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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第18日目

前回のお話は以下URLから。


第18日目(2007年8月13日)

大阪ー京橋ー木津ー加茂ー柘植ー草津ー山科ー近江塩津ー米原ー岐阜ー高山ー角川ー猪谷ー富山

8月13日の行程

18.1 オレンジの103系

▲ 大阪環状線

 大阪を7時38分に出発する大阪環状線の外回り電車は、103系であった。高運転台の800番台で、数ある103系の中でも僕の好きなタイプである。

 午前7時38分発の大阪環状線外回りと言えば、通勤・通学のラッシュで混雑する。しかし、きょうは平日といえど盆の真っ只中であって、通勤客は思ったほど多くはない。大きな鞄を持っている僕にとっては、好都合であった。

 きょうも天気が良い。清々しい朝である。人工物の建ち並ぶ無機質な風景でも、実は有機的なものが見え隠れしている。むしろ、人工物の多さから有機的なものが映えて見える。人工構造物の多い都会にありながら、実は自然が強く主張しているように感じる。そんな人間を感じることのできる風景は、電車から見える都会のそれに多いが、そういった心象風景が、きょうの透き通った青空にすべてをかき消されるほどに静寂に包まれていた。京橋には7時45分に到着。

18.2 片町線とは聞かなくなった

 片町線というよりも、JR学研都市線という方がしっくりとくる。学研都市線というのは、片町線の愛称であって正式な路線名ではないが、京阪神地区の人には学研都市線という愛称がすっかり定着しているように思う。そもそも片町線の名称は、京橋駅の西側に片町駅があって、そこを終点としていたことによる。片町線と直通するJR東西線が開業したことで、京橋・片町間は廃止となった。「学研都市線」という愛称の方が一般的なのは、それも一つあると思う。

▲ 快速木津行き

 7時52分発の5426M快速木津行に乗る。207系電車で、連結器に書いてある数字を読むと、クハ207-2001とある。207系2000番台の第1編成であった。車内は空席が目立つほどで、こちらも僕には都合が良い。

 京橋を出ると、大阪市内でも割に中心に近いはずなのに、車窓にはもう下町の雰囲気が現れる。5分ほど走ると、放出駅に着いた。「放出」は「はなてん」と読み、難読駅名として有名だ。ここを過ぎると東大阪市の北辺を行くが、東大阪と言えば中小の町工場の密集する街として有名である。中小ではないけれど、鉄道車輌を製造する近畿車輛があるのもこの辺りで、右の車窓に映る。

 鴻池新田駅を出ると、大東市に入る。この辺りは、大阪のベットタウンで住宅街も多い。四條畷市の代表駅にもかかわらず、大東市にある四条畷駅を出ると、益々住宅街一色の風景に変わる。実は、これから向かう木津駅は、この四条畷駅から真東に位置する。しかし、片町線は北へ向かい、生駒山地の北側を、まるで2次関数の放物線を描くようにして逆U字型に回って木津駅へと向かうのである。

 さらに進むと、徐々に田園地帯が増えてくる。京阪交野線の線路をアンダークロスすると河内磐船駅である。京都府に入り、松井山手駅を出ると、今度は南に向かって進路を取る。京田辺駅で後3両を切り離して4両編成になって運転する。

 京田辺駅を出ると、左手から近鉄京都線の線路が近づいてくる。同志社大学の最寄りである同志社前駅、JR三山木、下狛、祝園と、新興住宅地の玄関口となる駅に停車する。祝園を出ると、それまで並走していた近鉄京都線をアンダーパスして住宅街の中を走る。左側から奈良線と関西本線の線路が近づいてくる。終点の木津駅はすぐである。

18.3 関西本線のローカル区間を行く1

 木津駅は、橋上駅舎に変わっていた。ホーム自体は既存のものを使っているが、以前とはまるで雰囲気が異なる。すっかり近代的な駅へと生まれ変わったようである。

▲ 普通加茂行き

 9時02分発の加茂行き普通電車に乗る。221系である。大和路快速に使用される車輌だから、てっきり大和路快速が普通幕でやってきたのかと思ったが、時刻表を見ると奈良始発の区間運転の電車であった。

