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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第6日目

前回のお話は以下URLから。


第6日目(2007年7月15日)

八戸ー盛岡ー宮古ー釜石ー花巻ー村崎野ー北上ーゆだ錦秋湖ー横手ー大曲ー秋田

▲ 7月15日の行程

6.1 東北新幹線はやて

 朝食に、昨日買っておいた菊ずしといかめしを食べた。あまり食欲が湧かないのは、そろそろ旅の疲れが出てきたからだろうか。昨夜も割に早いうちに寝て、今朝も7時頃の起床だから睡眠時間は十分なはずなのだが。

▲ はやて8号

 8時56分発のはやて8号の発車15分前にホテルを出た。駅に直結したホテルだから、さらに遅くホテルをチェックアウトしても良かったが、疲れているときは失敗も多かろうと、多少の余裕をもって出たのだった。改札を通って、駅弁屋で八戸小唄寿司を買う。今朝食べたばかりで、もう駅弁かと思われるかもしれないが、これは今晩の夕食だ。日持ちするのを調べた上での購入なので、心配あるまい。

 八戸駅は、新幹線の駅にしては珍しく、ホームへ行くのに、改札口から下へ降りるという形態だ。いずれは、途中の駅となるだろう八戸駅は現在のところ、最も北に位置する新幹線駅である。

 はやて8号は、13番線から出発である。鞄に入りきらないSL函館大沼号のサイドボードを煩わしく感じながら、先頭の1号車まで行って撮影をする。それから再び9号車まで戻って来る頃には額から汗が滲んでいた。東北は、北海道ほどの寒さを感じなかったのである。

 定刻通りに八戸駅を出発したはやて8号は東京を目指して走る。9号車はグリーン車で、僕は盛岡まで利用をする。八戸から盛岡なら何もグリーンでなくともと思うが、そこは考え方次第である。通常期において、八戸から盛岡までの新幹線特急料金(普通車指定席)を計算すると2,300円である。一方、グリーン車指定席を利用すると料金は通常期の特急料金から510円を差し引いた額、1,790円に1,000円を足すから2,790円となり、普通車指定席利用に比して490円高い結果となる。普通車指定席利用に490円を加算することでグリーン車指定席が利用できるわけである。グリーン車指定席なら、ドリンクの無料サービスもあるから、実質390円ほどの負担増でグリーン車を利用できると考えることもできる。

 というのも、実はJR東日本のグリーン料金制度が多分にお得感を演出してくれていると言っていいだろう。JR東日本は、2002年に東北新幹線八戸延伸開業の折、グリーン料金制度を改め、JR東日本管内相互間で営業キロ100キロまでは1,000円、同200キロまでは2,000円、同300キロまで3,000円、同301キロ以上は4,000円とした(JR北海道、東海、西日本、四国および会社間にまたがる場合は、100キロまで1,240円、200キロまで2,670円、400キロまで4,000円、600キロまで5,150円、800キロまで6,300円、801キロ以上7,440円)。したがって、他社に比べてグリーン料金が安くなり、その分、普通車指定席利用の場合の差が縮まったわけである。その分、僅かの負担でグレードアップした設備を利用できるのだから気軽に使えるのである。また、八戸から盛岡までの営業キロは96.6キロであり、駅間が雑多に存在する中で、96.6キロという営業キロは100キロに近似していると言ってもいい数字だ。したがって、1,000円をめいいっぱい使っている感がある。こういうとき、得をしていることを噛みしめて内心喜んでいるのだが、立席の特定特急料金だと1,790円で済む。

 それにしても、車掌が何度か通るものの、車内改札を行う様子はない。これはJR東日本の場合、切符を改札機に通すことでそのデータを車掌の端末に送り、車内改札の手間を省いているためだと、これも八戸延伸開業の折に聞いたことがあった。有人改札を通った場合や、本来空席であるはずの席に着席が見られた場合などは、車内改札をすることになっているようで、その昔、自動改札を通したにもかかわらず、端末にデータが送られていなかったために車内改札を受けたことがあった。さて、僕はこのはやて8号を利用するにあたっては、乗車券、料金券とも八戸駅の自動改札を通していない。乗車券も料金券も特別補充券だからそもそも通せないのである。自動改札を通していないのに車内改札に来ないのは何故か。一つは、車掌の職務怠慢であるが、一応端末を見ながら車内を行き来している様子があるから、それは理由にならないだろう。とすれば、自動改札でなく、マルスシステムからの予約状況が端末に送られていることが考えられる。果たして真実や如何に。

