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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第2日目

前回は以下URLから。


2. 第2日目 (2007年7月11日)

摩周ー釧路湿原(ー塘路ー釧路ー根室ー釧路)

▲ 7月11日の行程

2.1 最長片道切符の旅は最短


▲ ある意味において、ちらし寿司

 昨日、網走で買っておいた「磯宴生うに」を開けると、そのつもりはなかったが傾いて盛りつけが崩れていた。店の主人の言いつけを守れなかった。やむなく、自分で盛りつけ直すが、買ったときのようにはいかなかった。それを食べてあれやこれやとしているうちに時計の針は8時を回っていた。今朝は比較的ゆっくりとした出発なので悠長に構えていたが、それが却って僕に油断と隙を与えた。

 8時20分に宿を後にした。昨日と同様、気温は低く、肌寒い。長袖でなければ厳しかろうと思う。15分くらいで間に合うだろうという算段で、タクシーなどを使わずに徒歩で駅まで向かった。しかしである。携帯電話の時刻表示を見れば列車の発車時刻までそう時間がない。段々と列車の出発時刻に迫ってくるのに、駅前は一向に現れない。蛙の像の橋を渡って、いよいよ焦り出すものの、駅はまだまだ先である。駅まであと100メートルほどのところで左手後方からキハ54形のエンジン音が聞こえて、僕を追い抜き去った。これはまずいことになったと、重い荷物を持って駆け足で急ぐ。何せ、この列車を逃せばしばらくの間釧路方面への列車は来ず、またきょうのお目当てにしている釧路湿原ノロッコ号にすら乗れないのである。それでも辛うじて根室方面などへは寄り道はできるものの、せっかく立てた納得の予定をこなせないのは避けたい。是が非でも摩周8時37分発の釧路行きに乗りたかったのである。しかし、列車は既に僕を抜き去って摩周駅に入線してしまっている。いつぞやの音威子府におけるスーパー宗谷1号の乗り過ごし事件を想起させたが、今回は僕に味方した。列車は摩周で3分停車していたのである。僕は改札口できっぷを提示して息を切らせながら跨線橋を越えた。長袖が暑く感じた。

▲ 普通釧路行き(塘路駅で撮影)

 8時37分、列車は摩周を出た。息を整えるためにデッキでしばらくゼイゼイと肩を上下にさせていたが、ふと車内を見ると結構な乗車率で立席はないものの、空席もない状態であった。僕は、デッキから前面を展望しながら、そして汗を拭いながらしばらくを過ごした。標茶から空席ができたので座らせてもらった。窓の外は曇っていて夏らしくない。このあたりは釧路湿原の北辺にあり、いよいよ湿原の風景へと変わっていく。

▲ 塘路駅

 列車は塘路駅に着いた。下り列車と行き違いをするためにしばらく停車するという。運転士に断って駅に降りてみる。駅の傍にある鹿公園に鹿を見に行ったが、今年の5月25日で閉園との告知がされてもぬけの殻であった。寂しい。

▲ 釧路湿原駅で、最長片道切符の旅を一時中断

 列車は相変わらず曇り空の湿原の中を軽快に走る。釧路湿原駅で降りたのは僕だけであった。きょうは、一旦、最長片道切符の使用をここで中断することとする。

2.2 ここから寄り道

▲ 釧路湿原駅の向こうに釧路湿原

 釧路湿原駅の横にある細い急階段を上っていくと、途中に湿原駅の駅舎と釧路湿原が見られる場所がある。それを写真に撮るときは縦にして撮ると良い。しかし、今朝は葉が生い茂っており、些か駅舎も湿原も隠れてしまい期待通りにはいかなかった。湿原駅に荷物を預かってくれる場所はなく、かといって、そのまま置いておくというのは、いくら閑散としているからとはいってもリスクは高い。結果、盗られなかったとしても、あくまで偶々そういう結果だったということで、盗られていればその代償はあまりにも大きい。パソコン、その他周辺機器など、盗られては困るものが多い。したがって、少々難儀だが展望台まで持って行くことにした。急階段だから荷物が重いとバランスを崩して転げ落ちやしないかと冷や冷やであったが、展望台へ上がる道まで出ることができた。ここからは比較的緩やかな坂道を上っていく。途中にある小さな展望台では歩道の整備工事がなされていた。その邪魔をしては悪いと、そこには寄らずに先を急いだ。

