最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第21日目
前回のお話は以下URLから。
第21日目(2007年8月17日)
(岡山ー)倉敷ー福山ー府中ー塩町ー備後落合(ー出雲坂根ー)備後落合ー(新見)ー米子
21.1 最長片道切符の旅を再開
早朝の出発である。前夜、銭湯に行って0時を回ってから眠りについたので賞味5時間も眠れていない。が、この時間に起きておかねばきょうの行程を満足にこなすことはできないから眠いのを我慢してベッドから起き上がる。シャワーを浴びて少しでも眠気を覚まし、珈琲を飲んで準備を整えて、ホテルをチェックアウトする。ホテルは岡山駅に直結だから、駅まではものの数分である。
岡山発6時18分の普通岩国行に乗車する。岡山・倉敷間は最長片道切符の経路には含まれていないので、昨日のきっぷの残りを使い、倉敷から最長片道切符を利用する。8時半以降になると大阪方面からの乗り継ぎがあり、青春18きっぷの通用期間であるこの時期は込むのだが、この時間の岩国行は込んでおらず、空席があちこちで目立つ。
高梁川を渡ると、倉敷の煮詰まった街並みが薄まり、田園地帯が目立ってくる。しかし、再びビルや人家が増えてくると、列車は新倉敷駅に到着する。新倉敷駅は、倉敷市玉島地域にあるが、高梁川の東岸に位置する水島地域とは雰囲気が異なり、凋落した地方都市のイメージは拭えない。もし新幹線の駅がなかったとしたら、駅前は今のような姿で存在していただろうかと思う。
金光教の本拠がある金光駅の辺りから、郊外色が強くなり、人家の他、畑や山も見え出す。僕は、ウトウトといつの間にか眠ってしまっていた。目が覚めると、既に広島県に入っていた。右手から山陽新幹線の高架線路が近づいて、列車はその真下へと潜り込んだ。新幹線の高架の直下に在来線の高架線路が敷設されるという立体的な構造の中を行く。窓に映る景色は、急速に都市の様相を見せてきた。まもなく列車は減速し、7時15分に福山駅に到着した。
21.2 福塩線
福山からは、7時19分発の普通府中行に乗車する。国鉄時代の近郊タイプの電車であるが、車内はリニューアルされていて座席は転換クロスシートに換えられていた。
福塩線は、福山と塩町を結ぶ78㎞の路線である。しかし、府中駅を境にして、路線の様子は変わる。福山から府中までは電化されており、また福山、府中といった地方都市のベッドタウンを沿線に抱えるので、比較的人の往来も見られる。したがって、列車の本数も多い。
福山の郊外を列車は進む。住宅地が多く見られ、停車する駅では列車を待つ客の姿も見られるが、みな福山方面へ行くようであり、この列車は込むことはなかった。僕はまた眠ってしまったが、それでも終点の手前にはきちんと目が覚める。自分でも立派なものだと思う。8時03分、府中に到着。
21.3 福塩線2
改札口を抜けて、ペットボトルの水を買う。その後ろで、男子高校生が大急ぎで改札口を抜けていく。福山方面へ向かうのだろう。
今朝も快晴だが、何となくいつもと違う感じがする。涼しいのである。8月も半ばを過ぎて、そろそろ夏も舞台を降りる準備を始めたのだろうか。
府中からは、8時17分発の三次行に乗車する。因美線、姫新線などで乗った「ボロだけどエアコンが付いているのが良い」というキハ120だ。府中から先は、非電化区間となる上、景色も山間のものへと変わるので一変するのだ。さらには、人家の数も減って、ゆえに利用客も少ないから列車の本数も減る。府中以南とは様子が異なるのである。
列車本数の少ない路線を行く旅程を立てるときには、本数の少ない区間の旅程を最初に決めておき、そこから逆算するようにして出発地を発つ時刻を決めるといい。きょうも例外ではなく、府中~塩町~備後落合~新見という、閑散区間での乗り継ぎを核にしたのである。そのため、岡山をあんなに早い時間に出なくてはならなかったのである。そのために、今朝は眠ってばかりである。
山間を中国山地の中へさらに深く分け入って行く。上下という珍しい名前の駅を過ぎる。そこまでは記憶があるが、やはり眠ってしまった。どうもいけない。
寝ぼけ眼を擦りながら、窓の外を見る。この旅で山陽側と中国山地を結ぶ路線には、姫新線、津山線、伯備線と乗ってきたが、福塩線が最も山深い路線であったように感じる。
9時47分、塩町に到着。ホームに降りると、まだ夏は舞台を降りてはいなかった。
21.4 芸備線を東へ
塩町は、福塩線と芸備線の接続駅であるが、福塩線の列車はすべて三次駅まで行く。三次がこの辺りの中心地だから当然のことだろう。一方で塩町は接続駅であるにも関わらず、無人駅である。