 右手から秋田新幹線の高架が迫ってきた。速度がグンと下がって、街並みを見下ろすように走る。私は鞄を担いで、盛岡駅に降り立った。急いで改札を出て途中下車印をもらい、在来線の改札口から入り直した。

6.2 さんりくトレイン北山崎号

▲ さんりくトレイン北山崎号

 どうにも蒸し暑く感じる。北海道での涼しい気候は、ここ盛岡では感じられない。在来線の連絡通路にある発車案内を見ると、次に乗る宮古行きの快速さんりくトレイン北山崎号は6番線から発車するという。携帯電話の時計表示を見ると9時36分であったから、9時42分の発車までにはまだ少しの時間がある。車両全体を撮影するために、向かいのホームの5番線へと向かった。北東北デスティネーションキャンペーンを記念にあしらったラッピングが車両に施されている。 急いで6番線へと移動する。実は、今回も昨年に引き続いての乗車となり、やはり先頭となる3号車の指定を抑えている。したがって、席の心配はないが、発車時間まで僅かとあって多少焦った。しかし、本州は暑い。

▲ 盛岡を出発

 前回は3号車の1番A席で最前列ながらも進行方向左側、すなわち運転士の真後ろであった。今回は、同じく最前列だが、進行方向右側の1番D席となる。なお、この列車の前数列はハイデッカータイプとなっており、運転台を通して展望ができるというものである。

 盛岡から山田線に入ると、途端に風景が鄙びてきた。県庁所在地でも、都会的な風景はごく限られており、僅かに走ればその雰囲気は感じられない。実は、そんな地方の県庁所在地は幾らでもある。むしろ、都会の風景が延々と続くところの方が少ない。それだけ、日本の人口分布はある一定の地域に偏向しているのだと感じさせる。

 車内は展望席を中心に乗車率が高く、空席は見あたらない。しかし、1番C席、すなわち私の隣は空いている。すると、入れ替わり立ち替わり、後ろの客がその空席へ腰を掛けにやってくる。座っているならじっとしていて欲しいものだが、バタバタとするのには閉口した。

 僕は、車内に備え付けの駅弁の注文用紙に注文内容を書いて、車掌に手渡した。本来は、JR東日本の旅行代理店びゅうプラザで数日前までに予約をせねばならないが、飛び入りで申し込むこともできる。その場合、下り列車が区界駅に到着するまでに車内備え付けの用紙に必要事項を記入して車掌に手渡さねばならない。なお、注文できるのは、宮古駅で駅弁を取り扱う魚元の「さんりくトレイン弁当」、「いちご弁当」などである。また「さんりくトレイン北山崎号」では、かような理由から宮古行きのみの取扱となり、盛岡行き車内では注文を受けてはいない。

 列車は山間の小駅、区界駅に到着した。岩手県の内陸と沿岸部とを隔てる北上山地の中にあって、そのサミット上に位置する駅である。二面二線の相対式ホームが伸びる小さな駅だが、有人駅でもある。山田線の列車は、この駅で交換する。このさんりくトレインも盛岡行きの列車と交換するためにしばらく停車することになった。

▲ 区界駅に停車

 この停車時間を利用して、乗客らはホームへと出る。ホームでは地元の特産品などを販売していると、予め車内で案内があったから、それを見に出た人もいたろう。僕は外の空気を吸うためにホームに出てみた。どんよりと曇っていたが、ポツリポツリと雨が顔を打つ。どうにも、この旅は天気に恵まれない。そろそろ晴れて欲しいところだが、考えてもみれば今は梅雨の真っ最中で、東北となれば最も梅雨の明けるのが遅い地域でもある。この時期に恵まれた天気を欲するのも無理な話なのかも知れない。その上、台風4号が紀伊半島の東海上にあって東進しており、梅雨前線を刺激している。雨が降って当然であった。この先、荒天による運転抑止がないことを祈る。