▲ 釧路湿原細岡展望台

 細岡展望台と書かれた看板を目印に横道に逸れて木々の間を抜けていくと、急に視界が開ける。釧路湿原である。曇りの天気だから眺望はどうだろうかと心配だったが、意外や対岸の山々まで見渡せるほどであった。これまでに何度かここには訪れているが、この雄大な風景は何度も見ても言葉を失わせる。この風景に出来合いの言葉で形容してもその雄大さと美しさを語ることはできまい。息をのむ風景であった。

 帰りがけに先ほどの小さな展望台に立ち寄ってみた。整備工事が行われていなかったから、少し立ち寄ることにしたのである。ここからの眺めも素晴らしかった。さらに駅へと向かう途中、カナブンが道端にて羽を広げていたので、珍しいものを見たと写真に撮っていると、整備工事をしていた工事関係者の人たちが「何を撮っているの?」と怪訝そうに聞いてきた。「虫です」と答えると、「あー、何を撮ってるのかと思った」と納得をした様子で、「どこから来たの?」と聞くので「兵庫県です」と答えると、「遠いところから来たんだね」と驚く。さらに僕が「きょうは寒いですね」と言うと、「暖かいほうだよ」と言うから、「これくらいだと、関西では3月の気温です」と答えたら、ますます驚いていた。

2.3 釧路湿原ノロッコ2号

▲ 釧路湿原ノロッコ2号

 釧路湿原駅まで戻ってきた。下りの釧路湿原ノロッコ2号に乗るためである。時計は11時前をさして、到着まではまだ20分あまりあるので、ホームにてただ座っていた。11時19分、列車が到着した。乗客は多かった。僕は、車掌さんを捕まえて塘路までの乗車券を購入した。先頭車には乗客が数人いるのみであった。それもそのはずで、先頭車両はトロッコタイプではない一般の客車だったからである。

 塘路駅で降りると、僕は駅の出口に臨時に設置されていた出札窓口で根室までの乗車券を購入した。マルスやPOSなどの発券用の機械はないので、手書きによる乗車券、出札補充券での対応となる。出札補充券は、僕が使っている最長片道切符と同じものである。また、釧路湿原駅の記念乗車券も併せて購入しておいた。

▲ とうもろこし

 駅の外へ出ると、今朝の閑散ぶりとは打って変わって賑やかであった。駅の隣には売店が開き、そこではおじいさんとおばあさんが、じゃがバターとゆでとうもろこしを販売していた。ちょうどお昼時だから、僕はじゃがバターとゆでとうもろこしの両方を購入した。「とうもろこし、大きいのあげてよ」とおばあさんが言ってくれる。うれしい。僕は、駅前にあるベンチに座って、それらをほおばった。とても美味い。

2.4 釧路湿原ノロッコ1号

▲ 釧路湿原ノロッコ1号

 先ほどのノロッコは一般車両での乗車だったが、ここからは予め指定を確保していたので、トロッコ車両に乗車となる。乗ってみれば6席分あるベンチ区画は僕一人であった。湿原の中をゆっくりと走るが、気温が低いために窓ガラスは付けられたままで、湿原の風を感じることはできなかった。思えば、昨年もこの列車に乗車しているが、そのときは8月中旬で道東もそれなりに気温があり、窓を全開にして風を受けたのを覚えている。多少、時期的に早かったか。

▲ ノロッコ号車内

 細岡駅を出たところで、向かいのベンチシートに座っていた中年の男女グループが僕に話しかけてきた。「どちらから?」と聞くので、「兵庫県です」と答えると、「どうやって来たの?」とさらに問う。「寝台列車です」と答えると、そのうちの男の人が「実はね、俺らもカシオペアで来たんよ」と言う。「あ、それは快適だったでしょう」と僕が言えば、「そうそう、良かったよ」と昨夜のことを思い出しながら言う。「お兄ちゃんは、もしかしてトワイライトエクスプレスで来たの?」と今度はおばさんが聞くから、「そうです、そうです」と答えると、その感想を求めてくる。「食事したんですけど、日本海に太陽が照らされてホントにきれいでした」と言えば、「じゃあ、今度はトワイライトエクスプレスにするべ」と彼らをその気にさせてしまったようである。なお、彼らは茨城県から観光に来たのだそうだ。

