公教育の起爆剤

公教育に不満があるなら、私立へ、というのは、30年以上も定番化しているが、21世紀に入り、NPO法人の運営する小規模なオルタナティブスクールやインターナショナルスクールへの「教育疎開」が都市部を中心に広がってきた。ただ、これには、家庭の「資金力」が求められるため、地方ではなかなか難しいのが現実だった。
だが、2017年ごろからだろうか、魅力的な新設校が地方で現れはじめ、感染症蔓延により、リモートワークできるホワイトカラーな職種に勤める移住者を中心に、さらに教育疎開が加速している。

ここでは、そうした現状の教育の新たなうごめきを記述する。
そしてそれをもとに、今後どのような方向性に日本の教育が進んでいくことを自分なりに協働していこうかを考えていきたい。

工藤勇一氏の教育モデル

元麹町中の校長といえば、すでに多くの人が知っているだろう。
工藤勇一校長は、麹町中の改革をはじめ、東京都の教育委員の役職につかず、現場で実践することで、ヴィジョンのない教育関係者らに、明確な実践を示し、またそれが多くの都民・国民に支持されていることを麹町中で実践してみせた。
ただ、麹町中での教育実践は、彼のやりたいことの「10%」しかできなかったらしい。自分が確認した限りは、メディアではまだその全貌は取り上げられていない。

現在は神奈川県横浜創英中高の校長となり、約2年後には自分がやりたかった独自の教育プランを実践に移すそうだ。
このプランは、公立教育にも転用可能なかたちで提示するそうで、今後、公立中高で横浜創英の教育プランを実践できるように、多くの教育委員会に提示するのが真の目的であるにちがいない。
もしかすると、公立中高で工藤校長のやり方が広がる日もそう遠くないかもしれない。


初等教育も変化するか?

中学高校は、工藤校長の教育プランがうまくいけば、多くの学校がそれをモデルにして、いっきに広がる可能性がある。
N中・高などオンラインスクールは、株式会社で投資家を集めることもできるだろうから、さらにもっと質のたかいサービスが出てくるだろう。学校という「箱」の運営と教材の多様性は、ますますクオリティが高くなりそうである。

では、小学校はどうだろうか。
個人的には、中学高校よりも小学校の方が問題なんじゃないかと思っている。というのも、これは実践における懸念だが、中高生で探求学習やアウトプット学習をおこなおうと思っても、思春期に入った子を指導するのは大変つらい。すでにいうことを聞く教育になれてしまい、自分から何かする習慣がないことが多いだろう(工藤校長は、それでもいつか回復すると言っているので、もちろん難しいが、無理ではない)
それなら、いっそのこと小学校時代で、自分も思っていることを主張できて、好奇心のまま学ぶことができるように育っていた方がいいに決まっているし、その方が中高での学びも深くなることだろう。

ということで、中高の教育プランよりも、この国の教育のボトムアップのカギを握っているのは小学校(+保育園・幼稚園)と僕は思っている。

長野県へ教育疎開

長野市のグリーンヒルズ小学校、軽井沢の風越学園、佐久穂町のイエナプランを実践する大日向小など、いずれも私立学校のため、完全無償化ではないが、風越学園は所得により、学費を無償化することもできるし、
大日向小の学費も、学校で完結できる可能性を考えれば、月35,000円で都心部の習い事くらいの金額で受けることができる。

(以下は、大日向小理事執筆の書籍)

これらは私立学校法人の制度を利用し、英語教育、探求学習、縦割りを取り入れ、ニーズに応えるかたちで初等教育をつくっている。そのため、「いい教育」を地方価格で提供できている。
地方でこれらの教育を広めるためには、インターナショナルスクールのような仕組みではなく、所得次第で無償でいい教育を受けられるようにしなければいけない。それでなければ、コミュニティ全体のボトムアップにはつながらない。

2023年度から東京圏から移住すると子ども一人につき100万円もらえるのだから、さらにこうした教育疎開とリモートワークは、セットで広がる気がしている。

広島県の変革「イエナプランとバカロレア」

地方での新たな教育システムの導入は、私立だけではない。
公教育にも波及しはじめている。典型的なのは、広島県だ。県知事の計らいにより、リクルート出身の平川氏が教育委員長になったことで、高校からはじまり、小学校まで教育改革が進んでいる。

これらに共通するのは、いきなりシステムを変えるのは大変だから、既存の「プランを利用」したところだろう。
これにより、指導者も既存のプランをもとに指導の指針を得ることができ、指導者側の反対意見を少なからず抑えることに成功したと思われる。

国際バカロレア県立中高一貫の寄宿学校広島叡智学園
イエナプランを実践した初等教育常石ともに学園
など、

上の本を読めば分かるが、平川教育長は、すでに実践しているさまざまな地方のモデルを教師たちとフィールドワークし、追体験するように自分の統括する学校で実践する「行動実践学」が身についている。