 突起した山頂が特徴的な兜明神岳を見上げて、私は車内へ戻った。列車が出発してすぐに車掌の観光案内放送があり、先ほどの兜明神岳をガイドする。

 20分ほどして、トンネルに入った列車は速度を落とす。再び車掌による車内放送があり、トンネルを出るとすぐに右手側の車窓には大峠ダムが見えるという。その背後には早池峰山も見えるというが、こちらはこの天気で見えないだろうとのこと。実は、昨夏、この列車に乗車したときには左手の席だったので、わざわざ向かい側に移動しての撮影だったが、今回は右側の席で好都合だ。というより、このダムのために敢えて右側の席を選んだと言ってもいい。

▲ 大峠ダム

 トンネルを出ると、その大峠ダムが現れた。車窓を楽しめるようにと、列車は最徐行で走る。大峠ダムは、いわゆる水を蓄えるためのダムではなく、砂防ダムか堰のようである。そこを水が溢れて流れる様子が幅の広い滝の様子で、周りの緑に映えて美しいのだ。

 山田線と並行する国道106号線は閉伊街道という。閉伊とは聞き慣れない言葉だが、この山田線沿線一体の地域を閉伊郡といったらしいから、それに由来しているのだろう。閉伊は「へい」と読む。腹帯駅を通過した直後からその閉伊街道と右側に並走するようになる。そこにさっきからずっとこのさんりくトレインに付いて走る4WD車があって、助手席には小学生ほどの女の子がこちらをずっと見ている。そこでこちらから手を振ってあげると、その女の子も手を振り返す。そして、運転している父親にその旨を伝えているのか後ろを振り向くが、すぐにまたこちらに向き直して手を振り返す。相当に喜んでいるようであり、面白がっている様子であるのがその笑顔から伺える。こちらも、あまりしつこく手を振っているのを変だと思われては困るので、前を向いていた。すると、トンネルに入って閉伊街道とは分かれた。11時36分、列車は岩泉線との分岐駅、茂市駅に到着した。

 茂市駅は岩泉線との分岐駅だが、この時間に茂市から岩泉線に接続する列車はなく、15時35分発まで約4時間も待たねばならない。接続が良ければ、寄り道もして岩泉まで出かける算段もあったのだが、今回はお預けとした。もし寄り道をするなら、さんりくトレインで小本まで行き、そこからバスで龍泉洞へ行って観光した後、やはりバスで岩泉駅まで行き、そこから別途運賃を支払って宮古まで行くというものである。

 さて、さんりくトレインが茂市を出ると、雨が降ってきた。そして、いよいよフロントガラスも雨に濡れて視界が悪くなってきている。運転士はワイパーで雨を除けるが、僕の前に残る雨粒はそのままである。

 鉄橋を幾つか渡ると、また閉伊街道が右に付いた。すると、どこかで見たことのある車が車窓に映る。もしやと見てみると、やはりあの女の子がこちらに手を振っている。今度は、向こうから手を振ってきたのだ。無視するのも可哀想だと、こちらからも振り返すと、案の定、女の子は大喜びであった。

 ますます雨の強くなる宮古の市街地に列車は入った。11時52分、宮古駅に到着。私は下車した。盛岡よりも肌寒かった。

6.3 三陸海岸沿いを行く

 宮古駅の出口は駅舎の外にある。すなわち、出口専用の改札(集札)口があるのだ。その中で、先ほど列車内で注文しておいたいちご弁当を引き取った。

 宮古では雨が降っているし、12時57分発まで1時間程度しか時間がないから、そう遠くへは回れない。しかし、昨日にSL函館大沼号で購入したサボなどがどうにも機動力を阻害しているようで持ち運びが億劫になってきた。この後、何度も乗り換えねばならないのに、妙なホーロー板が鞄から顔を出していると、周りが怪我することもあり得るので、何とかしたい。昨夏、ここを訪れたときに郵便局に立ち寄ったのを思い出した。こうなれば送ってしまおう。

