noteを書くのは、私が私を忘れないため #11
人間って、相当意識しない限りは、
日々のことを、日々忘れていくものだ。
書かないと、忘れる
メモしないと、忘れる
スケジュールに書かないと、忘れてしまう。
日々のスケジュールでさえ、忘れるのに、
数年前の自分の気持ちなんて、忘れる。
5年前に感じていたことも、3年前に思っていたことも、1年前に掲げた目標も、忘れるのだ。
それはダメなことでもない。
ただ、私は、自分の思いや感情を、noteに書いておきたい。
それは、一つは
私が生きた証を、残しておきたいのだ。
書いたものを、もし私が死んだら、夫が読んでもいいし、娘が読んでもいいし。
じゃあ私が生きた証ってなんだろう?
苦しかったこと、辛かったこと
悲しかったこと
嬉しかったこと、幸せだったこと
色々と、もがいたこと
良いことも、悪いことも、すいもあまいも、だ。
生きるって、喜怒哀楽を感じて、
何かしらで表現していくことだと思うから。
悩みや葛藤も含めて、言語化していく時に隠すこともないかなと。
二つ目は、書くことは、
私が私を忘れないため。
書かないと、わからないこともあるし、
書いて気付くこともある。
言語化することで、改めて認識したり、
心が楽になったりするのだ。
私が私を忘れない
というのは、私の夢や、あり方や、大事にしている価値観。
私が大事にしている思いを忘れないことだと思う。
でも、普通に生活していたら、そんなこと忘れちゃうから。
それも、忘れないように、確認していくのだ。
それには、定期的に文字化していくことが有効だと思うから。
大人になると、幼い頃の自分の夢や、やりたかったこと、忘れちゃう。
夢を叶えられた人って、諦めないこともだけど、「忘れなかった人」ともいえる気がする。
私が忘れたくないのは、
①父のこと。(忘れられないけどさ)
②表現すること。(文字でも絵でも)
③私が私を認め、「これでいいんだよ」って、OKを出してあげること。
③が最近は結構強い。
それを増やして、もっともっと、自分のことを好きになりたい。
私は、歳を重ねるごとに、自分を好きになりたい。
書くこと、表現することは、それに直結する気がするのだ。