▲ 岩保木水門

 岩保木水門の近くに差し掛かると、車内放送がその紹介を始めた。手前の二塔形のが新しい水門で、その後ろに控える小屋のような建物が旧水門とのこと。よくよく考えれば、たかが水門なのだが、それが釧路湿原にあるというだけで、観光名所になるのだから不思議である。車窓に水門が映れば、カメラを構える観光客に暇はない。ちなみに、「岩保木」は「いわぼっき」と読む。

 列車は、東釧路から根室本線に合流して釧路へと向かう。釧路川を渡ると釧路の街並みが見え、道東一の都市が姿を現す。釧路駅に着いたところで、茨城県からお越しのグループに「お気を付けて」と挨拶をして別れた。

▲ 塘路で買ったきっぷ。発行箇所が釧路駅となっている

 最長片道切符は一旦、釧路湿原駅で使用中断しているので、塘路からの根室行き乗車券を利用している。本来であれば、一つ手前の東釧路駅で下車してそこで根室行きの列車を待たねばならない。昨日、新旭川と旭川の間で運賃を払わずに区間外乗車する特例を利用した。その制度が規定されている旅客営業取扱基準規程第151条には「東釧路・釧路間」も規定されているから、東釧路・釧路間を無賃で往復しても問題がないように思う。しかし、それはあくまで分岐駅を通過する列車に乗っていた場合、もしくはこれから乗る列車が分岐駅を通過する場合に適用される特例である。昨日の場合は、新旭川を通過する列車に乗っていたから適用されたが、釧路湿原ノロッコ号もこの後に乗り継ぐ5635D列車(普通根室行き)も東釧路にはきちんと停車してくれるから、すなわち分岐駅(今回の場合は東釧路駅)を通過しない。それでは東釧路・釧路間の往復運賃を払わねばならないではないかとご指摘を頂くことになろう。全くその通りである。むしろ、僕は進んで往復運賃を払いたいと考えているからこそ、釧路まで足を伸ばしたと言ってもいい。というのは、東釧路・釧路間において、このような区間外乗車をする場合には「復路専用乗車券」という今や全国でも珍しい種類のきっぷが発行されるからだ。そのきっぷが欲しいがために釧路まで足を伸ばしたのだ。

▲ 復路専用乗車券

 窓口で「復路専用乗車券をください」と申し出る。この復路専用乗車券は、いわゆる趣味蒐集のために発券されることはなく、必ず原券、すなわちこれまでに使っていた乗車券(復路専用乗車券を発券する条件を満たしたもの)が必要となる。したがって、改札口では「乗車券見せてもらえますか?」と若い駅員さんが聞く。塘路から根室までの乗車券を提示すると、確認の上、「はい、ありがとうございます。320円になります」と引き出しから赤色のきっぷを取り出して原券と一緒に渡された。以前に名古屋駅で復路専用乗車券を購入したときも同様の手続きであったが、あちらはグレー色の小さなきっぷであった。

2.5 花咲線を東へ

 さらに釧路まで来たのは、復路専用乗車券だけのためでもなく、荷物をコインロッカーへ預けるためでもあった。いつもなら、可能な限り荷物は少なくして旅をするのだが、今回は少々特別でもあり、ノートパソコンまで持参している関係で、量はさほどでもないが、割りと重い。この重さは肩への負担が大きく、先日もホテルで肩を見たら、赤紫色の痣となって浮き出ていたくらいである。数百円で荷物を預かってくれるのだから、これくらいは惜しまずに負担したいと思う。ミニボストンバッグにカメラ、手帳、タオル、お茶など必要最小限のものだけを詰めて再び改札口へと向かう。300円の負担で、機動力が数段あがった。身体がすこぶる軽いのである。

▲ 普通根室行き

 釧路からは13時11分発の5635D列車で根室へ向かう。キハ54形1両である。車端部のロングシートへと腰を掛ける。クロスシートの窓側はどこも埋まっているが、ものは考えようで、広々とした車端部も過ごしやすい。大きな荷物を背負った大学生か高校生くらいの女の子が一人、窮屈そうに乗り込んでいる。体育会系の様子で、これから合宿だろうか。