塩町駅の駅舎にて30分待つ。ベンチに腰を掛けていると、鳩が高速で目の前を何度も横切っていく。どこから出てくるのだろうと見ていると、駅舎の前にある松の木からで、そこに巣を作っている。目を凝らしてよく見てみると、巣ではどうやら母鳩が卵を温めている様子である。目線を気にして怯えさせてはいけないと、僕はそれ以上見ないことにした。目を下にやると、猫が背伸びをしていた。何とも長閑である。
塩町からは10時18分発の備後落合行に乗る。先ほどと同じタイプの車両であった。車内は、三次からの乗客らで込み合っていたが、車端のロングシート部分に空席を見つけて座る。
岡山から何度か居眠りをしてきたからか、ようやく眠気も収まって車窓に目を向ける。後方にある運転席横の貫通扉のところへ行き、後へと流れる線路に目をやる。前から迫る風景も迫力があって面白いが、遠くへ流れていく景色を見るのも同様だ。
そんなとき、それまで茶色に染まっていた線路の砂利が急に白く変わった。そして、左側の斜面が真っ白にコンクリートで固められ、補強されている。そういえば、2006年の7月に土砂災害に遭い、つい4ヶ月ほど前に復旧したと聞いていたが、その現場のようである。
比婆山に到着した。比婆山は、比婆山駅からずっと北の島根県境近くに位置する広島県の山である。比婆山は、日本神話に登場するイザナミノミコトが葬られた地だと古事記によって言い伝えられている。ところが、諸説あって、ここ広島の比婆山と島根県安来にある比婆山がある。広島の比婆山は近くにイザナミノミコトを祀る熊野神社があり、広島説が有力なようにも思う。が、島根の比婆山は、その山上に比婆山久米神社があって、さらにイザナミノミコトの御神陵である古墳があることから、島根の比婆山が有力だ。しかし、諸説あるからこそ古代に思いを馳せることもできるのではないだろうか。いろいろと想像する楽しみが増えるというものである。その比婆山駅を出てしばらく走り、左手から弧を描くようにして単線が近づいてきた。11時21分、終点の備後落合駅に到着した。
21.5 寄り道
備後落合からは、さらに芸備線を東へ進むことになるが、乗り継ぐ列車の発車時間は13時59分と、2時間40分近くの間がある。前述のように、きょうの行程は福塩線~芸備線を核にして決めた。特に福塩線の府中~塩町、芸備線の備後落合~新見間が便利が悪く、必ず数時間の乗り継ぎ待ちが発生する。僕が塩町から乗車した列車より一本後の備後落合行に乗れば、備後落合着が13時50分なので9分の乗り継ぎ時間で済む。しかし、今度はそれに接続する福塩線の列車がないので、結局今朝の岡山から塩町までは同じ列車に乗ることになる。つまり、塩町で3時間を過ごさねばならないことになるわけだ。それならば、その待ち時間を備後落合で利用してもいいわけである。歩いて30分ほどのところに温泉があるというが、ここは木次線のトロッコ列車、奥出雲おろち号に乗って出雲坂根まで往復してくることを選んだ。
奥出雲おろち号は、木次線のイベント列車で窓ガラスのないトロッコ車両をディーゼル機関車が牽引する。木次線の山深い景色を風に当たって感じることができる。人気の列車である。
その奥出雲おろち号はまだ備後落合駅には到着していなかった。駅前に出ても特段、暇をつぶせるような場所はなく、駅構内を見て回る。そのうち、おろち号が到着して駅は一気に賑わった。
車内に入り、売り切れる前にと、車内販売する仁多牛弁当を買う。いわゆる牛めしだが、これが旨かった。脂の乗った柔らかい牛肉で、量も多い。1,000円は一見高いかもしれないが、むしろ安いくらいであった。
弁当を食べ終わると、列車が出発した。車内は満員で、僕のベンチには、他に同年代の男女が座るが、指定券が一枚しか取れずに男性は立席であった。僕は、出雲坂根までしか乗らないし、写真を撮ったりとどうせ立席になるのだからと、彼に席を譲ることにした。その旨車掌さんに断ると、車掌さんは鞄から絵はがきを取り出して、「どうぞ」と言って僕に差し出した。
三井野原駅の手前で広島県から島根県に入る。最長片道切符の経路で辿る前に島根県に足を踏み入れてしまうのは本意ではなかったが、やむを得まい。三井野原駅を過ぎてトンネルに入る。トロッコ車両の天井に付けられた竜のイルミネーションがきれいである。そこを抜けると列車は減速して徐行する。目の前に緑の山と谷が見え、そこに赤い橋が見えた。奥出雲おろちループの一部をなす三井野原大橋である。青空の下に赤色の鉄骨が対照的で美しい。見た感じ、この列車はその橋よりも高いところを走っているようである。そして、列車は勾配を徐々に下っていく。列車は雪囲いの中を潜って、その先で停止した。
