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プロとして、という言葉の難しさ

みなさん、「プロ」って聞いたとき、どういうことを感じますか?

「プロ」という言葉から考えられるのは、
・その物事に精通している
・その物事に対して責任を負う
などなど、色々あるかとは思いますが、、なーんか違和感を感じることがありまして。

プロらしくあるということ

まず、プロと名乗る場合、それでお金を頂くことが多いかと思います。それもあるので、絶対的な知識があり、そしていただいたお金もしくは「プロ」ということへの期待感に応えるだけの責任は発生するかと思います。

例えば金融業の場合、割とカッチリした服装をすることが多く、見た目で「あ、この人不動産屋さんだ」とか「プルデンシャルの人だ」と分かることが多いかと思います。

銀行の人がヨレヨレのシャツで髪もボサボサ、ヒゲも汚い感じだったら、どんだけ良いこと言ってても信用しにくいですよね。

ちなみにプルデンシャルの人ってみんな
・ネイビーのスーツ
・刈り上げ
・色黒
・笑顔
・筋肉
・あといつも感謝してる
ってイメージがあります。ありません?

それはいいんだけど。

違和感を感じることというのは、たまに「私はプロなんだから気軽に相談してこないで」という人がいるケースです。

敷居を上げてしまったことによる弊害

それ自体はよく分かるんです。特に情報商材(コンサルなど)であれば、友達に恋愛相談をするように「これってどうしたらいいの?」と言ってしまうと、向こうはそれでお金を頂いているわけなので、「そんな気軽に言われましても。。」というのはその通りだと思います。

そんな人に気軽に聞くことはもはや失礼。それはそうなんです。
ただここで思うのが「プロとしての敷居が高すぎることも問題」ということです。

気軽さと専門性の両立

確かに、プロとして磨くことは多いですし、お友達感覚で聞くのはどうなのよ、というのは間違いありません。
だがしかし、それによって「軽々しく聞くんじゃない」というスタンスになってしまうと、「そもそも相談しにくい、、自分なんかが相談できない、、」ということになってしまうと思います。

この辺難しいバランスだと思うんですが、僕が理想とするところはあくまで「知識はホンモノ、でも親しみやすい」というところだと思っています。(あくまで僕の場合)

人によっては「ブランディングやマーケティング的にかなり絞っておきたい」ということもあったり、「自分の中長期目標に照らしてこのタイミングはあえてこのキャラでやりたい」という人もいるかと思います。

てかなんでプロになろうとしたの?

ただ、個人的に思うのは、そもそもプロになろうとした理由って、「そのものの素晴らしさを多くの人にわかってほしい」から始めたんじゃないかと思っていて、それで言うと敷居を上げてしまうことは当初の目的と逆行しているんじゃないかと思います。

繰り返しますけど人によって目的があると思うので一概に何が正解か、は言えないところだと思います。
ただ僕自身は「金融をエンタメにしたい」という目標があるので、少なくとも一部のヲタクのための学問にするのではなく、広く一般のための親しみやすいプロを目指したいと思います。

と言っても、あくまでもプロだからヲタクが来たら「もーむり」って言いたくなるくらいのストックは用意しときますけど。

働きづらさや男女の問題など、生きづらさを解決する糸口を一緒になって考える「パパFP」。公務員からフルコミの営業にトライし、2年で業界トップ1%のMDRTに。夢は社交ダンスで世界大会に行くこと。