 雨の中を傘を差しながら駅を出て、最初の大きな交差点に出た。昨年の記憶を辿ると、ここを渡って右折のはずだったが、ふと左手を見ると真新しい郵便局があった。どうやら移転したらしい。

 雨粒を払って、中に入る。きょうは日曜日だから窓口は閉まっていたが、こんなときには時間外のゆうゆう窓口が便利である。早速訪ねると、僕より少し若いくらいの局員さんが出てきたので、事情を話す。すると、「これ使ってください」と、紙袋を2枚持ってきて、サボの両端にそれを被せて荷造りをした。「この袋はタダですから」と小包の料金だけで済んだ。ありがたい。

 丁重にお礼を言って郵便局を後にした。次に向かったところは三陸鉄道の宮古駅である。

▲ 三陸鉄道の宮古駅

 宮古駅は、JR東日本山田線と三陸鉄道北リアス線が接続するジャンクションだが、駅舎は会社ごとに分かれている。したがって、三陸鉄道の宮古駅に行ったのは、三陸鉄道に関する「もの」を記念に購入するためであった。一つは乗車券類、そして一つは「イカにも三鉄」という最中であった。最中の皮にイカのエキスを練り込んでいるという。銚子電鉄が不振となって経営を一助する目的に濡れ煎餅を発売して大当たりとなったのは記憶に新しいところだが、三陸鉄道でもイカにも三鉄の他、三鉄赤字せんべいなど「三鉄のお菓子」も発売している。こういうお菓子は、B級食品を愛する立場からして、経営を助けるという以前に試食せねばなるまい。

▲ 普通釜石行き

 宮古発12時57分の650D列車はキハ110系の3両編成であった。前寄り2両はリクライニングシート車のキハ110であったが、後部1両は固定式のセミクロスシート車であるキハ100であった。以前なら、3両ともリクライニングシート車であったが、2007年3月以降、気仙沼線などの旧国鉄時代の車両を置き換えるにあたって、それまで宮古・釜石間の山田線と釜石線で運用に付いていたリクライニングシート車の一部を気仙沼線に捻出したことで、このような編成に変更となっていた。それでも、全車自由席だから、私は迷わずリクライニングシート車へと向かった。弁当を食べるつもりでいたから、背面テーブルのあるリクライニングシート車が好都合だというわけである。

 宮古市の郊外に位置する磯鶏駅を出ると雨は一旦小康状態となったが、青森でもないのに津軽石とはひょんな名前の駅を出ると、再び雨脚が強まってきた。台風はどこだろうか。もう伊豆半島の辺りまで来ているのだろうか。さっさと日本の東海上へ抜けて欲しいものだ。

▲ いちご弁当

 早速、いちご弁当を開いてみる。思えば、いちご弁当は私にとって縁遠い存在であった。宮古に何度か立ち寄り、その度にいちご弁当を所望したが生憎売り切れで買えないということが重なった。駅弁を楽しむようになってまだ浅い方だが、それにしても駅弁を楽しむ者なら、経験として一度は味わっておきたい駅弁であった。それが宮古のいちご弁当だというわけである。

 山田線は盛岡と釜石を結ぶ線であるが、宮古から釜石の間は三陸海岸に沿って走る。しかし、三陸の海が見えるのは僅かの区間だけで、織笠・岩手船越間、岩手船越・浪板海岸くらいのものである。これは、リアス式海岸である三陸海岸の基部に線路が敷設されているためであり、比較的なだらかで大きな湾があると、そのときだけ海岸に沿って敷設されているのである。したがって、船越湾がある岩手船越・浪板海岸間は弧を描くようにして浜辺が広がるのが車窓からも見える。晴れている日には、その駅名が物語るように、サーフィンをする人の姿も見られるのだろうが、きょうはその姿は見られない。