少し間をおいて、今度は進行方向を逆にして動き出す。再び雪囲いを潜って、今度は分岐を別方向へ進む。そのまま下って、駅へと到着した。スイッチバックである。13時11分、出雲坂根に着いた。ホームから見上げると、三井野原大橋が小さく見えた。随分と下ってきたようである。
21.6 延命水を汲む
僕は、鞄から空のペットボトルを取り出して、停まっている機関車のすぐそばにある湧き水のところへ行く。そこでペットボトルに水を注ぎ込む。延命水と呼ばれるもので、飲めば長生きができるという。延命水は冷たく、ペットボトルの表面は細かい露で濡れていた。
出雲坂根からは、反対側のホームに停まっていた備後落合行の列車に乗る。最前部に乗り込むと、奥出雲おろち号には、席を譲った男女が居て、こちらが手を振ると、向こうは会釈をして手を振ってくれた。
再び、スイッチバックを通り、来た道を戻る。ループ橋を見るが、さっきとは違ったように見える。2回目だからだろうか。
備後落合には、13時55分に到着した。ほとんどの乗客は、ここで二手に分かれる。三次方面と、僕が向かう新見方面とにである。
21.7 さらに芸備線を東進する
備後落合からは13時59分発の新見行に乗る。相変わらずエアコンに定評のある車両だが、カラーリングが因美線や姫新線で乗ったものと同様である。したがって、芸備線は、車両の運用からみると、備後落合で系統が別れるといえそうだ。
既に車内には乗客が座っており、三次方面からの列車より乗り継いできたのである。僕は、空席を見つけて座る。一服しようと、出雲坂根で汲んできた延命水を飲む。僅かに寿命が延びたような気がする。
この辺りで比較的大きな東城駅を出ると、広島県から岡山県へと移る。しばらく走ると、15時11分、備中神代駅に着いた。伯備線との接続駅で、最長片道切符の経路ではここから伯備線で山陰本線へと抜けるが、僕は新見まで乗り越す。備中神代では普通列車しか止まらず、また芸備線からの接続が悪いので、16時36分発まで1時間半も待たねばならない。きょうは米子で泊まるので、備中神代で暇を潰しても到着は遅くならないから良いのだけれど、新見まで行けば特急やくも15号の接続が良いので、やくもの誘惑に負ける。なお、備中神代~新見間は、例のごとく、特例で折り返し乗車することができる。
伯備線の駅なのに、芸備線の列車しか停車しない布原を過ぎて、終点の新見へと到着した。2日ぶりに戻ってきたのである。
21.8 やくも15号
15時53分発の特急やくも15号に乗る。薄いグレーに緑と黄色のラインを纏った車両で、元祖振り子式の電車である。ところが、僕の目の前で停まったグリーン車は、紫色をした車両であった。グリーン車に乗り、一人掛けの座席へ腰を下ろす。新見駅を出てしばらくすると、中年の車掌さんがやってきて車内改札を行う。最長片道切符を見て、「たまにいらっしゃるんですよ、この手のきっぷ使ってるお客さん」という。そして、まじまじと券面を見て「凄いね」と言う。車掌さんが行って、改めてきっぷを見てみると、券面のみならず経由別紙にも押された途中下車印の数が多くなっている。
再び備中神代駅を通り、列車はさらに山の中を行く。岡山県から鳥取県へ入る。ここからは、山道を下るようにして日本海側を目指す。
右側の車窓に大山が見えてきた。青空を背景に堂々とした構えで、どっしりと鎮座している。これまでに何度か車窓から大山を拝もうとしたが、今日ほど美しく見えた日はなかった。ちょっとした幸せな気分になった。
伯耆大山駅から山陰本線に合流する。16時59分、米子に到着である。
米子駅で途中下車印を押してもらい、駅の外へと出る。雲一つない空へ向けて、SLが旅立とうとしている。銀河鉄道999のようだが、山陰の鉄道発祥の地を記念したモニュメントである。
駅近くのビジネスホテルへ行き、先に洗濯だけして、皆生温泉へ出かけた。米子駅からバスで20分も走れば皆生に行くことができる。比較的本数も多いから、便利である。たっぷりと汗を流して、身体を軽くした。皆生に泊まれば、旨い夕食も食べられたろうにと思うが、明日は早朝から米子を発たねばならないから駅前に宿を取ることにしたのである。
皆生からの帰りにバスを待っていると、涼しい風が僕の頬を撫でるように吹いた。昼間こそ夏はまだ元気な様子だったが、確実に彼は舞台を降りる準備を始めたようである。
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