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最難関中合格の秘訣 親の役割・塾の役割

(第32回)
Ⅶ.最後に

中学受験終了は親子の「さよなら」宣言

 中学受験を通じて、親はわが子に何が伝えられるのでしょうか。
 私は「人」は一人の独立した存在であるということ、そして「人」はやはり自分一人で生きていくのだよ、と教えられたことに深い意味を持たせたいと考えています。中学受験は完成された人間を作る必須条件ではありませんが、一人の人間として生きていくためのスタートラインにつくことができる条件となるのは間違いないのです。そういう位置付けは子どもにとって初の体験だと思います。
 それまで子どもはいろんなことがあっても、親の庇護、加護の下で大過なく生きてきました。ところが本格的な入試というのは一人で闘っていくことを強いられ、一人で道を切り拓き、一人で困難を乗り越えるための術を身に付け始める初めての経験です。
 中学受験が終わった段階で親がわが子に話すべきことは、「ここから先は自分一人で闘っていくのだよ」ということです。いわば「決別宣言」をするわけです。
 カナディアンロッキーのクマの母子の例え話をしましょう。
 母グマは子グマと決別する頃になりますと、わざと別の雄グマと仲良くなります。クマを取り巻く自然環境は、人間のものとは比べものにならないくらい厳しく荒々しいものです。厳しい冬を乗り越えるために絶対に必要な条件を満たさなければならないぎりぎりの環境の下で魚を獲り、木の実を採って生き抜いていかねばなりません。その術は母グマが横につきっきりで教えてやれるものではないのです。
 母グマはわが子がそろそろ独り立ちの頃だと感じると、「私はもうあなたの母親ではないよ」と突き放すのです。だから別の雄グマに自分から近付いていくのです。これは「もう自分一人で生きていかなくてはいけないよ」という母グマのからの決別宣言なのです。母グマだって自分が産んだ子どもですから、ずっと成長するのを横で見守っていたいのかもしれません。しかし、それは過酷な自然環境で生きていく上で許されることではないのです。生きとし生ける動物が持っている生存本能の厳しい厳しい一断面です。
 11歳、12歳のわが子が挑戦した中学受験の時期は、人間の親もまたわが子に対して決別宣言をする時期なのではないか、と私は思うのです。もちろん中学校生活の学費を出すのはまだ親ですし、食事も自分で作っていくわけではないでしょう。しかし、生きていくことに関しては一人です。
 私は心の底から中学受験が終わったら、親子で「さようなら」と言い合うのもいいかもしれません、と思っています。ちょっぴり寂しさが入り混じった複雑な言葉ですが、子どもに贈る言葉として「さようなら」と言ってほしいのです。
 私が親子の決別をことさら強調するにはワケがあります。20年以上前なら、こんなことを言わなくても自然に親子が離れていったと思います。ところが近頃は親が子どもを手放せないのです。子どもの方が離れたがっていても、親は「まだそんな時期じゃありませんよ」と言うようになりました。
 極端な話ですが、子どもを自分の付属物、所有物とする感覚がものすごく強くなっています。一体何が本当の愛情なのだろうか、と考えてしまうことが多々あります。確かに丹精を込めて親が育ててきたのは事実なのですが、そろそろ社会に返すときが来たのです。
 わが子を私物化するのではなく、動物的感覚で独り立ちさせるのが大事なのではないでしょうか。「あなたはこれから独りで頑張っていくのですよ」と伝えるとともに、「志望する最難関中学に合格していまは有頂天にいるような気になっているかもしれないが、これは頂点ではなく、これからの人生において難行苦行を乗り越えていくそのスタートラインに立ったのだよ」と言ってほしいのです。
 そんなことはわかっている、ではなく、面と向かってまじめに言える親であるかどうかです。それが言えなかったら中学受験、さらには「最難関中学合格」とは一体何だったのだろうということになります。


 わが子が志望する最難関中学校に合格し、入学したときに、親から子への卒業証書代わりに、「あなたには独りで生きていく力を与えましたよ」「これから先も試練が待ち受けているけれど、あなたは自信を持って生きていきなさい」とメッセージを贈ってこそ、最難関中学合格に向けての親として役割を果たしたことになるのではないでしょうか。さらに、その結果において塾もその大きな役割を担ったのだ、すなわち、その重要な責任も果たしたことになると確信してやまない次第であります。

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