 車内は、空席が目立つ。このままずっと乗っていたい気持ちだが、終点の加茂までは6分の乗車であった。

18.4 関西本線のローカル区間を行く2

 京都府は南北に長い。JRの路線は、京都駅を中心にして放射状に伸びていくが、そのすべてが電化区間であり、第3セクターの北近畿タンゴ鉄道に乗り入れる特急列車を除いては、電車ばかりである。ところが、関西本線の加茂以東亀山以西は非電化区間であり、その中では加茂から月ヶ瀬口付近までは京都府内に入るので、京都府内を走るJR線で唯一の非電化区間ということができる。

▲ 普通亀山行き(柘植到着後に撮影)

 したがって、9時12分発の亀山行き232D列車もディーゼルカーであった。青みがかった紫色にシルバーの車体が近代的な雰囲気を醸し出すが、一部の鉄道ファンには、座席の形状やトイレの有無などに対して、頗る評判が宜しくない。最近になって一部の車輌にはトイレが設置されはじめたが、一度鉄道ファンに付いてしまった悪印象はそう簡単には覆されないようである。

 2両編成だが、車内は込み合っていた。それでも、僕はロングシートの部分に座ることができた。加茂を出ると木津川に沿って走るのだが、木津川はちょうど向かいの窓の眼下に位置するので、よくは見えなかった。大河原からは木津川とは別れて山の中を進む。月ヶ瀬口を出ると、京都府から三重県に入る。一旦、大阪まで出ておいて東へ逆行するのは、この旅ではお馴染みになった。

 伊賀上野を出ると、あれだけ澄み切っていた青空に薄雲が覆って、すっかり曇ってしまった。辺りは田園地帯へと変わり、車窓の移り変わりがあって面白い。そんなとき、車内をブーンという羽音を立てて飛び回る一匹の虫が紛れ込んできた。オニヤンマである。彼は、外を目指してブンブンと飛び回る。しかし、大きなガラス窓は開閉しないので、閉まったままだ。彼はそこを目掛けて外への脱出を図るが、残念ながら激突し失神してしまった。

▲ 柘植駅

 そうしているうちに、列車は柘植駅に到着。僕は、下車した。柘植駅付近は、さっきまで雨が降っていたようで、ホームは濡れていた。

18.5 草津線

▲ 普通草津行き

 柘植駅からは、草津線に入る。10時27分発の草津行5349M普通は、今ではすっかり見なくなってしまった湘南色の113系であった。

 柘植駅は、三重県にある。僕は、三重県にあるからというイメージで、この辺りに住む人が都会に出るといえば、三重県の県庁所在地である津市か、名古屋まで行くような感を受ける。しかし、そのイメージを覆させたのはこの草津線であった。草津線で草津まで行き、京都や大阪に出るのである。津にしろ名古屋にしろ、そして京都や大阪に行くにしても、結局は1度は乗り換えねばならず、京都までならもちろん、大阪までであっても、場合によっては名古屋へ行くよりも短時間で行くことができるのである。実際、柘植駅の切符売り場に立ち寄ったときに、「京都まで」といってきっぷを買う人が多く見受けられた。

 さて、草津線の各駅ではコンスタントに乗客を拾っていく。というのも、近年、この辺りは宅地開発が進み、住民の数も増えたという。

 信楽高原鐵道と近江鉄道とが接続する貴生川駅を過ぎると、その傾向が顕著になる。車内はすっかり立席も出るほどに混雑していた。そして、天気も回復して車内には太陽の光が射し込んでくる。終点の草津駅には11時11分に到着している。

18.6 一級線に出る

 線路が1本(レールでいうと2本)、すなわち道路でいえば車線が一つのものを単線という。その場合、基本的には下りか上りのどちらか一列車のみが走れることになる。したがって、列車本数の少ないローカル線などで見られる。今朝通ってきた区間であれば、片町線の松井山手から木津まで、関西本線の木津から柘植までと草津線は単線であった。一方、複線は、通常、下り線と上り線がそれぞれ1本ずつ敷設されている。こちらは比較的列車本数の多い路線で見られる。さらに複々線というのがあって、これは上下それぞれ2本ずつが敷設されており、さらに列車本数の多い路線で見られる線形である。複々線であることは、それだけ人の流れが多いということであり、東京や京阪神などの大都市圏で見られる。

