い物ではなく、生産者さんの日々の営みに敬意を払うことにつながる。

たしかに、1年かけて素材を集めてシュトーレンを作るなんて、その人の言葉を借りれば愚かなのかもしれない。
けど、この「愚かさ」こそが未来を変える力だと信じている。

「野菜は安くて当たり前」
「農業は大変で当たり前」
「食べ物を作る仕事は大変で当たり前」
その当たり前を変えて行きたい。
自分たちがどんな思いで作り、生産者さんがどんな姿勢で作物に向き合っているか。

その背景を1人でも多くの方に知ってもらいたいし、背景のある商品は人を豊かにし、幸せにすると信じている。

それを知ってもらうために東京でトークイベントもするし、百貨店へ対面販売に出掛けて思いの丈をお伝えしている。

非効率だと言われようが、愚かだと言われようが、目の前の人、出会った人を大切にしていくことしかできないし、それがAIの幕が上がった今、人間のできる事ではないかと思う。

「高い」「そんなの無理」「出来っこない」「だれも買わないよ」

無数の声に心は折れ、押し潰されそうになる。
価格を抑えるために添加物を使い、仕入れ値を抑えるために安さを競わせ、朝から晩まで身を削りながら働いていたら幸せだったろうか。 

社会に対する違和感、自身の劣等感、世の中に対する憤りを抑え、大きな組織の中、ホテルのコックとして働いていた方が幸せだったろうか。

否。

否、にしていくために歩き出したはず。
早く、強く、力のある人が生き残れる社会ではなく、愚かでも、非効率でも生き残れる社会がいい。

高齢化が進み、農家を辞める人が増えていく中、正直このシュトーレンをいつまで作り続けられるか分からない。

だけど、自分たちがこのシュトーレンを作ることで「カゴノオトがやってるから私も、もう1年がんばるきね」と言って、作物を育て続ける方がいらっしゃるのも事実。

そして何より1年かけて作られる作物が尊いように、買って下さる方の1年もまた同じように尊い。

この小さくなっていく日本で、誰しもイージーな時間を過ごしている訳ではなく、1年を乗り切るには相応な負荷がかかる。

その1年の労を労えるような、1年を祝福できるような、人に寄り添うお菓子が作れたら、それは希望になるのでは、と思う。

そのためには付け焼き刃の地産地消ではなく、その場所に暮らし、1年をかけて、人生を賭けて、喉を枯らし、背景を伝え、シュトーレンを作り続けていく。


1年を祝福するお菓子

1年の自分自身へのご褒美

1年分の「ありがとう」を伝える贈り物

誰かの明日に小さな明かりを灯すため、愚かな場所から、大きな夢を持って、誰もやらないシュトーレンを作り続けていきます。

「1年かけた四万十の旬でつくるシュトーレン」の詳細はこちら↓

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