最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第15日目
前回のお話は以下URLから。
第15日目(2007年8月10日)
(高崎ー)倉賀野ー高麗川ー拝島ー立川ー川崎ー品川ー横浜ー大船ー国府津ー沼津ー吉原(ー岳南江尾ー)吉原ー富士ー甲府
15.1 八高線
朝の高崎は、晴れていた。これくらい清々しいと、旅も楽しくなる。高崎駅で倉賀野までの片道乗車券と、朝食にと上州の朝がゆを購入する。それを持って3番線ホームへと向かう。3番線は、4番線の大宮寄りに切り欠いて作られた八高線専用の発着ホームである。
7時54分発の226D普通高麗川行は、キハ110形の3両編成だった。最後部の車両に乗り、まだ発車時間があるので、朝食を取る。上州の朝がゆは、駅弁では珍しくお粥の弁当だ。冷めた粥では食欲もそそらないが、この粥は温かい。まだ目覚めぬ胃を目覚めさせるには、打って付けだ。準備して、さて食べようかという頃、ドアが閉まって226Dは出発した。
倉賀野から八高線へと入る。最長片道切符の旅も倉賀野から八高線へと入る。八高線の高麗川までは非電化区間なので、北関東であっても一気にローカル線の風情を感じる。窓の外を見ると、明らかに高崎線とは異にする田園風景が広がる。おそらくは、この辺りは、いわゆる農村部であって、都会の子らが「田舎に帰る」という範囲だったのだろうかと、勝手に思う。
車窓に映る風景は、青々とした水田が広がり、遠くに山並みが見えて、磐越西線で見たそれを思い起こさせるものだった。透き通るような空が印象的だった。
埼玉県に入り、途中、児玉駅で下りの高崎行と行き違いをする。そのためにしばらく停車するというので、駅の写真でも撮りに行こうかと改札を出る。途中下車印を押してもらうが、着駅の肥前山口の部分に判子の枠が押されてしまった。いささか見にくくなった。
左側から線路が近づいてきた。秩父鉄道の線路で、八高線はこれとしばらく並走する。そのあと、さらに左側から東武東上線の線路が近づき、寄居駅に到着した。寄居駅は、三社が揃うターミナル駅であった。東武東上線は、寄居で線路は途切れてしまうが、八高線と秩父鉄道線はさらに線路を延ばす。一瞬、秩父鉄道と八高線が離れたかと思うと、八高線は、秩父鉄道線のガードの下をくぐって、左にカーブした。
再び八高線は、独りぼっちになって関東平野の西縁を南下していく。竹沢駅を出ると、また鉄道のガードをくぐる。そのガードは右側からカーブして八高線に近づいて並走する。しばらく並走して、小川町駅に着く。ホームに東武線の電車が止まっているのを見て、東武東上線の線路だったのだと気づく。
小川町を出ると、今度は八高線の線路が東上線の線路を跨いでいく。寄居でも小川町でもそうだったが、接続駅の周りは人家が密集して比較的賑やかだ。しかし、少し離れると、一気に田園地帯を車窓に見ることになる。開発が遅れているのか、東京の近郊という感じがしない。
越生駅で東武越生線を見る。八高線と東武線は相性が良いのか、ちょくちょく出会う。そして、小川町駅や越生駅付近では複線区間のようにして並走までする。それくらい鉄道用地が確保されにくい土地ということなのだろうが、実に似たような景色に出会う。
越生からは、車窓に映る人家の数も増えて、徐々に郊外都市の様相を呈してくる。毛呂駅を出ると、ローカル線と都会の路線との変わり目かのような、両サイドに木々の生い茂る森のトンネルを行く。無論、トンネルなどではないが、あたかも森が両側から迫ってトンネルの中を行くかのような雰囲気を感じさせたのだ。そこを抜ければ、視界が一気に広がり、車窓は近郊都市のものになった。車掌さんによる高麗川到着のアナウンスが聞こえた。
