八村塁選手と日本のバスケに思うこと

MJとスラダン以降のバスケ

僕は長年のバスケファンである。高校大学とバスケをし、社会人になってからもバスケをしていたし、今でもバスケを見たり、たまにはプレイをしたりする。

僕の高校時代(1990~1993)のスターはマイケルジョーダンだった。僕は天邪鬼でラリーバード率いるボストンが好きだったが、MJのかっこよさは、まさに神だった。平行してスラムダンクがブームとなり、バスケは一躍人気スポーツとなる。

ただ日本のバスケ界自体は混乱する。国内リーグはというと実業団がJBLになった一方で、2005年にはbjリーグなるプロリーグもできて、2リーグ並立状態に。バスケ人気は徐々に浸透しつつも、カオスな状態が続く。

僕は社会人になってロサンゼルス駐在をしたことがあり、自然にレイカーズファンになった。当時のスター選手はコービー。2008年、パウガソルの加入で、一気に強くなったLAレイカーズは優勝する。日本帰国後も日本のリーグには興味が持てない状況が続く。見るのはもっぱらNBAだった。

屈辱の2014年~JBAの国際活動資格停止処分~

2014年。日本のバスケにとっては屈辱の年だ。日本バスケ界の混乱を理由としてFIBAがJBAに対して国際活動への資格停止処分を下したのだ。これがたったの10年前だ。改革のために白羽の矢が立ったのがJリーグを成功させた川淵三郎氏。さらに現会長の三屋裕子氏も呼ばれる。畑違いのサッカー界、バレーボール界の人がJBAの会長となり改革に乗り出すのだ。翌年FIBAの制裁は解除されるものの混乱は続く。

忘れられないのは2018年の日本代表選手がジャカルタで買春をした事件。実に情けなかった。そんな困難を乗り越え、結果として川淵氏らの改革は成功し、2リーグは統一。発足したBリーグはいまや大人気になるのだが、これもわずか6年前の話である。

救世主、八村塁の登場

さて、八村塁の登場である。僕が彼の存在を知ったのは彼が高校2年生の時。2014年のFIBA U17ワールドカップである。今でもYoutubeなどでその時の試合は見れるかもしれないが、アメリカ代表との試合には衝撃を受けた。日本代表はチームとしては全く歯が立たないのだが、たった一人だけ果敢にアメリカ代表に立ち向かっていく男がいた。それが八村塁だった。

今は大スターとなったジェイソンテイタムも参加したアメリカ代表に対して、八村塁だけが一歩も譲らなかった。衝撃だった。日本代表は1勝しかできなかったが、八村はこの大会で全体の得点王になる。日本バスケ屈辱の年、2014年に、未来のスーパースターが生まれ、八村は日本バスケの唯一の希望となり、救世主となった。

彼は完全なる日本人である。ベナン人のお父さんと日本人のお母さんのハーフであるが、富山県に生まれ、高校は名門の明成高校に進む。英語はいっさい喋れない素朴な日本のバスケ少年だった。しかし、八村が日本人ではじめてまともにNBAに挑戦できる逸材であるのは明らかだった。周りが放っておかない。彼は高校卒業後、米国に渡りバスケの名門ゴンザガ大学に進むことになる。

米国での苦労の末NBAへ

富山県の田舎町で育った八村にとっては大変だったことだろう。勉強だって甘やかせてはくれないのがアメリカの大学。英語のサポートの先生はついたようだが、それでも授業についていくのは本当に大変だったと思う。バスケの方は、2年生から八村はチームの中核選手になっていく。当時最も強かったのはザイオンウィリアムソン率いるデューク大学であるが、マウイインビテーショナルという大会では八村がキャプテンシーを発揮し、ゴンザガ大学が決勝でデューク大を破り優勝するといったこともあった。もうその瞬間など僕は心底熱狂したものだった。

2019年、今からちょうど5年前。八村は日本人として事実上はじめて(正確には岡山さん以来となるが)、NBAのドラフト指名を受け、1巡目9位指名でワシントンウィザーズに入団が決まる。これにも僕は熱狂した。ウィザーズでは主にスターターをつとめ、1年目から1試合平均10点以上をとり、ここでも中核選手になっていく。もうこれは信じられないことだった。

その後も、コンスタントに活躍し、2023年には名門LAレイカーズに移籍する。そこではMJと並ぶ史上最高の選手と言われるレブロンジェームスと同じチームになり、一緒にキャンプをするなどレブロンの信頼も得て、中核選手として活躍し、現在に至っている。

