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家業を継いで、自分のルーツや適性と向き合えるようになった #15
「責任感」だけで継いだ、家業
私は前職、美術の教員と福祉施設の指導員をしていて、足掛け12年は、いわゆる「教員畑」にいた。
出産後、コロナや家族間でいろいろあって、三人兄弟で末っ子の私が家業を継ぐことになった。
家業は、会議に関わる録音や原稿作成の仕事で、かなりニッチな業界である。
純粋なる「責任感」だけで継いだ。
その仕事や業務内容は、私は、好きかと言われると、好きではない。
でも、やってみて思うが、能力的には出来るようだ。(と、スタッフに言われる)
ただ、心では楽しいと思えるものではなく、仕事だから、やり遂げようという意識でやっている。
アートに関わることがしたい。でもそれが本業でなくてもいい
元々、大学の教育実習でかけがえのない体験をしたのがきっかけで、中高生と関わりたくて、そしてアートに関わる仕事がしたくて教員になった。
教員から離れて、改めて心底思う。
「教員、めちゃくちゃ楽しかったな」
また機会があればやりたいと思う。
今、それが出来ないのは、家業を継いだことはもちろんだが、子育てしながらだと、教員職が難しいことをわかっているからだ。
今の家業なら、時間や時短(足りない分は土日にスライドして作業)など、臨機応変に出来る。
しかも、アートに関わることは、本業でなくても出来る、ということも認識した。
プライベートて土日に美術館に行くだけでも、心がリセットされる。
これは、教員時代には気付かなかった、アートの楽しみ方だった。
だから、現時点においては、私にとってのやりたいこと(アート)は本業でなくていい。
複業の一つとして、そばにおいて育てていこうという考えに至っている。
家業と向き合って、自分のルーツや適性と向き合えるようになった
家業というのは、自分のルーツそのものだと思う。
私の場合は、家系図を見てみると、父方はアート関係の家系、母方は文字を扱う家系(私が継いだ家業)。見事に分かれている。
私は、家業を継いだことによって、自分に与えられている役割を引き受けた。
自分の人生そのものを本気で考えるようになった。
家業の動向が自分の収入や行末をモロに左右するから、常に自分ごと、なんです。
今まで見てこなかった自分の能力を知ったし、同時に足りない部分も知った。
(実際には足りない部分を知ったことの方が圧倒的に多い)
まぁ、それは、仕事をしている人なら、誰しもが通る道だと思う。
ただ、私の家業は零細企業で規模が小さく、小さいからこそ、最終責任は自分が負うという覚悟が必要だった。
だからこそ、一つ一つ真剣に向き合わないと潰れる、という意識が頭の片隅にへばりついているのだ。(だから楽しめないのだな)
「責任感のみ」で継いだ家業ではあるが、その中から、自分にとっての楽しさや面白みを見出して、今に至る。
ただ、このモチベーションが、あと10年続くとも思えない。
やはり、それなりに大変だし、責務から離れられるなら、転職しようかな、とも思ってしまうのだ。
だから、だからこそ、私がそばに置いておく「アートの道」も常に忘れないでいるのだ。
現に、私はリクナビなどの転職エージェントで、「週1.2程度」の美術講師の募集を、チェックしている。
(週1.2日なら、代表をやりながらも出来るかな、とか。考えているのだが、子どもも2人目も欲しいし、とか考えていると、それは空想で終わるのだが)
いづれにしても、私は家業を継ぐという一つの経験を、今まさに、人生のタームの中でしている。
仕事はもちろん、自分の在り方も考えさせれる。
真剣に向き合わざるを得ない状況に自然と追い込まれる、実に貴重な経験だ。