▲ 大槌駅

 吉里吉里という妙な名前の小駅の次に停車したのが大槌駅である。大槌駅は業務を委託された駅であり、なおかつ上り・下りの交換が可能な駅でもある。この釜石行きも宮古行きの列車が到着するまで、しばらく停車するという。その時間を利用して、僕は入場券や駅舎の撮影に出かけた。雨も降るというのに、我ながら趣味活動に余念がない。

 釜石駅へ近づくにつれてさらに雨脚が強まってきた。釜石から先は釜石線の快速はまゆり6号に乗り継ぐが、指定席が取れなかった。果たして座ることはできるのだろうか。14時12分に釜石に到着した。

6.4 快速はまゆり6号盛岡行き

▲ 快速はまゆり6号

 釜石駅は屋根付きのホームでさえ濡らしてしまうほどに雨が降っていた。サイドボードを送ってしまったとはいえ、荷物があることには変わりない。14時17分発の快速はまゆり6号盛岡行きは、先頭の車両がNHKの朝の連続テレビ小説「どんと晴れ」のラッピングカーであった。どんと晴れて欲しいものだ。前述の通り、はまゆりには指定席車が連結されている。一昨日、ニセコではまゆり6号の指定券を所望したが、既に満席とのことで手に入れることはできなかった。したがって、今回は着席が保障されていないから、座れるのかどうかが不安であった。座れなければ座れないで致し方ないが、できることなら座りたい。こういうときは、どこでも良いので空いている席にさっさと座ってしまった方が良い。乗り換え客も多く、混雑が予想されるなら猶のことで、あれやこれやと席を選んでいては結局座れないという羽目にあうことも多い。僕は、さっさとロングシート部分の網棚に鞄を上げて、その下に腰を掛けた。

 案の定、立席も多い状態での発車となった。向かい側の窓には露が邪魔をして窓外を遮り、今ひとつどこを走っているのかさえわからない状態であった。唸るエンジン音を聞きながら、この辺りがおそらくは馬蹄形をした半ループ線のところなのだろうと、勝手に想像をする。こういうときに、一冊本でもあれば良い暇つぶしとなるが、本は読み始めたらそれに熱中して車窓どころではなくなるだろうし、次から次へと本が増えていくと荷物にもなろうから、今回はきっぱりと諦めて持たないようにしたのだった。また、パソコンを開いて作業をするのも、大勢の前でパソコンを開くことに躊躇いがあったのでそれもやめた。しばらく目を瞑っていることにした。

 遠野で半分くらいの客が降りた。1列のクロスシートも空いたので、そこへ移る。旧橋梁の橋脚だけの残る眼鏡橋のところを行く。徐々に雨脚は弱まっているようであった。台風の影響圏からは脱したのだろうか。

 窓枠に札幌で買った札幌タイムズスクエアと宮古で買ったイカにも三鉄を並べて、それをおやつとした。札幌タイムズスクエアが旨いのは言うまでもないが、B級などと見下したような言い方をした「イカにも三鉄」も侮ることなかれといった味であり、一つしか買わなかったことを後悔した。

 新幹線が開業して20年も経ったのに相変わらず田園風景が広がる新花巻駅を出ると、大きな川を渡った。北上川である。

 北上川は東北最大の河川で、盛岡市の遙か北から流れて南下し宮城県は石巻市まで流れ、途中、石巻湾に注ぐ旧北上川と、追波湾に注ぐ新北上川とに分かれる。北上山地の西側の比較的勾配の緩やかな土地を流れるので、旧来から水運として利用され町や村の発展に貢献した。もちろん、東北が米所であり得たのも北上川のような水資源があったからとも言える。しかし、その反面、天候が悪くなれば恵みであったはずの水が突然牙を剥きだして町や村を襲う。川に恩恵を受けている人々は、人々の命を奪う存在を、同時に生活の糧とせねばならないわけだ。いかにも自然と共生するという日本的思想らしい。

 列車は、花巻駅に到着した。列車はここから方向を変えて盛岡まで行くが、僕はここで下車した。

6.5 花巻から少しだけ移動

▲ 花巻駅

 花巻駅に降り立ち、駅前をブラブラと一回りする。地方都市の駅となると、市街地の外れにあることが多いが、花巻駅は比較的市街地に近いところにあるようだ。周りはホテルや旅館、その他住宅地なども見られる。しかし、市役所がある場所からは少し離れているため、やはり町外れの感は否めない。

