年の瀬に思う、穏やな過ごし方。幸せのかたち。 #16
仕事納めは、納まらない。
昨日は仕事納めだったが、クレームのあった顧客への謝罪訪問と受注と、全く年末感のない忙しさだったので、仕事は納まらなかった。
納まらないのに、納めた形にしたが。
したがって、今日も隙間時間に仕事をこなすスケジュールを組む。
でも、年の瀬くらい、小さな贅沢を。
朝、軽く掃除し、夫と娘と、近所のパン屋さん(徒歩30分)に行った。
ここでの私と夫は「モーニングセット」600円ほどを頼み、焼きたてのパンと、コーヒーをいただく。
娘は小さなパンとスープ。
私も夫も、結構「ケチくさい」部類に入ると思うが、家族で1,700円ほど使う、年の瀬なら、
「まぁ、いいよね」という雰囲気になる。
そう、我々夫婦には、この「モーニングセット」がプチ贅沢なのだ。
「普段やらないこと🟰プチ贅沢」という定義なのである(笑)
その後、みんなで公園へ行き、娘を遊具で遊ばせたり、バトミントンしたり、縄跳びをしたりと。
私は、その後、1人時間がどうしても欲しかったので、スタバへ。
(夫と娘はその後も公園で遊ぶ)
私にとっての「ご褒美」は、スタバ時間
スタバに2〜5時間滞在することは、私にとって、週一したいことのNo.1であるが、
年の瀬ともなると、「渇望そのもの」である。
やらないと、発狂する、のである。
(夫も当然それはわかっている)
カフェ時間は、自分と向き合う時間。
私にとっては、年末の超必須項目である。
手帳を広げて、仕事のちょこっとしたメールを処理。
また手帳を見ては、頭の中で整理したり、書き出したり、ぼんやりしたり。
何をするでもない。その時間を楽しむ。
今日は1時間半の滞在だったが、まぁ良しとしよう。
今日は家族との時間も楽しむのだ。
したがって、昼過ぎには、ショッピングセンターのフードコートで、また家族で集まり、スーパーで買った唐揚げやおにぎりで、昼は簡単に済ます。
午後も、夫と私で交代で娘の遊びに付き合いながら、行きたいお店や買う物を調達する……
なんでもない、穏やかな過ごし方が、幸せ
結婚する前は「幸せ」って、何かを達成することだったり、大きく変わる、わかりやすいものが得られるものだと思っていた。
お金をたくさん持っていること。
パートナーがかっこいいこと。
いい服を来て、ブランド物をもつ。
車を持って大きい家に住むこと。
(なんか言語化すると、昭和の価値観強いな…苦笑)
でも、違った。
今の私は、上記のどれも持ってないぞ!
(まぁ生活はしていけるレベルのお金はあるが)
今の私にとっては、何でもない、こんな穏やかな休日を過ごせることが幸せなのだ。
そして、それを自然に感じられる自分であることが、幸せなのだ。
目の前に幸せがあっても、感じられない人なんて、たっくさんいるからね。
この穏やかな日々でさえ、貴重な、奇跡のようなものなのだ。
娘は成長し、私も一年一年、歳を重ねる。
7つ年上の夫も、益々歳を重ねる。
二度と同じ瞬間なんて、来ない。
これを噛み締めていきたいって思った。
この一瞬一瞬を味わうことが、幸せなのだ。
それに気付くことができて、よかった。
昔の「ないものねだり」で、固定概念に縛られていた私なら、きっとこれにも気付けなかっただろう。
私も、脳みそが柔らかく、穏やかになったんだな。