15.2 八高線2
高麗川駅は、川越線と八高線の2路線が接続する駅だが、運転系統を見ると、さっき乗ってきた高麗川以北の八高線と、高麗川以南の八高線、そして川越線との3つに分けられる。高麗川以南の八高線と川越線には直通する電車もあるから、高麗川以北の八高線だけが別の路線のように思える。
高麗川駅からは、八王子行の普通電車に乗る。仙石線で乗った電車と同じタイプで、元は山手線で使われていた205系を改造したものである。
9時34分、高麗川駅を出発する。高麗川から南は単線ながらも電化されていてローカル線色が薄くなる。しかも、運転系統が高麗川以北の八高線とは異にしているから、なおのことだろう。乗客は、そこそこ乗っているものの通勤時間は過ぎてしまっているようで、若者が多い。
箱根ヶ崎を過ぎると、進行方向左手には米軍の横田基地があるが、盛り土があってよく見えない。東福生駅を出て、しばらく走ると、右手から青梅線、五日市線の線路が近づいて合流した。拝島駅に到着である。
15.3 青梅線
拝島駅からは、立川行きの普通電車に乗り換える。201系電車で、まもなく置き換えとなる電車である、国鉄時代には、省エネ電車として登場したが、それもまもなく引退となる。
拝島を過ぎて立川へ向かうにつれて、完全に都会の風景になってしまった。今朝の八高線の風景とはまた違う風景で、これはこれで面白い。これから出かける小学生の姿も見え、車内も賑やかだ。
そして、昭島駅を過ぎた辺りで、稚内から約5,580㎞に達した。これは、最長片道切符の営業キロの半分に相当する。つまり、ここが乗車券のうち50%の経路を消化したことになるわけだ。逆に言えば、これまで辿ってきた分が、これから行かねばならない距離になるわけだ。立川には、10時13分頃に到着した。
15.4 南武線
立川駅では、おでんそばを食べる。この前、我孫子駅で唐揚げそばを食べたが、こちらは唐揚げではなく、おでんの具が乗せられている。からしも付けられているのが面白い。それを急いで食べて、10時24分発の南武線の電車に乗った。
南武線は、川崎と立川を結ぶ路線である。東京西部および神奈川東部を縦断する。立川を出ると、分倍河原駅で京王線、府中本町駅でJR武蔵野線、稲田堤駅で京王相模原線、登戸駅で小田急小田原線、武蔵溝ノ口駅で東急田園都市線、武蔵小杉駅で東急東横線、尻手駅でJR南武支線と接続する。今朝の八高線も他路線との接続駅が多い印象を受けたが、南武線はそれを上回る。山手線から放射状に伸びる民鉄各線と直交する路線は少ない。それだけにショートカットする路線の性質を見れば、貴重だ。
その接続駅から乗客が徐々に増えて、終点の川崎駅に着く頃には混雑率は高かった。人であふれる川崎駅の階段を昇る。改札口で途中下車印を所望すると、年配の係員に「押すところがないじゃないか、書いてあることが見えなくなるよ」と苦言を呈された。確かに、券面は途中下車印で埋まりつつあった。原券欄の右側に押してもらった。故宮脇俊三さんが、自身の最長片道切符の旅において、飯田駅や宇美駅、博多駅で、駅員に券面記載事項が見えにくくなっていると言われていたが、ああ、なるほどこういう感じだったのかと、先人と同様のエピソードを少し共有できたようで嬉しく思った。
15.5 東海道線を東へ
川崎からは、11時25分発の快速アクティーで品川へ向かう。東海道線を東へ向けて行くと、山手線から先へ出られないような気もするが、その辺りが最長片道切符の面白いところで、抜け道がきちんと用意されているのである。
多摩川を渡って、神奈川県から東京都へと戻る。京浜東北線の電車を追い抜きながら、颯爽と走る。次の停車駅、品川で下車した。品川には11時34分に到着した。