 門静付近から海が見える。厚岸湾である。対岸が迫ってくると、街並みが現れる。釧路と根室では最も賑やかなところとなる。厚岸に到着。厚岸で3分も停車時間があれば売店へ走って名物の「かきめし」を買うのだが、残念ながら停車時間が僅少で諦める。厚岸駅に停車中のことである。一人のお婆さんが運転士に「標茶へは行かないのか」と聞いている。運転士もびっくりして、「婆ちゃん、これ根室行きだよ。標茶には行かないよ」と言う。釧路を出て50分、どう見ても地元の人の様子であるが、景色や停車駅がいつもと異なっているのに気づかなかったのだろうかと思う。ひょっとしたら、釧路を出てずっと眠っていたかもしれないので、滅多なことは言えないが、このような間違いもあるのだと思った。お婆さんは、厚岸で降りていった。

▲ 厚岸湖

 厚岸を出ると、再び海が見えるが、これは厚岸湖という湖である。しかし、元は海であって、陸地が自然に発達することによって、海とを隔てたことにより湖となったらしい。したがって、厚岸大橋の架かるあたりが海と湖の接点であり、淡水と海水が行き来する汽水湖となっている。汽水湖は、一般に栄養度が高く、宍道湖におけるシジミ、浜名湖におけるウナギなどが例に挙げられるように、厚岸湖では牡蠣が有名である。厚岸駅弁の「かきめし」が名物なのもそのためである。

 列車が茶内を出発したときのことである。クロスシートの方が少々騒がしい。何かと思って覗けば、先ほどの大きな荷物を背負った女の子が慌てた様子で隣の席のおばさんにあれやこれやと聞いている。そして、電話を始めた。どうやら乗り過ごしたようである。都会の、例えば山手線であれば乗り過ごしてもすぐに反対方向の列車がやってくるからそう焦ることもないのだが、根室本線となると話は別だ。幸い、次の浜中で降りればそんなに待たずに釧路行きの列車に乗れるとあって、その女の子も一安心したようである。乗り間違いといい、寝過ごしといい、何かが起こる花咲線である。

 列車は浜中駅に到着した。例の女の子も大きな荷物と一緒に下車した。駅舎を見ると“駅長さん”が出迎えていた。“駅長さん”は、浜中駅の業務を委託されている老翁で、これまで2回ほど訪問した折に話をしたことがあった。僕は、2年半ぶりの浜中駅に懐かしさを感じて窓の外を眺めた。

 旧標津線の分岐駅だった厚床を過ぎて20分もすれば、これぞ根釧台地という日本離れした風景が続く。ライトグリーンの草原の中を赤茶けた線路が延びるという風景は、本州では中々見られない。こういう風景に僕は惹かれるからこそ、北海道を好んで旅することが多いのだと思う。

▲ 草原の中を行く

 JRはもちろんのこと、日本の鉄道の中では最も東に位置する駅、東根室駅を通る。住宅街の中にあるから最果てのような感じはしない。また、最東端だから終着駅のような気もするが、線路はまだ続き、その先には根室本線の終着駅、根室駅がある。根室本線の終端部は、それまで東進していたのを東根室の手前で進路を北に変え、東根室を過ぎると今度は西へと進路を変える。丁度、Uの字を描くようにして敷設されているので、途中駅の東根室が日本最東端駅となるのであった。列車は根室に到着。観光客も地元の利用者もみんな降りる。根室は寒かった。

2.6 納沙布岬へ

▲ 根室駅

 根室で東根室から塘路までの乗車券と明日の釧路からの特急スーパーおおぞら2号の特急券などを購入してから、根室駅前のバスターミナルへ出向いた。これから納沙布岬を訪問しようと思うので、往復乗車券を購入するためである。納沙布岬行きのバスの発車時刻まではしばらくあるので、ちょっとした軽食でも買い込んでおこうと根室駅の売店を覗くと、花咲かにめしという駅弁が売られているので、それを購入した。パッケージの窓からは花咲ガニの解し身とイクラが大量に乗っているのがわかる。

▲ 根室交通納沙布岬行き

 納沙布岬行きの根室交通のバスは路線バスタイプであった。一昨日に宗谷岬へ行ったときもこの手のタイプであった。観光地へ赴くからといって、観光バスタイプとは限らないのは当然で、観光路線と生活路線の二つの顔を持つバス路線といえよう。僕は、マニアらしく進行方向左側の先頭の席に座った。フロントガラスから前方を臨める特等席である。