さらにこれらの動きを全国に推し進めるにはどうすればいいか

2023年以降、国・都道府県の支援をもとに移住者が増えるなら、「ホワイトカラー」と、いい職場さえあれば働ける資格保持エッセンシャルワーカーを中心に、子育て環境と自分たちのストレス軽減を求めて、地方へ引っ越そうと考えるにちがいない。

では、この流れを読んで、それならと実際に動く市町村・教育委員会があればいいのだが、事態はそう簡単ではないだろう。

そもそも、PISAの結果をみてみれば、日本は世界的に見てもそれほど悪くないのに、あえて教育法を変える必要があるだろうか、という意見もある。

さらに言えば、
学校を変えるといっても、なぜ変えるのか?
どんなふうに変えるのか?
具体的な考えを持っている行政組織はほとんどないだろうから、専門家を招致する必要があるが、その専門家が行動力のある専門家かどうかわからない。この変革には「馬力」がかなり求められる。

議論せずにいきなり変えれば恨みが募るし、だからといって、慎重という名のもとに、答えの出ない不毛な議論を繰り返せば、今救うべき子どもをないがしろにして、どちらでもないなまぬるい折衷案を選ぶことになるのは目に見えている。

本当に現実に行われている教育がダメなのか?「変革」と言っている教育がいいのか?
私自身は確信している。
家庭教師で「できない」とレッテル貼りされてきた子どもたちの指導をメインにし、実際にそれを復活させる活動を10年以上続けてきた「実験」から直勘してる。

イエナプランのように、好奇心のまま学べるようにすべきだし、工藤校長のように、学びたいことが学べる環境設定にすべきだと思う。
言うことを聞かせるような学校は、もう限界。
そう私が「感じて」いるが、少数派だろう。
すべての人がそう感じるわけではない。

多くの人を巻き込もうとすると、もっと説得力のある観点で客観的なデータを集めてほしいと言われることがある。
場合によっては、子供のときの教育がいかに大人になって影響を与えるか、数十年もの間データをとりつづけることになるだろう。
そして、それが証拠となり、学校に活かされる。だが、そのころには、社会は大きく変わっているだろう。
つまり、データ集めの間は、「古い教育法」を提案されつづけることになり、データが集まっても、それは未来の社会からすると古くなっている可能性が高い。
(教育システムを変えるための証拠としてデータを集めるのは、難易度が高く、鋭意な専門家にアイデアを求めたいところだ。)

そんな多数を説得できるデータ集めのできる専門家がこれまで登場してこなかったからなのか、いや、そもそもそんなの変革する必要がないと資料があるのか、これまで「急速に変化する社会に順応しながら、未来を見据えた、教育の最適解を探し続ける柔軟な教育システムをデザイン」することを避けてきた。

公教育は、ある意味博物館と同じ。価値づけが決定された古いものが展示されるにすぎない。
私立学校は公教育ほど古くはなりにくいが、それでも、経済合理性を優先する私立学校も、多くの人がいいと思っている価値を提供することを優先するからこそ、既存のお客様をターゲットにして経営を成り立たせる。だから、有名校であればあるほど、「ブランド」があるが故に変革させづらい。(=古い)(はじめから柔軟な教育を掲げた有名ブランドがあればいいが、そういう私立はほぼ聞かない)
ただし、近年、つぶれかけた私立学校が一か八か新規事業に手を出すことで成功するケースが増え、こちらのニーズもばかにならないと私立学校も気づき始めているが、それでも結局ビジネスとしての学校運営だから、「既存事業」が固まると、今新しくても今後変化させづらいことだろう。
「学びたいことが学べる子ども主体の教育」で、柔軟に教師だけでなく学校システムも対応できるような、上に数えた学校のような、私立学校はほとんどないのが現実だ。

公教育も多くの私学も、既得権益のため、アイデア不足(のフリ)のため、教科を絞ることができず、法や条例にがんじがらめになり、固定化され、古いシステムに新しい教科が追加されるだけ。身重になり、授業時間が増える。
これは軍隊育成、高度経済主義の従業員育成の延長で公教育システムつくってきて、庶民のなかでも優秀な人材をターゲットして商売しようと私学連盟が生まれ、50年以上続けてきた今それが古いと叫ばれても、資本家と既得権益を叩き潰せみたいな運動になるのは嫌だから、よっぽど周囲の資本家とその金魚のフンが反発しない限り、そっとしておこう、自分たちの子どもはインターナショナルスクールか海外留学で、避けて通ればいいじゃん作戦が続いているように見えなくもない。(いや絶対そうだろ)

こうした結果が、「庶民」の子どもたちの、学力の「フタコブラクダ化」につながっていると思う。

フタコブラクダ化の正体ー言うことを聞く子が損をするシステムー


https://diamond.jp/articles/-/82450?page=5

これは藤原和博氏が頻出させる資料。

習い事や塾に行って、学力が高い層と、塾に行かない、あるいは塾に行ってもできない層に分かれているということだそうだ。(経済力の格差と少なからず関係があるという指摘もある)
学力の二極化がおこっているというのは、何を意味しているか。
これは、学校にちゃんと行って、学力テストもちゃんと受けて、教師の話をちゃんと聞いているような生徒も、成績が伸びていないということを意味していないだろうか。