品川駅の改札口で、途中下車印をもらう。中年の駅員は「よく集めたね」と言う。そして、「自分で好きなとこ押していいよ」と途中下車印を僕に手渡した。僕は、喜んで押そうとするが、川崎駅でのこともあったので、経由別紙に押すことにした。川崎駅での一件を話すと、その中年の駅員は「職責を全うする駅員もいるんだなぁ」と言う。
15.6 実は横須賀線ではない
品川発11時46分の逗子行の普通電車に乗る。E217系といって総武線・横須賀線の主力電車で、成田空港へアクセスする快速電車としても活躍する。
夏の日差しがきつい。最後尾の車両から見える東京の街並みは、眩しかった。巨大建造物の迫力は僕にとってはたまらない。東海道新幹線の線路と並走しつつも、さっき通ってきた東海道本線や京浜東北線とは離れていく。列車は、東海道新幹線と山手線に挟まれるようにして走る。さらに山手線とも分かれて東海道新幹線だけと並走する。東海道新幹線のガード下を行き、西大井駅に到着した。
この電車の走る路線は、横須賀線といわれる。しかし、正確には東海道本線の別線であって、横須賀線ではない。普段使っている「横須賀線」の名称は、運転系統に着目した通称名なのである。すると、横須賀線というのは、通称名かというと、実は横須賀線という路線は存在する。この電車が大船から先に入るのがまさに正式名称としての横須賀線であり、大船駅から久里浜駅までの区間をいう。
この路線があるからこそ、川崎駅から一旦山手線まで戻っても脱出できるのであり、最長片道切符でも総延長を拡大することができるのである。再び多摩川を渡って、左に大きくカーブをする。さっき通ってきた南武線の線路を跨いで脱出した。
鶴見川の手前で東海道本線と合流する。鶴見駅の横を素通りしていく。だから、時刻表では鶴見駅の西側で合流するように路線図が描かれるが、正式には鶴見駅で接続することになる。横浜駅には12時06分に到着した。
15.7 横浜市を横断
横浜駅で一旦降りる。京浜急行のきっぷを求めに改札口を探すが、工事をしていてよくわからない。横浜駅はいつ訪れてもずっと工事をしている。ぐるぐると回って、ようやく改札口を見つける。そこで目当てのものを買って、今度はJRのみどりの窓口へ向かうが、そこには長い行列が続く。お盆前だから帰省のためのきっぷの購入で賑わっているのだろう。そこに並んでいると、この後の行程に影響を与える。僕は、欲しいきっぷを諦めて根岸線のホームへと向かった。
12時33分、普通大船行に乗車した。根岸線は、横浜と大船を湾岸に沿って結ぶ路線である。横浜の繁華街を行き、住宅街を通って、湾岸の工場街も通る。横浜の繁華街、関内駅を出ると左手には横浜スタジアムも見える。ほとんどの列車が京浜東北線と直通しているから、運行している車両は京浜東北線のそれである。いかにも都会的だが、30分のうちにこうも目まぐるしく景色が変わるのは面白い。30分はあっという間だった。
15.8 東海道線を西へ
大船駅で鰺の押し寿司を買う。大船からの快速アクティーで食べようと思う。駅弁を食べるならグリーン車が都合が良いだろうと、Suicaグリーン券を買う。
13時13分発の熱海行き快速アクティーのグリーン車は混雑していた。デッキでアテンダントに着席できなかった場合の払い戻しを願い出ると、「空いていますよ」という。大荷物を憚って室内には行かなかったが、藤沢駅に到着すると1階席に空席がいくつかできた。
窓側の席に着席する。しかし、僕の隣にも藤沢から乗ってきた若いお嬢さんが乗ってきたりと、相変わらず混雑している。普通列車のグリーン車は込むのだなと感心して、駅弁を食べる機会を逸した。国府津へ到着するアナウンスがあって、僕は大きな荷物を抱えて恐縮しながらデッキへ向かった。