 根室の市街地を抜ける。比較的乗り降りがあり、バスの利用は多いようである。月ヶ丘分岐というバス停に着いた。帰りはここで下車すると東根室駅へは徒歩圏内だと旅のサポートをしてくれている友人よりメールをもらっていたので、どのような場所かを確認した。住宅街で交差点にはスーパーマーケット、さらにその先にある交差点を左折して先に進めば根室高校がある。このあたりまでは根室駅からの運賃は200円と安価だが、ここを過ぎたあたりから運賃表の値段は急激に高騰する。そして、街並みは薄れて根室本線で見たような根釧台地の原野が広がる風景へと変わっていった。そして、時折現れる集落。このあたりは、集落と集落を道が結んでおり、まさに生活道路となっている。そんな集落のバス停の一つに「フラリ」というのがあった。面白い名前である。最東端の郵便局、珸瑶瑁(ごようまい)郵便局を過ぎれば、まもなく納沙布岬である。ここまで乗ったのは、僕以外には初老の観光客二人と青年一人であった。

▲ 納沙布岬と納沙布岬灯台

 納沙布岬を訪れるのは6年ぶりのことである。前回訪れたときは8月も半ばを過ぎた頃だったが、晴天で温かかった。しかし、きょうは、曇天の上、寒い。おまけに風も吹くからなおのことである。

 一通り、見て回る。空は曇ってはいるものの、海の向こうには北方領土がはっきりと見えた。地元の人にとってみれば、先祖伝来の土地を返せというニュアンスでの返還なのだろうが、政府にとってみれば領土そのものよりも(もちろん、そのものも重要視しているのだろうが)北方領土およびその近海に眠る鉱産資源や、漁業資源に目を向けて返還をロシア政府に要求している雰囲気がある。しかしながら、この近海で近年見られるような日本漁船のロシア当局による拿捕事件や、ロシア政府による資源開発の話を耳にすれば、そう感じるのも無理はないだろう。

 売店へ立ち寄った。この時期のこの時間だから客もほとんどいない。夕方だからそろそろ閉店の準備も始めようかという頃であった。小さなパグの人形があって、私の愛犬のことを思い出した。彼女は、2ヶ月ほど前から病に伏しており、年齢から考えると来年を迎えることはできないだろうと医師に言われていた。元気にしているのだろうか。ふと、彼女の顔が脳裏を過ぎった。いくつか土産を選んでカウンターで支払いをしているときに店の人に聞いた。

「ここは、この時期でもこんなに寒いのですか?」

 すると、カウンターの女性店員が「今年は特別だねぇ。いつもならこんなに寒くはないんだけどね」と土産を袋に詰めながら言う。また奥で作業をしていた男性店員が「オホーツク高気圧が悪さしてるからね」と解説してくれる。「しかし、温かい方がいいですね」と僕が言えば、その男性店員は「温かいと北方領土は見えないんだよ」と教えてくれた。私が天気に対して不満そうにしていると、「天気が良いのと島が見えるのと、どっちがいい?」と聞くから、お約束のように「両方見られるのが良いです」と答えると、「それは無理」と苦笑いされる。

 根室駅へ戻るバスに乗り込む。友人に教えてもらった月ヶ丘分岐で下車をした。あたりは薄暗くなっていた。

2.7 悲しみの根室本線

 月ヶ丘分岐バス停の近くにあるスーパーマーケットで飲み物などを購入したついでに、鮮魚コーナーで美味しそうな海鮮丼があったのでそれを購入した。花咲かにめしを買ったのに、これでは昨日に引き続き、計画性がない。

 スーパーマーケットを出たは良いものの、ここから東根室駅まではどうやっていけばいいのか、さらには東根室駅はどっちの方向にあるのかさえわからなかった。これは困ったなと思ったが、そのとき通りかかったおばさんに聞くことにした。そのおばさんは、「根室高校の方へは行かずに、そのまままっすぐに行くように」と親切に教えてくれた。

 根室の郊外住宅地を行くが、一向に駅への案内標識が見あたらない。徐々に不安になってきたが、光洋中学校まで来たあたりに、「日本最東端の駅 ひがしねむろ駅」の案内があり、そこから右に折れて100メートルほど行けば東根室駅だった。

 東根室駅に立つのは4年ぶり2度目のことである。板張りのホームに薄っぺらい標柱が建てられている。周りは、往路でも見たように住宅街であり、およそ最果ての気分は感じられない。一人でホームにいたが、日も暮れてさらに気温が下がってきたようだった。長袖の上からサマーセーターを羽織るがそれでも寒い。僕の住む関西でも阪神地区だと、2月から3月初旬の気温ではないだろうか。