つまり、学校に行っても学力は伸びないということだ。

よくできる子は、塾でスキルを身に付けているから大丈夫。学校?友達に会うだけ、あとは授業はなんとなく聞いている。
できない子は、場合によっては不登校になるかもしれない。だが、それ以上に割を食うのは授業を真面目に聞いてるんだけど、いやそのせいで勉強ができなくなっている子がいるということだ。

ここ数年何名かの家庭から教育相談を受け、子供を観察してそう肌で感じている。
真面目で、人の話をよく聞く子。動き回ったり、他人に迷惑をかけることもない。だが、自分から意見を言うことがない。テストも最後まで問題が解けない。問題を解くのも非常にゆっくりとしている。
これは長い時間授業を従順に聞いた結果だと思う。
学校のいうとおりに素直に従った結果だと思う。
これは一例ではないはずだ。フタコブラクダ化から察するに学校へ行っている子の半分は頭が良くなっていないわけだから。


塾に行かなければ勉強できるようにならないのか?

塾だって、子供と接している時間は少ない。いくら塾に通っても、週5、6日6時間授業を受けていれば、学校の影響が大きい。

学校だけで子どもの学力を伸ばすことはできないのだろうか?

塾は正直、必要ない。(家庭教師も必要ない)
学校に集まり、必要な学びを得られたらそれでいいじゃないか。

自然豊かなこの国で、どうしてもっとそうした学校をつくることができないのか。
オンラインで場所に関係なく学びを生み出すこともできる時代に、この豊かな環境を利用しない手はないはずだ。

東京では無理でも、地方なら今すぐできる。
現にそういう学校が増えている。

地方なら、幸か不幸か、学校と「結託」する営利教育産業も少ないし、自然環境と絆の深いコミュニティも残っている。うまく利用すれば、最先端で、しかも古くならない(なりにくい)学校を田舎だからこそ創設することができる。

市町村次第で学校をつくることができる

「市町村次第で学校法人をつくることができる。」
先日、東京コミュニティスクールの元理事長久保さんに言われた言葉だ。
20年近く前、学校法人をあえてつくらないで、NPO法人として立ち上げることを選んだ久保さんの言葉は、重い。

このプロジェクトのためには、民間の仲間だけではなく、行政が先だって協働する必要がある。
学校を新たにつくるために、平川教育長のように、県市町村が予算を組んで、地域の要人を教育ツアーへいざなうのも手だろう。

だが、教育者だけではない。すでにそこに住んでいる人々も説得する必要がある。地方での学校改革はかなりの時間を要する。
先祖が受け継いできた土地、自然環境、財産と同じように、教育手法も先祖代々受け継いできた方法でいいという意見が地方にいけば潜在的大多数であるにちがいない。
また、学校の制度変更とか面倒だから、今のままでもいいじゃないかという意見も多いことだろう。

公立学校全体をどのように変えていくか、市町村レベルだけでなく、国レベルでかなり議論する必要がある。
だから、まずは市町村ごとに、数校、今後の時代に即した教育モデル校を用意する。正直それだけでも十分かもしれない。
今の学校よりこちらの方がいいと感じている家庭が、近くの学校でなくても、格安で行けるようになればそれでいい。
感覚的には、おそらく10年~20年はそういう段階だと思っている。
その後、既存の学校の方がいいのか、それとも新たな学校の方がいいのか、時間が解決する。
もちろん新たな学校が残るとは限らない。いずれにせよ、時間の経過と共に、その町に人がいなくなり需要がなくなった学校は、別の学校と統合するか、あるいはそのまま廃校となるだろう。それは、今もこの先も変わらない。

だが、私は公教育の起爆剤となる学校づくりを市町村と協働したい。
そしてあわよくば現状の公立学校に大変革が起こり、日本に住む子どもたちが、もっと質のいい教育を受け、豊富な人材が生まれることを期待している。

そこで、全国の市町村に提案する。
地域にまずは一校。「子どもの学びたいことが学べる学校」を用意する。
これは市長と教育委員長主導で変革させることが可能なはずだ。
教育でV字回復を望むエリア、移住者を集めるシステム変更、教育システムと教員リクルートが同時にうまくいくためには、学校をつくりたいと思う理事長校長だけの力では不可能だ。
市民、行政、教育者が、力を合わせなければいけない。

実際、地方で初等学校をつくろうとしている知人は、リーダーシップのある首長と政治家に出逢ったおかげで、とんとん拍子で設立まで運べたそうだ。
やはり最後はひとのちからによって、変革がおこる。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
次回から、自分ならどんな小学校をつくるか、草案を記述したいと思います。
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学校づくり、その他教育に関するmaesenへのお問い合わせは以下まで。
https://note.com/maedadaisuke/message


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