15.9 JR東海区間へ
国府津で24分の待ち時間がある。駅の外へ出ると、相変わらずの快晴である。しかも、照りつける太陽の駅を出てすぐそこに国道1号があって、さらにその先には西湘バイパスがある。その先には太平洋が広がるが、そこまで行っている時間的余裕はないと考えて、御殿場線の列車が出発する3番線ホームへと向かう。
階段を上がって2番・3番線ホームへと行くと、クモヤ143形という事業用車が止まっていた。ブルートレインのような青色の車体に、前面に黄色の帯がデザインされている。この車両は、旅客や貨物の外部向け営業用車両ではなく、あくまでJRの内部向けの業務用車両という位置づけとなる。例えば、不要になった車両を牽引したり、運転士の訓練に供したりという具合である。そういう性質の車両だから、もちろん一般の時刻表になど掲載されず、ここで出会ったのは奇遇となるわけである。
14時02分発の沼津行は、新製されたばかりの313系であった。乗り込むと既に乗客が着席しており、僕は初老の紳士が座るボックス席へとお邪魔した。
「ご旅行ですか?」
ここ数日、あまり話しかけられることがなかったが、上品なその紳士が話しかけてきた。「そうです」と、こちらも品良く応える。聞けば、鎌倉から所用で御殿場へ向かうところなのだという。
その紳士は、富士山の見えるポイントや、御殿場線の車窓などを案内してくれた。しかし、きょうは、逆光で眩しく霞がかかって見えない。
静岡県に入って3つ目の駅、御殿場駅を過ぎると、また一人旅となった。車内も幾分か空席が目立ったが、次第に乗車率は元に戻っていく。富士岡駅あたりで富士山をかいま見られるかと期待したが、それも叶わなかった。せっかくの快晴だったが、残念である。
15.10 沼津
沼津も快晴だった。これで富士山を見られなかったのだから残念でならないが、この後身延線へ行くのでそれに期待しようと思う。
沼津からは、普通浜松行きに乗る。211系で川崎から乗った快速アクティーと同じタイプの電車だが、こちらはJR東海仕様となる。青春18きっぷ利用期間中だからか、車内は混雑していた。
15時53分を回っても電車は発車しない。アナウンスがあって、御殿場線の特急あさぎり号の到着が遅れており、その接続を待ってから発車するのだという。御殿場線のホームを見ると、既にあさぎり号は到着していた。
3分遅れて沼津駅を出る。座る場所もないので混雑した車内で立ちっぱなしだが、15分もすれば下車駅の吉原駅に到着した。吉原駅は、これまで僕にとってはただの通過駅に過ぎず、降りることもなかったが、この機会に降りてみようと思う。
15.11 寄り道
吉原駅は、JR東海と岳南鉄道が接続する。JRのホームを富士寄りへと行くと、連絡跨線橋があって、それを渡って左へ降りると岳南鉄道の出札口であった。
古びた窓口を訪ねると、女性の出札係が応対してくれた。岳南江尾まで往復したいと申し出ると、硬券の切符を二枚差し出した。
岳南鉄道の電車は、元京王3000系の中間車を両運転台車に改造したものだった。赤い前面部が印象的だ。吉原駅を出ると東海道本線と並走して分かれる。そして、工場街の中をトコトコと進む。東海道新幹線の高架や国道1号線と交差して、あっちへ曲がり、こっちへ曲がりと、小さな電車はゆっくりと走る。地元の利用も多く、工場街の中にある商業地区からは若者らがたくさん乗ってくる。
再び東海道新幹線の高架をくぐって、終点の岳南江尾駅に到着した。
岳南江尾駅は、島式一面のホームを持つ駅で、構内踏切を渡ったところに駅舎があった。折り返しまで4分しかないので、僕はホームで写真を撮影するにとどめた。
