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#18 社会人時代のラグビーボランティア

ラグビーボランティアを始めた理由とは!?

こんにちは、鞄乃だいふくです。
今回は、黒崎さんが社会人になった後に行っていた、ラグビーのボランティアについて触れていきたいと思います。

社会人生活を送りながら、土日などの休日にボランティア活動を行う…これって本当に大変なことです。
なぜ、続けてこられたのか、そのモチベーションはどこから来るのか。ちょっと聞いてみたいですよね。

今もなお、紫紺のユニフォームを颯爽と着こなし芝生に立つ

■サラリーマンとラグビー部コーチの二重生活がスタートしたきっかけ

だいふく「仕事をしていると忙しいじゃない!?  そんな中で、ボランティアに関わろうと決意するのって大変だったのでは!? なぜやろうと思ったの?」

黒崎「僕の気持ちの根底にあったのは、自分たちが学生の頃にボランティアのOBの方々から指導を受けていた…という意識だなあ。
もともと大学ラグビー界って、保護者、OB、学生が一体となって活動を維持していくという伝統があるんだ。
ラグビーというスポーツにはもともとアマチュアリズムを大切にする土壌があってね。社会人になっても後輩育成のために、土日のコーチなどを引き受けるのは当たり前という考え方があるんだ。
だから、自然な意識として、後輩の育成のために出来る限りのことをしようという気持ちがあったんだ」

だいふく「ボランティアを引き受けるのは、自然な流れだったんだね。ところで、どのようなきっかけがあったの?」

黒崎「就職して数年が経ったある時、ふと思い立って、東京世田谷の八幡山グラウンドへ明治大学中野高等部(以後、明大中野高校)のラグビー部の練習を見に行ったんだ。
就職後は仕事に専念するために、意識的にラグビーの現場には近寄らないようにしていたから久々のグラウンドだったんだ。
そこで目にした光景が衝撃的で…。グラウンドにラグビー部のOBではないご父兄が革靴のまま入って指導をしていたんだよね。
八幡山グラウンドといえば、ラグビーの聖地。僕たちの感覚では、革靴で入るなどということは考えられないことなんだ。
ラグビー未経験者のご父兄だから、そういったことを知らなくても当然なんだけど…」

だいふく「確かに、その世界のことを何も知らない人が教えていると、身につけてほしいことが身につかないこともあるよね」

黒崎「うん。同時に、OBとしては、大切なものが踏み荒らされている、自分たちのバックボーンが否定されていると感じ、『このままではいけない! 何かをしなければ』と突き動かされたんだ。そして出した結論が、明大中野高校のラグビー部のコーチを引き受けるというものだったんだ」

だいふく「そうやって、サラリーマンとの二足の草鞋の生活のスタートしたんだね!!」

黒崎「日商岩井と三菱商事が統合する時期だったので、仕事もものすごく多忙だったんだよね。さらに当時は名古屋に転勤していた時期だったから、平日は名古屋でめいいっぱい働き、土日には東京で指導…。正直キツい生活だったけど、使命感の方が上回っていたんだ

スポーツを通して次世代を育成する場を作る


次世代を育成するために!!

■ラグビー部の組織を改革

だいふく「黒崎さんの活動テーマである『スポーツを通して次世代を育成する場を作る』には、どのように繋がっていったの?」

黒崎「僕が指導を始めた当時、ラグビー部には『強くなるために頑張る』という意識はなかったんだ。
でも、それをみてちょっと違うなと感じて。部員たちを前にして『君たちは伝統ある明治大学の直系の高校ラグビー部である。今後は私が考えるやり方で進めていく納得できない者は辞めても構わない』と宣言をしたんだ。
もちろんラグビーを始めたての小さい子どもであれば、楽しみながらラグビーというスポーツに馴染んでいくことも大切だよ。でも、“明大中野高校ラグビー部”に入部した高校生。そこには、求められるラグビーへの姿勢、求められる強さといったものが存在すると思うんだ。
だから、このラグビー部を再建しようと決めて、指導の第一歩として、強さを取り戻すことを共通の『目標』として設定したんだ。
結果的に35人いた部員は一気に14人にまで減ってしまった…。14人では単独で試合に出ることすらできない…。
でも、根底から崩れてしまった組織を立て直すには、一度土台からリセットする必要があると思ったんだ」