日本バスケ界の改革と日本代表を支えた八村

日本代表については、JBAも改革を進める中で、2017年、アルゼンチンを北京五輪で銅メダルに導いたフリオラマスをHCに招聘。大物監督の招聘に日本のバスケファンは期待が膨らむ。とはいえ日本組で構成した日本代表はなかなか世界に勝てず苦しむ。そこでついにJBAとラマスは動く。ゴンザガ大学と交渉をし、八村にワールドカップ予選に参加してもらうことに成功する。そこから日本の快進撃が続いた。八村や同じく米国に渡っていた渡邉雄太の大活躍で、ついに日本は2019年のワールドカップ出場を決める。実に13年ぶりの快挙だった。

FIBAの制裁から5年。ここまで日本代表は変わるのかと思ったものである。その立役者は3人、川淵三郎氏、フリオラマス氏、そして間違いなく八村塁だと思う。この3人がいなければここまでにはならなかった。この3人には長年のバスケファンとして本当に感謝しかない。

八村はワールドカップ本戦や2021年の東京五輪でも日本代表として戦ってくれて、これが強豪国相手の善戦につながった。NBA選手の場合には、チームやスポンサー、コンディションなどの影響で、国際大会を欠場することは多いのだが、八村は出れる大会はほぼ出てくれた。

ただ、2021年の東京五輪のあと、米国に戻った八村は、「メンタルヘルス」を理由に約半年間NBAの試合を欠場することになる。どんなメンタルヘルスの問題だったのかは不明であるが、僕から見ていても日本のメディアの報道やSNSなどでの八村に対する評価はおかしかった。彼が五輪全敗の戦犯であるかのような書きぶりが目立ったのだ。長年のバスケファンであれば、彼がいなければ五輪に出てすらいないと思うはずだが、にわかファンはそうではなかった。

恐らくそんな事情もあって、昨年の沖縄でのワールドカップは(鼻から無理な話を除けば)僕が知る限りはじめて八村が日本代表を辞退することになった。これはいずれにせよ無理もない。名門レイカーズで大型契約をした年でもあったからだ。NBAの次シーズンに向けて調整するのがどう考えてもNBAプレイヤーとして正しい選択だ。

沖縄ワールドカップの歓喜とホーバス発言の悪夢

沖縄ワールドカップについては、結果的には日本は盛り上がった。女子バスケの指導者となっていたトムホーバスがHCにつき、女子バスケさながらのスリーポイント中心の戦術が、うまくはまり、フィンランドなどの上位国にも勝ち、パリ五輪進出を決めたのだった。ここまでは僕はとても良い流れだったと思っている。

しかし、悪夢は直後に訪れた。2023年9月。ワールドカップ直後のトムホーバスの記者会見の場である。ワールドカップを欠場した八村塁のパリ五輪出場に関して記者から質問を受けたホーバスはこう答えたのだ。

「まあ僕は彼がやりたいなら、彼から声をかけていいと思います。私たちのスタイルは変わらない。彼が来るなら、うちのバスケをやらせます」「ぜひ彼に入ってほしいけれど、彼がやらないならこのメンバーでいいチームをつくりましょう。自信あります」

沖縄ワールドカップではじめてバスケに熱狂した日本人もたくさんいた。彼らはこの言葉を聞いて頼もしい監督だと受け止めた。しかし、僕は、顔が青ざめた。高校時代から日本のバスケを支えてきた八村に対して、さすがにこの言い方はない。「うちのバスケ」ってなんだ? この10年、日本のバスケは八村そのものだったといっても過言ではない。八村はそんな存在だ。日本代表チームを率いてまだわずかのホーバスが「うちのバスケ」とは、何を言い出すのか? 

