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インドネシアの島めぐり28日目 モロタイ島からハルマヘラ島 中村輝夫さんを知っていますか?

モロタイ島2日目。
ハルマヘラ島行きのフェリーは14時発のため、午前中は町を中心に観光する。
モロタイ島の歴史は太平洋戦争の歴史とイコールと言っても過言ではない。何か産物があったわけでも王国があったわけでもない、のどかな端っこの島だ。

過去の記憶は世代を経るごとに薄れていくもので、この地も例外ではないはずだが、沈没した船の残骸や破壊された車両の残骸といった、島のあちこちに残る戦争の遺物が記憶の風化を遅らせているのかもしれない。

中村輝夫氏の発見は、戦争の記憶を鮮明に甦らせるきっかけになったのではないだろうか。

中村輝夫氏とは何者か

わたしはこの旅行を計画するまで恥ずかしながら全く知らなかった。
モロタイ島には銅像まで立っていて、現地の方から尊敬されているというのに。

彼は戦争が終わったあともモロタイ島で30年近く潜んでいた旧日本兵だ。この手の人物で有名なのは、横井庄一氏、小野田寛郎氏で、わたしも教科書で読んだことがある。
なぜ一番最後まで見つからなかった=孤独に耐えた中村輝夫氏は、2人に比べて知られていないのか。
それは彼が戦前日本の領土となっていた台湾の出身で、台湾に帰ったからだと言われている。

戻ってから4年で亡くなってしまったのも大きいかもしれない。
社会的な動物である人類にとって何より辛い、社会との断絶に30年も耐えた人が、新しい生活に馴染めず自暴自棄の生活を送り病気になったという。

戦争は、平和に生きたはずのアミ族の男性の人生をめちゃくちゃにしてしまった。
本当に罪深いものだと思う。

高砂義勇兵とは

台湾には高地に住む少数民族がいて、総称して高砂族と言われていた。中村氏はアミ族の出身だ。
彼らは山に住む民族なので足腰が強く動きも敏捷で優秀な兵士だったという。そのためジャングル戦や山岳戦で重宝され、インドネシアをはじめとした戦地に多数送り込まれている。
中村氏もそうした1人で、まずハルマヘラ島に送られた後、モロタイ島に移り、その2ヶ月後には連合軍が上陸作戦を開始しジャングルに逃げ込んでいる。

アミ族をはじめとした高砂族の言葉は、オーストロネシア語系の言語で、しかもオーストロネシア語の発祥時の言語体系を一番残していると言われている。オーストロネシア語は台湾あたりが発祥の地と言われているのだ。

要は現地の言葉と多少似ていたらしい。現地人と言葉が多少なりとも通じるのも彼らの強みだった。

中村輝夫の銅像を見にいく

銅像のある場所は三叉路の真ん中で、地図にも載っている。
ただ、わたしの携帯は電波が悪いため、途中で人に尋ねながらの旅となった。有名な像のようで、誰もが知っているので簡単だった。
大きな台座が格好の日陰を作っていて、作業中の人々が休んでいる。

台座には説明書きのプレートがついている。台湾人で、高砂特別隊として日本軍に参加、ゲリラ戦をしたと書かれている。

戦争博物館に行く

個人の収集物を展示している場所がある。とても分かりづらく、2度通りすぎた。しまいには気の毒に思った親切な女性が、先導してくれてようやくたどり着いた。

山中に落ちている鉄屑を丹念に拾い集め、日本軍と連合国軍に分けて置いてある。

これは日本軍のもの

当時の作戦図や記事を見て、戦いの様子がよく理解できた。
500名の日本軍は、台地にある陣地にこもっていたところを3方向から5万の軍勢に攻め立てられ崩壊した。

上陸地点で待ち構えて攻撃するだけの兵力や武器もなかったのだろう。

ハルマヘラ島にフェリーで渡る

フェリーは1日1便で14時に出発し18時に着くと言われていた。
13時には全員乗り込み早く出発しないかなと待っていると、いっこうに出発する気配を見せない。聞くと、船に乗り込めない車両が列をなしているという。

乗客は座りきれないくらいたくさんいるように見えたのに、乗ってみたら結構席に余裕があった。
わたしはテレビ画面の目の前の席になり、ずっと映画を見ていたので退屈しなかった。タイの映画、ランボー、中国の映画だ。
ランボーは久しぶりに見たが、相変わらず人を殺しまくる暴力的な映画だった。

フェリーはトベロの街から5キロほど北にあるゴルアの港に3時間強で着いた。

牛も運ばれる

ハルマヘラ島の様子

黄昏時でだんだんと暗くなるタイミングでの移動だった。
トベロという中心都市に行くまで意外に教会が多く、犬も多く見かけた。運転手に聞くと、クリスチャンが多い集落で、トベロの街中はイスラムが多くなるそうだ。
それでもキリスト教徒も混じり合って住んでいるらしい。

町は活気があり人がたくさんいる。ここに来るまでもコンビニがたくさんあり、モロタイ島とは違う。信号がないのは同じだった。

ホテルは宿泊サイトの情報が乏しく、高いホテルが少し出るだけなので、運転手の力に頼って探した。Penginapan Alpha Masという宿泊施設にした。
素泊まり200,000ルピア(2000円)と高い。競争があまりないので強気の価格設定だ。
エアコンはあるがwifiはない。シャワーもなく、バケツに水を溜め体にかけるタイプ。
北マルク州に来てからずっとこんな感じだ。これでこの価格はないだろうというホテルばかりだ。

また、わたしの携帯の電波はハルマヘラ島に来ても弱くアンテナが立っていない。トベロの街中なら行けるかもと期待していたが、テレコムセル以外は使いものにならない。
幸い、ホテルのすぐ近くに古びた商業施設があり、wifiが使える。夕食を食べにきてついでにwifiも使ってnoteをアップしている。

明日は近郊の温泉を回る予定にしている。

モロタイ島へ向かう飛行機から撮影したトベロの街並み




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