保育園探しから保育園つくりへ 2
小学校教員になってやがて長男が生まれたときに、どうしてもさくらんぼ保育園のような園に入れたくて探したら隣の浦和市にこぐま保育園という園があることが分かった。早速出かけて行ったが、満員で入れなかった。しかし、園で保育士をしていた方が家庭保育室を始めたという情報を教えてくれた。産休明けから預かってくれ3歳まで可能だったので通わせることにした。
のびる保育室と名付けらっれたこの園は、さくらんぼ保育園の流れをくむ保育で、うわさや私の勧めですぐにいっぱいになってしまった。あっという間に長男も3歳児になりほかの園を探さなければ時を迎えて、我が家もほかの園児の親たちも悩んでしまった。さんざん悩んでいると園長さんが「裏の畑に保育園を作りませんか」と言ってくれた。当時10家庭がいたが、1千万円をかけて新園舎を作ることにした。床は総ヒノキの一枚板である。後でわかったことであるが、引き受けてくださった埼玉土建大宮支部の丸山支部長は赤字で請け負ってくれたそうである。資金集めのためにバザー・物資販売・地域への野菜売り歩きなどもやったが、別所沼公園で開かれた生協祭りで焼き鳥を3千本焼いたことは語り草になっている。
(文 前島ひでお)