私のNAC5スタジアム物語
(文 前島ひでお)
NAC5スタジアムは1964年の東京オリンピックに向けて作られた。オリンピックでは、国立競技場はじめ5か所で試合が行われた。
国立 三ツ沢 駒沢 秩父宮 大宮
大宮蹴球場では以下の試合が行われた。私は当時近くの大砂土小5年生で、高学年だけ歩いてサッカーの試合を見に行った。記憶では、背の高い選手がいた事だけである。 ここでの試合は以下の通り。
ルーマニア ー メキシコ
ルーマニア ー イラン
チェコスロバキア ー 韓国
チェコスロバキア ー ブラジル
アラブ連合共和国 ー ガーナ
日本はグループD 準々決勝進出
アルゼンチンに 3-2 杉山 川淵 小城
ガーナに 2-3 杉山 八重樫
イタリアは棄権したので、日本は準々決勝進出
準々決勝は
チェコスロバキアに 0 - 4
順位決定戦
ユーゴスラビアに 1 - 6
最終順位
1 ハンガリー
2 チェコスロバキア
3 東西統一ドイツ
4 アラブ連合共和国
5 ルーマニア
6 ユーゴスラビア
中学生の写生会は大宮公園。現地集合・解散だったため、3年の時友人とボールを持って行き、昼飯終わった時に柵を乗り越えサッカー場に入りサッカーをした⚽️ それが初めての芝生でのサッカー。
3歳下の弟は植竹中のサッカー部で県大会に出る強豪チームだった。3年生の夏準決勝から大宮サッカー場でできたのだが、植竹中は見事ベスト4に進出したのだ。その時私は弟の試合を見に行ったわけだ。その後弟はサッカーはやっていないが、熱烈なレッズファンになり年間チケットを買い通い詰めていた。時々一緒に行かないと私を誘ってくれた。
私が若い頃、埼玉県には教職員スポーツ大会があり、サッカーの部に私にも声がかかり参加した。決勝戦は大宮サッカー場で試合ができるのだが、私のいた大宮はその頃強く優勝を重ねていた。その為私はわずかな時間であるが、芝のグランドでゲームすることができた。その頃、スパイクは持ってなかったので、友人から譲ってもらったのを覚えている。
NAC5スタジアムになってからは、暇を見つけては試合に行った。特に熱狂的なファンではないが、生の試合を見ながら生ビールを飲むのが好きだからよく出かけた。城の最後の頃の試合では彼のそれまでのW杯での不評などありかわいそうに思い、声援を送ってしまった。
それにしてもこのサッカー場はすぐ近くでプレーが見られるのが魅力である。