▲ 新快速姫路行き

 これから乗車する東海道本線は、草津から大阪方面が複々線となっている。複々線は、輸送量の面から見てもやはり一級の路線(区間)だと思う。先ほどまでの関西本線や草津線とは大きな差であり、11時25分発の姫路行新快速3447M列車は、12両編成での入線であった。

 滋賀県の県庁所在地駅である大津駅を出て、新逢坂山トンネルに入る。そこを抜けると山科で再び京都府へと入った。京都府を代表する駅、京都駅は山科からさらに東山トンネルを抜けた先にあるが、僕はそこへは行かず、ここで下車をして湖西線の電車へ乗り継ぐのである。

18.6 湖西線

 湖西線は、関西と北陸とを結ぶバイパス路線である。この路線が開業するまでは、雷鳥や白鳥などの特急列車は米原を経由し、所要時間は今よりも掛かっていた。比較的近代的な路線だから、そのほとんどが高架線となっており、踏切がない路線となっている。したがって、そもそも高速運転を念頭においた路線といっても過言ではなく、かつては時速160キロ運転も構想されたほどである。

▲ 新快速敦賀行き

 11時50分発の敦賀行新快速3446Mに乗車した。既に大阪、京都から乗車してきたと思われる乗客で座る席などなく、ここに来て、きょう初めて立席となる。荷物も大きいので困ったことになったと思ったが致し方あるまい。

 湖西線の名の通り、列車は琵琶湖の西岸を走る。車窓からも琵琶湖が俯瞰できる。琵琶湖は、日本最大の湖で、釣りやキャンプなどの他、湖水浴場なる場所がある。海でいう海水浴場で、要は琵琶湖で泳いだり水浴びをするための浜辺である。この列車にもその様子の高校生が多いようだ。しかし、僕が乗車したのは敦賀まで行く前寄り4両であって、後の車輌は途中の近江今津で切り離しとなる。とすると敦賀方面へ行く乗客が、僕の乗車する前4両に集中するわけである。泳ぎに行く様子の高校生は、おそらくは、敦賀か小浜線の沿線にある海水浴場まで行くのだろう。結局、その近江今津までは立ちっぱなしであった。

 近江今津からは、4両編成で走る。窓の外に見る琵琶湖はその北端部で山と山の間にチラリと見えるだけであった。しかし、緑に染まり広がった水田は美しかった。日本の夏であった。僕は北陸本線との合流地点である近江塩津駅で下車をした。僕も高校生らと敦賀まで行ってみたい気もしたが、きっぷの経路上、そして旅行の日程上、そういうわけにはいかなかったのである。

18.7 北陸本線再び

▲ 新快速網干行き

 近江塩津からは、網干行新快速3471Mに乗る。混雑するかと思っていたが、案外空いていた。北陸本線は東西両端が直流電化区間、それ以外は交流電化区間である。8月7日に直江津から北陸本線の電車に乗って東端の直流区間を行ったが、6日ぶりに今度は西端を行くことになった。この西端部分は、2006年10月に米原・長浜間の直流電化区間をさらに敦賀まで延長している。その結果、京阪神から直通で敦賀まで新快速電車がやってくるようにもなった。

▲ 水田の向こうに余呉湖が見える

 223系電車は、軽快な走りを見せる。余呉駅からは余呉湖が見えた。こちらも先ほどと同様に緑の水田が美しく見える。そのとき、腹が鳴った。

 乗客は徐々に増えていく。目立っていた空席も埋まってくる。長浜を過ぎると、現在は「長浜鉄道スクエア」という博物館になっている旧長浜駅舎を横に見る。長浜は、かつては東海道本線の駅であった。当時は、長浜から大津までを琵琶湖の船便で結んでいたのだ。ところが、その船便が開業してから約3ヶ月後、現在のルートが開通して、長浜駅は東海道本線の座から降りることになった。僅か3ヶ月の間だけ、ターミナルであったのだ。

 米原着13時49分。僕は下車した。

18.8 特急しらさぎ

 米原駅の東口は整備されてすっかりきれいになっていた。近江鉄道の乗り場も、JR側に寄せられて新しい駅舎に変わっていた。僕はそこへ立ち寄り、近江鉄道のきっぷを購入した。

