大学卒業
(文 前島ひでお)
前回の市長選の時読売新聞から、卒業証書を見せるよう言われた。家のどこにあるかわからないと答えたら、奥さんにでも探してもらってくれと言われた。
大変忙しかったので、そんな暇はないというと、大学に行けば証明書を出してくれるので、用紙をもらってくるから書いてくれと言われ書いた。経歴詐称がかつてあったので、読売だけ厳しいのだそうだ。
選挙戦に入っていたが、私は気が気でなかった。実はいまだに卒業していない夢を見るのだ。
学生時代自治会活動に没頭して授業にはろくに出ず、立て看板書いたりガリ版でニュースを作り謄写版で印刷して学生に撒いて、ハンドマイクで訴える毎日を送っていた。
大体自治会の委員長は留年が多かったが、4年になりかなりの残り単位があったが一念発起頑張ってみることにした。
まだ自治会の活動もあったので、その時付き合っていた彼女に授業の代返頼んだり、レポート書いてもらったりした。
卒業式前に成績が渡されてビックリ‼️いくつか単位が足りない。それからは教官に頼みに行ったり、追試を受けたりした。その時とんでもないことが起こった。
ある教官から呼び出され「前島君この授業は前期にも同じもの受けているからダメだよ」というのである。
それがないために2単位不足で卒業できないことが確定した。しかし、神風が吹いたのである。春休みの集中講義で2単位取れる授業が見つかった。
確か私を入れて四人が受けたが、全員自治会関係者で歳上。国立教育研究所の先生がドイツの教育を教えてくれた。
中身はよく覚えてないが、暗くしてスライドを見た時などは全員寝ていた。昼飯を先生と一緒に食べて学生運動の話をたくさんしてあげたらとても熱心に聞いてくれ、もっと聞きたいと言うので夜飲み屋にまで行って話してやった。飲み代は先生が持ってくれた。
一週間だったが、先生は「とても勉強になった」と言って全員に優をくれた。この2単位で私はめでたく卒業ができたが、その辺りの泥沼の精神状態がトラウマになり、その後何度も夢でうなされたわけである。
読売の若手記者が私の卒業証明書を持ってきたとき、思わずありがとうと言ってしまった。それくらいハラハラした毎日を送っていたのだ。
最近はだいぶ夢に出なくなったが、その分明日通知票を渡すのにまだできていないとか、テストがたんまり残っている夢を見る。
思えばいつもギリギリまでやることを先延ばしにする性格は今も直っていない。
ちなみに学生時代私の代わりに授業に出たりレポートを書いた人は、今同居している。今だに世話になりっぱなしである。