少なくとも、ホーバスは明らかにワールドカップに出場してくれなかった八村をよく感じていない、と思った。僕はNBA選手として当然だと思ったが、ホーバスの受け止めは違ったということだ。そして、八村が欠場した苦しい中で、五輪出場を勝ち取って気持ちが高ぶっていたのかもしれない。しかし、五輪はワールドカップとはレベルが違う。事実、豪州とドイツには完敗していた。五輪ではこういった国しか出てこないわけで、勝つには八村の力が絶対に必要だ。

ホーバスに関して誤解されることも多いようなのだが、彼の選手としての実績はほぼ日本の実業団である。NBAではなかなか成功できず日本に来た助っ人外国人だ。さらにラマスのような男子の国際試合で実績のある外国人監督ではない。さすがにもう少し配慮のある言い方があるはずだ、と思った。

パリ五輪前の恩師訪問

パリ五輪は、皆さんの記憶に新しいところだろう。色んなことがあったが、僕がもっとも深刻だと感じたのは、ホーバスとの関係悪化である。どう見てもこの二人の関係はおかしかった。

八村はパリ五輪直前の7月1日に、故郷富山に戻っている。そこで、母校奥田中学の恩師である坂本譲二氏に会いに行っている。のちの現代ビジネスの記事によると、坂本氏は八村にこう語ったとのことである。

「世界のチームは最初からNBA選手が来るということを想定して、チーム作りをしてる。けど、日本の場合はお前がいなくてワールドカップを戦い抜いて、五輪のキップを勝ち取った。だからお前はよく試合や仲間を見て、自分がどういう風にすれば日本のチームにフィットするかを考えてみろ」

坂本氏は八村が何を語ったかには触れていないが、恩師に対してホーバスが自分が来ることを想定してチーム作りをしていないことに対する不満を述べたことは想像に難くない。僕だって八村の立場だったら同じ不満を持つだろう。八村の実力を考えれば、彼がジョインした場合のフォーメーションを10個くらい用意しておくのが日本代表監督に求められるものだと思う。でも実際には、ホーバスは前年の記者会見で語ったそのままであり「彼が来るなら、うちのバスケをやらせます」というスタンスだったのではないか?

パリ五輪での奮闘

もとより八村がいなければまともに世界には通用しない日本代表であったが、ワールドカップ以降の日本の新しいバスケファンはホーバス采配を絶賛し、河村-ホーキンソンのホットラインなどの話題に夢中だった。自分用のフォーメーションが一つもない状況で、八村は唖然としたことだろう。

フランス戦の八村の前半は、これまで見たことがないくらい集中していた。楽しんでいるとも違う。苦しんでいるとも違う。俺が日本代表そのものなんだ、というプライドではなかったか。ゴベアやウェンビーのディフェンスを物ともせず、ひたすら個の力で打開した。神がかっていた。そして、神がかった、その態度は審判にとってはマイナスの印象につながった可能性はある。

不運なことに2回のアンスポーツマンライクファウルで退場となった。最後のブラジル戦の欠場に関して真実はわからない。でも、何らフォーメーションが用意されていない中で、個の打開力だけであれだけ活躍した八村は流石だった。ただ、八村ファンにとっては後味の悪い五輪となってしまった。

ホーバスの代表留任と記者会見

ホーバスの代表監督留任が決まった。記者会見で八村について聞かれて「(日本語の)ニュアンスがわからない」「予選はもう参加しないんじゃないんですか」と他人事のように答えた。ロサンゼルス五輪8強を目指すと言っているのに、八村について聞かれて他人事ではいけないだろう。JBAもホーバスも、聞かれることが想定されるのだから、八村についてはこういう方針だ、と記者に質問されなくても回答を準備しておくべきだろう。これは、僕でもそう思うのだから、いわんや八村本人がどう思うか、想像に難くない。

報道では、八村がJBAやホーバスを批判した、とされているが、記者から日本代表について聞かれたので、とても正直に、誠実に答えただけだと思う。ホーバスやJBAの、八村に関する質問への回答の方が、よほど正直さや誠実さに欠けると言えるだろう。八村は日本の至宝であり、アジアの至宝である。八村がバスケに集中できる環境を作ってあげることもJBAの重要な役割ではないかとも思う。

最後に

この10年、日本のバスケ界は見違えるように進化した。上で貢献した3人の名前を挙げたが、もちろん彼らを支えた関係者の努力のたまものでもあることは言うまでもない。また、多くのバスケファンが日本のバスケを盛り上げてくれるようになったことは素直にうれしい。今回の話は悩ましい話ではあるが、10年前のことを考えれば贅沢な悩みである。

JBAも関係者も、日本の至宝の正直な意見にしっかりと耳を傾け、一個一個壁を乗り越えていくことで、もっともっと日本のバスケの未来は明るいものになっていくだろう。これからも八村や河村はもちろんのこと、Bリーグや学生バスケも含めて応援し、日本のバスケのレベルが上がっていくことを心より祈っている。




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