 米原駅の新幹線改札口は込み合っていた。待合室のベンチは人で埋まっている。僕は、その向かい側にあるJR東海のみどりの窓口で特急しらさぎ8号の特急券・グリーン券を購入した。

▲ 特急しらさぎ8号

 14時22分、特急しらさぎ8号は米原駅を出た。グリーン車も込んでいた。この時期だから、中々指定は取れない。それは、一昨日も新幹線で取れなかったことからもいえることだ。そういう意味では、よく取れたものだと思う。

 そういえば米原駅で食料を仕入れるのを忘れていた。2時も回っていたし、お昼ご飯にしては遅い。この先、高山本線に乗り継いで高山へも行くから、そこで駅弁でも仕入れよう。

 この区間を行くときは、普段は米原からの普通列車に乗ることが多いが、特急列車だとまた格別な感じがする。短編成で混雑もする車内とは違い、ゆったりとした座席に腰を下ろして目的地まで寛げる。所要時間も、当然のことながら普通列車のそれとは違って短くて済む。米原から33分で岐阜まで来ることができた。

18.9 ワイドビュー

▲ 岐阜駅

 岐阜駅のコンコースでは、お土産のお菓子などを販売する台が設けられていた。そこで、小腹を満たすためにと、あんまきと跳り鮎を購入した。あんまきは、どら焼きの皮であんこを巻き寿司のように巻いたお菓子であり、本来は愛知県は知立の名物だ。一方、跳り鮎は鮎を模ったあんこ入りの焼き菓子だ。登り鮎というお菓子もあるが、それの類似品なのだろうか。

▲ 特急(ワイドビュー)ひだ13号

 僕はそれらを持って、4番線ホームへと向かった。しばらく待っていると、名古屋方から白い顔をした列車が入ってくる。これが僕が乗車する特急(ワイドビュー)ひだ13号である。

 特急(ワイドビュー)ひだ号は、名古屋と高山、飛騨古川、富山を結ぶ特急列車である。現在、高山本線の角川~猪谷間が水害のために、高山か飛騨古川で折り返しとなっているから富山まで行く列車はない。

 名古屋方面から来た列車が高山本線に入るためには、線路の敷設の関係でここ岐阜駅にて折り返させねばならない。したがって、僕の乗車する10号車は一番後ろの車両として入線したが、出発するときは一転、先頭車となって出発した。

▲ 飛水峡

 昨日、(ワイドビュー)南紀に乗車したときは、先頭車は普通車指定席車であったが、きょう乗っている(ワイドビュー)ひだの先頭10号車はグリーン車である。やはり最前列の座席を指名買いしたので、横を見ても前を見ても、ワイドビューに眺められる。こちらは、個人的には右側の車窓が好きなので、運転席とは反対側のC席が好都合で、今回はそちらを選んだ。そのおかげで、あんまきを頬張りながら犬山城を、跳り鮎を頬張りながら飛水峡をしっかりと見ることができた。

▲ 鉄橋を渡る

 それにしても、前面からの眺望は迫力がある。高山本線という路線の特徴が、より迫力を増しているといっても良かった。渓谷を横切る鉄橋や、トンネルを抜けたときの開放感は名状しがたいほどに素晴らしい。

▲ 迫力の前面展望

 温泉で有名な下呂を過ぎても、なお両側を山に挟まれた狭い空間を縫うように走る。強かった日差しが西に傾き、右の車窓から眺めると、水田に列車の影が映る。徐々に両側の山が遠のき、線路際には人家が目立ち始める。一直線に伸びるその先には、左右に広がる高山駅の構内が見える。列車は、その右端にある1番線に到着した。

18.10 夕暮れ間近の高山駅

▲ 高山駅

 僕は、高山駅で(ワイドビュー)ひだ13号を降りて、改札口を出た。駅舎の後側から陽が当たり、駅の玄関は影になって暗い。駅前には、大きな鞄を持った外国人観光客の姿も見られる。

