大阪万博心配ですね・・・
大阪万博と聞くと2025年に大阪は夢洲を舞台に開催される万博である。年配者なら、1970年の大阪万博をイメージするかもしれない。この年に私は誕生したが、父母の話では月の石を見るのに何時間も並んだそうだ。
万博開催年他情報は、Wikiにお任せしよう。
国際博覧会
1970年大阪万博に続き、日本では1985年のつくば博(国際科学技術博覧会っていうのね)、1990年の花博も大阪だったけれどあまりよく知らなかったな・・・そして、2005年には愛知県で愛・地球博と銘打って開催されたのが環境万博とも評される万博だったので、冒頭のタイトルの通り大阪万博が少し心配だ。
産経新聞ではこんな記事が・・・
万博大阪館建設費「三転」の末に99億円で契約 資材高騰も想定の甘さ際立つ
大阪館の当初の74億円だったものが、2.6倍の195億まで膨れ上がり、何とか機能を低減するなどして98億8900万円で工事契約を結ぶそうだ。これが、大阪館のことだけなので、万博会場全体となると相当厳しいものになるのかもしれない。
確かに、この円安為替市場も影響しているだろうし、ロシア・ウクライナ情勢が・・・と言われると影響もあるのだろうけれども、国内建設において2.6倍もコストが拡大することがそう簡単に起こるのだろうか?
2025年日本国際博覧会大阪パビリオン推進委員会
のサイトから、「大阪パビリオンについて」って資料を覗いてみよう。
2025年日本国際博覧会大阪パビリオンについて(出展基本計画)
2022年3月 2025年日本国際博覧会大阪パビリオン推進委員会
1970年の大阪万博は、日本が高度経済成長にあり未来を期待させるワクワクしたものだったようだけれど、2025年の大阪博はどうなんだろうか?埋立地・夢洲への地下鉄延伸から色々ゴタゴタしたし、この不景気の最中で大阪府の大阪市で開催する意義がどこかにあったのだろうか?大阪府内で別の会場も考えられたのではなかろうか?いっそのことUSJと連携しても良かったのに・・・空港からの距離は関空より、神戸空港の方が近い。むしろ、伊丹空港の方が近い。世界各国からの来場よりも日本国内来場者に期待しているのかもしれないが・・・
大阪万博といえば、冒頭の写真「太陽の塔」
大阪の千里にある万博公園は、高速道路の巨大なインターチェンジ吹田から程近いエリアで都市にある広大な緑地であり、市民に憩いの場所になっている。その頃には、千里ニュータウンを抱える一大都市に発展していった。
ニュータウンに関しては、さまざまな研究がある。
大阪府の千里ニュータウン、愛知県の高蔵寺ニュータウン・・・当時、家庭を持つ若年層がニュータウンに住宅を持ち夢のマイホーム生活を始めたが、そこから30年も経つと世代交代が起こる。これはニュータウンだけでなく、どこの新興住宅地でも起こる問題であり、近年ではマンションなど集合住宅の行く末にも重要な指標を残す。
戦後日本の初期ニュータウンにおける住環境評価と住み替え意向に関する比較研究 : 千種台団地,香里団地,千里ニュータウン,高蔵寺ニュータウンの特性把握を通して
さて、万博の話題に戻そう。
もう時代は、何か催しのために特別な建物を作るという建設需要喚起による景気回復や一時の利用のためにレガシーを残すということに対しては誰も許容できない。
2005年の愛知万博「愛・地球博」においては、自然の叡智をテーマに21世紀初の万博として環境意識を世界に示すという大きなビジョンをもとに企画され、成功裏のうちに閉幕となった。
愛知万博「愛・地球博」
2005年に世界からの来場者を迎えるためにセントレア(中部国際空港)が開港されたけれど、その当時からこの空港開港の是非は話題となっていた。この空港でさえ、空港等の利用という大きな課題をもとに開港され、今まで運用されてきている。
セントレア(中部国際空港)
フライト・オブ・ドリームス
中部臨空都市とは
AICHI SKY EXPO(愛知県国際展示場)
極め付けは、万博会場が今、スタジオジブリと組んでジブリパークへと変貌しつつある。
ジブリパーク
2005年の愛・地球博から17年後・・・ここは、もともと愛知青少年公園であったところを活用し、万博終了後にはモリコロパークとして各種催し会場となった。万博会場の一角に、ジブリの施設が建設され、そのうちジブリ公園になっていけば・・・という期待が実現された格好である。
21世紀の大阪万博は、20世紀の万博と違い何を世界に示そうとしているのか?2025年までには、まだまだ時間はある。
私自身もじっくり敬意を見守り、また時には書いてみようと思う。
今日はここまで。