だいふく「35人が一気に14人…。本当にやる気のある子だけが残ったんだね。その後の練習はどのような感じだったの?」

黒崎「私が現役だった頃と比べて、部員の技術力、基礎体力ともに驚くほどに低下していたんだ。
口で言うだけでは伝わらないから、指導する僕自身の真剣さを伝えるべく、誰よりも早くグランドに入って地面を均するなど、自ら律する姿勢を示し続けたんだ。
練習としては、まず基本的な体づくりと体力の向上が優先。生半可な練習では、今までぬるま湯に浸りきっていたところから一線を脱しきれないから、ハードだったよ。陸上部と間違われるほどの走り込み、その後は延々とパスを繋ぐ基礎練習、さらに当たり負けしない体を作るためのウエイトトレーニング…。基本を徹底して行うことの重要性を繰り返し話して、あらゆることをやっていったんだ」

だいふく「うーっ。きつそーっ」

黒崎「部員たちには『自分に負けるな!!』と常に叱咤激励。限界を越えていかないと、選手としての成長もないし、チームとしても強くなることはできないからね」

だいふく「みんなで目標に向かっていくと、チームワークもついていくし、頑張る姿勢も身についていくだろうね」

黒崎「そうなんだ。目標を定めたら、その目標に向かう『責任』が生まれるよね。そして責任を果たす『実行力』が求められる。責任を意識して実行する力が育成されるのもスポーツの大きな効用なんだ」

■成長した部員の姿を見てスポーツの教育的効果を実感

だいふく「指導の成果は、どうだったの?」

黒崎「厳しい練習の成果は半年ほどで出てきたんだ。つまり、練習試合や公式戦で結果として出てきた。勝ち星を上げられるようになっていったんだ。
過酷な練習を続けてきたことが成功体験に繋がったことで、部員たちの意識が高まり、自信もついていった。
その頃から、練習に対する姿勢も目に見えて変化して、モチベーション維持力も高まっていったんだよね」

だいふく「ほーっ。よかった!!」

黒崎「一丸となって練習をするうちに自然とチームワークも育ち、士気も高まっていったんだ。結果的に、勝つためには何が必要なのかを自分たちで考えるようになっていき、お互いに対する深い信頼関係も築かれていったんだ」

だいふく「成長だ!! こういう話、弱いんだよ。ウルウルしちゃう」

黒崎「僕も同じ!! ウルウルしちゃうよな!!
そういった部員たちの姿を見て、本気で向き合ってきて本当によかったと思うとともに、スポーツの教育的効果を実感するようになったんだ。
結果的に、明大中野高校のラグビー部の指導を続けたのは足掛け5年ほど。ゼロからのスタートだったけど、最後には名門の名に恥じないチームとなって、僕がコーチを辞めた翌年の2004年には『全国高等学校ラグビーフットボール大会 東京都予選』の準決勝まで進むまでになったんだ」

だいふくくん「おお! 花園まであと一歩だね!! まさに黒崎版スクールウォーズだ!!  10代でこんな経験ができたら貴重だよね」

さてさて、その後、黒崎のラグビーボランティアは、その後、明治大学ラグビー部のコーチへと続いていきます。
2007年から2年間、フルタイムのコーチをしたのですが、この時は、当時の上司の理解によって「社会貢献休職制度」ができ、この制度の初の適用を認めていただいて全力の指導を行うことができました。
また、明治大学ラグビー部のコーチを辞めた後には、ラグビースクールやアカデミー、クラブの設立へと活動は広がっていきます。

その辺りのことは、またいずれの機会に。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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