 もう夕方なので遅い目の昼食というと無理がある。しかも、実は今夜は富山で友人と食事の約束をしている。だとするなら、なおさらこの時間に食事などは不要だが、高山に来たなら飛騨牛を食さねばなるまい。しかしながら、市街地まで繰り出して飛騨牛のステーキ、すき焼き、その他を味わっている時間がないので、残念ながら旨い店に立ち寄られない。そうなれば手軽に地方の味を楽しむ術として駅弁を選ぶのは、僕にとっては自然の流れだったろう。

▲ 飛騨牛しぐれ寿司

 高山駅の薄暗い待合室にある駅弁売り場で「飛騨牛しぐれ寿司」を購入する。それを持って改札を通り、地下通路を渡って3番線に停車中の普通角川行に乗り込む。車内はガランとしていた。ボックス席を陣取って、駅弁を開ける。飛騨牛のローストビーフが数枚、下半分の面に敷き詰められていた。

 それをわさび醤油に付けていただく。わさびのツンとした刺激が何ともたまらない。腹も減っていたから箸も進んだ。

▲ 普通角川行き

 17時51分、キハ40形2両の普通列車は出発した。飛騨牛しぐれ寿司を食べているうちに高校生やらがどかどかと乗ってきて、あれだけ空いていた車内は賑やかになっていた。

18.11 列車代行バス

 高山本線は、角川と猪谷の間が水害によってバス代行されている。山の向こう側に行ってしまった太陽のせいで、ただでさえ寂しげな角川の駅前は更に静寂に包まれていた。

▲ 列車代行バス猪谷行き

 駅前には、大型の観光バスと中型の路線バスが停まっていた。共に列車代行バスで猪谷まで行くという。大型は猪谷までの直行便で、中型が猪谷までの各駅を経由していくという。僕は、後者に乗車した。乗客は列車からの乗り継ぎだけであった。二手に分かれて、そのほとんどは直行便へ乗ってしまったから、このバスには数人が乗るのみであった。

▲ 新しく架け替えられた橋梁

 バスは、駅前の集落を抜けて、比較的整備の行き届いた国道360号へと出る。宮川にそって国道が整備されているが、高山本線の線路もまた同様に宮川に沿う。しかし、そこに列車の姿はなく、整備された盛り土だけが目立つ。また、宮川に架かるJRの鉄橋は新しく架け替えられたものもあり、来月に控えた全通まで準備は整いつつあった。

 途中の各駅は、国道から外れた集落に位置する。それまでの広い国道から軒を並べる狭い路地へと入ると、家々には灯りが点っていた。夜が始まろうとしているこの時間では、下車する者も乗車する者もほとんどいなかった。

 長いトンネルを抜けると、すっかり辺りは闇に包まれていた。猪谷は、そこから数分のところである。

18.12 久しぶりに日本海側に出る

▲ 猪谷駅

 猪谷駅では、40分ばかりの待ち時間がある。本来であれば、特急(ワイドビュー)ひだ13号が富山まで行くはずで、今頃富山に着いているはずであった。猪谷駅は、静まり返り、広い構内が寂しい。バスで乗り継いだ人々が駅舎の中で一休みしていた。

▲ 普通富山行き

 虫の舞うホームへ行き、20時19分発の富山行普通885Dに乗車する。キハ120の2両編成であった。数の少ないボックスシートにはそれぞれ一人ずつが陣取っているが、学生服を着た男子高校生の姿も見える。バスには乗っていなかったから、猪谷近くの学校の生徒だろうか。

 富山駅に着いて、改札口を出ると、富山に住む友人が待っていてくれた。彼の車で市内の居酒屋へ立ち寄り、ご馳走になった。その上、お土産にと「特撰ますのすし」まで持たせてくれた。

 今夜は、駅前のコンフォートホテル富山駅前に泊まった。明日の準備に時刻表で行程を確認する。思えば、富山は糸魚川からJRの営業キロにして79kmで、特急はくたか号ならば、45分の距離である。それを僕は8月7日から6日間、約3800㎞余りの遠回りをしてきた。その間、東北から近畿まで、太平洋側を行ったり来たりとしていたが、8月7日以来、久々に日本海側へ出ることになったのである。そんなことを考えているうちに、いつの間にか日付が変わってしまっていた。

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