 僕は、明日食べようと思っている駅弁の予約をするために、池田駅近くにあるレストランよねくらへ電話をした。女の人が出て、最初は予約を受けてくれたが、電話を切る段になって、「あ、明日木曜日なんで、すいません、お休みを頂戴しています」と予約は不成立となった。何とも口惜しいが致し方あるまい。池田牛のワインステーキ弁当はいずれまた訪れたときにでも食べようと諦めた。

 そうこうしているうちに、制服を着た二人の女の子がやってきて階段に座る。携帯電話をさわりながら、何をダウンロードしただのと携帯に落とした音楽について情報を交換しているようである。さらには歌を歌い始めた。着ている制服を見ると、7月だけど冬服であった。ブレザーを羽織っている。18時41分に根室行きの列車が到着し、そして根室へ向けて出発した。この列車が折り返してくるのである。

 そして、男子、女子と次々に集まってきた。どうやら根室高校の生徒さんのようである。列車で通学する高校生は全国に数多いるが、列車の運行本数の差異で事情は異なるようだ。閑散線区の通学となると列車の出発時刻は厳守せねばならない。クラブ活動が終わってギリギリの時間でも、その列車に乗らねば家へ帰れない生徒もいる。僕が乗る釧路行きの列車は、東根室駅を18時55分に出発する。これに乗り遅れれば、東根室から釧路方面行きの列車にはもうきょうは乗ることができない。この次に根室を20時48分に出る釧路行きはあるが、快速列車なので東根室は通過するし、落石駅まで停まらない。花咲や西和田、昆布盛には停車しないからそこを利用している生徒は列車では帰れないことになるのである。高校ではクラブ活動の時間は概ね午後6時頃までである。それから帰る準備などをしているとあっという間に時間は過ぎる。まして、根室高校から東根室駅までは歩いて15分ほど掛かる。とすれば、18時55分発の普通列車はギリギリとなるのである。

▲ 普通釧路行き

 18時55分、薄暗くなった東根室駅に釧路行きの5642D列車が到着した。次々に乗り込むが、やはりギリギリで駆け込んでくる生徒もいた。釧路へ向けて列車は出発した。

 落石駅まで来ると、根室高校の生徒さんもその数を減らし、車内は観光客と他数人になった。さっきまで騒々しかったのが嘘のように静まりかえっている。僕は、スーパーマーケットで購入した海鮮丼を夕食に頂いた。花咲かにめしは明日の朝食としようと思う。

 列車が厚床を過ぎたあたりのことである。僕の携帯が着信を知らせた。母からである。車内であるし、デッキでもよほどのことがなければ出ることはない。しかし、何やら胸騒ぎがするので、その後にさらに知らせのあった留守番電話を聞いてみた。すると、「プーちゃんが亡くなったよ」と録音されていた。愛犬が生を全うしたのである。慌てて後部デッキに行って母に電話をかけ直した。確かに病に伏していたとはいえ、僕が家を出るときには比較的元気にしていたので安心はしていた。しかし、彼女はついさっきに息を引き取ったという。思わず涙が溢れ出て、頬に何本もの筋を引いた。おそらく死ということによる悲しみを感じたのは初めてのことではないだろうか。車内で泣くのは恥ずかしいから、必死になって涙を拭うが、彼女との12年が次から次へと思い出されて、その度に涙が溢れ出すのである。こんなときに旅に出るんじゃなかったと後悔するように電話口で母に言うが、「プーちゃんのことはこっちできちんとやっておくから、そのまま続けなさい」と母は言った。その後、単身赴任中の父からも電話が掛かってきたり、祖母からも電話が掛かってきたりと忙しかった。

 釧路に着く頃にはようやく落ち着いて、おそらくは目を真っ赤にしていただろうが、改札口で昼間のように復路専用乗車券を買い求めた。僕の使っている乗車券が東釧路から釧網線に分岐して、塘路まで行くからで、東釧路と釧路の間を飛び出すからある。早々に釧路駅からほど近いビジネスホテルへと向かった。その日の夜は何もする気が起きず、早々にベッドへ入ったが、彼女との楽しい記憶だけがずっと頭を離れなかった。


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