岳南江尾駅を16時52分に出発する吉原行の普通電車に乗る。来るときに乗ってきた車両で、乗客は僕ひとりであった。来た道をトコトコと戻る。窓から射す日がそろそろ夕暮れの始まりを知らせていた。
吉原駅に到着して、改札口を出る。岳南鉄道の駅舎から出たので、JRの駅舎まで少し歩いた。
15.12 東海道本線を西へ
吉原駅のみどりの窓口で富士駅からの特急ふじかわ11号の特急券を購入した。進行方向左側のA席を希望したが、生憎満席とのことで、そうならばとコンパートメント席をお願いすると、こちらは押さえることができた。支払いを済ませて、ホームへと急ぐ。
吉原発17時27分の浜松行きの普通電車は211系であった。車内は相変わらず混雑気味だが、乗車区間は次の富士駅までだから、やはり立っていくことにした。
15.13 身延線
富士駅では身延線に乗り継ぐ。17時39分発の特急(ワイドビュー)ふじかわ11号で、これで終点の甲府まで行く。ふじかわ11号は、静岡から来て、ここ富士で進行方向を変えて身延線に入る。
さっき吉原駅で買った特急券を持って2号車へ乗り込む。コンパートメント席は誰もおらず、僕だけが貸し切るようで気分が良い。コンパートメント席は、ボックスシートタイプで中央にテーブルがある。
短編成の走る身延線に不似合いな、異様に長いホームを持つ富士宮駅に着く。富士宮は、富士山の山麓に位置するからか、宗教施設が多いと聞く。日本で最大の信者数を持つ某宗教団体も、かつては関わり合いがあったと聞くから、そのための臨時列車用のホームだったのかと思う。
富士宮を出ると、身延線は勾配を上がる。左の車窓には眼下に富士宮の街並みが広がる。その向こうには、富士山が聳えているはずだが、いつの間にか雲が空を覆い、富士山の裾が薄く見えるだけだった。
腹が減った。鞄から大船駅で買ってそのまま食べ損ねていた鯵の押し寿司を出して食べる。脂の乗った旨い寿司だ。食べながらふと車窓を眺めると、富士川が流れていた。
山梨県に入って身延線の中核駅となる身延駅に到着した。身延は、日蓮宗の総本山身延山久遠寺の門前町で、宗教と共に栄えた街だといえる。富士川から離れると、下部温泉駅に着く。信玄公の隠し湯だったとされる下部温泉の最寄り駅だ。温泉宿で一泊というのも良いが、僕は先を急ぐ。
車窓は暗さを増して、車内も徐々に静かになっていく。比較的大きな鰍沢口駅付近で再び富士川に出会うのだが、夜ではそれもよくわからなかった。すぐ下流で富士川となる笛吹川を渡って、甲府盆地の中央部を目指す。右側から中央本線の線路が近づいて並走する。合流せずに複線の中央本線と単線の身延線が並ぶのは、身延線が元々は私鉄線だったからだろう。
19時24分に甲府駅に到着した。改札口を出る前に、駅弁屋で「鮑の炊き込みめし」という駅弁を仕入れておく。途中下車印を押してもらい、駅の外へ出る。きょうは、甲府市役所の裏手にあるホテル談露館へ泊まる。ただのビジネスホテルかと思いきや、格式のある立派なホテルであった。
客室まで荷物を持って案内してくれた女性に、隣がビアガーデンで五月蠅くて申し訳ないと詫びを入れられた。窓から覗くと、仕事帰りのサラリーマンらで賑わっていた。鮑の炊き込みめしを開けて、夕食とする。鯵の押し寿司を食べていたが、こちらも食欲がそそられるほどに旨そうだ。
明日もハードな行程が続く。ふかふかのベッドに身を投じて、きょうの疲れを癒そうとするが、眠りが浅いのか時折目が覚める。ビアガーデンの歓声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
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