▲ 普通北上行き

 花巻からは東北本線を南下して北上まで行く予定にしている。しかし、16時14分発の北上行きに乗車しても、北上から先の北上線の普通列車には小一時間待たされることになる。花巻を16時14分に出る普通列車に乗ると、北上には16時27分に到着する。しかし、北上線の普通列車はその5分前の16時22分に出発してしまっているから、結局、そこから乗り継げる北上線は17時23分発となる。東北本線上りから北上線への乗り継ぎが頗る悪いのである。

 そんな乗り継ぎの悪さに、時刻表に向かって憤っても仕方がないので、その乗り継ぎ時間を有効に使うべく知恵(そんな大仰なモノでもないが)を出すことになるのだが、大した方法も浮かばない。時刻表を見ると、もう一本後にも列車があるから、それで北上へ行ってもまだ間に合う。花巻ではすることもないし、それならばと村崎野へ行って途中下車でもしてみるかと考えた。このような小細工をせねばならないのは、花巻、北上での時間の潰し方を事前にリサーチしていなかったからなのはもちろんのことなのだが。

 701系電車は空いていた。村崎野までは僅かに7分の乗車である。

6.6 村崎野駅で降りてみる

 「むらさきの」という響きを聞けば、ラベンダー畑の広がっていそうな感を受けるが、「村崎野」という漢字を見ると、田舎の田園風景を思い浮かべる。

 村崎野駅に降り立つと、そこは地方の郊外そのもので、線路の周りこそ鬱蒼と生い茂った木々に囲まれているが、辺りには宅地も多く、建物も多く見られる。

 早速、途中下車印をもらい、そして入場券を記念に購入する。それから外へ出て駅舎などを撮影して戻ってくると、もう窓口は閉まっていた。駅の待合室で次の16時51分発までしばし待つことにした。今朝から8時間近く列車に揺られながら(乗車時間はこれまで7時間弱ほどだが)約350キロほどの距離を進んできたが、八戸から真っ直ぐ南下してくれば140キロ程度で2時間も掛からない。遠回りの実感が湧いてくる。

▲ 普通一ノ関行き

 16時51分の普通一ノ関行きは、相変わらずの701系である。乗車率はそんなによくなかった。北上駅は次の駅、4分間の道のりである。

6.7 北上線

▲ 北上駅

 夕方の北上駅は、日曜日にも関わらず、学生の姿が多かった。いや、日曜日でも部活動はあるから至って普通のことなのかもしれない。

▲ 普通横手行き

 北上発17時23分の横手行きに乗車した。キハ100の2両編成である。

 北上市街を抜けて列車は西へ向けて走る。北上線は、東北本線と奥羽本線を繋ぐローカル線である。このほかに、東北本線と奥羽本線とを繋ぐ路線は3つあるが、北上線が最も鄙びているように感じる。田沢湖線は、盛岡と大曲を結ぶが、近年秋田新幹線がひっきりなしに走るようになった。陸羽東線は小牛田と新庄を結ぶが、仙台都市圏に近接していることや鳴子温泉郷を沿線に持つこともあって小牛田口(ないしは古川)での利用が目立つ。仙山線は仙台と羽前千歳を結ぶ。羽前千歳で折り返す列車はなく、すべての列車は奥羽本線に乗り入れて山形駅まで行く。仙山線の東側は仙台都市圏の中にあるし、仙台・山形を結ぶ脚としても利用されている。ところが、北上線は北上と横手を結ぶというものの、比較的大きなと言われている都市も仙台や盛岡に比べれば地方の郊外都市に過ぎない。したがって、本数も他の3路線に比すれば少ない。毎年、秋にはトロッコ列車などを走らせて観光客誘致を図っているが、シーズンを通して中々人の流れを安定的に確保できないゆえ、この状態なのだろう。沿線にはダム建設によってできた錦秋湖など、風光明媚な車窓も見られる。沿線には奥羽山地を横切るから、温泉だってある。何とか活性化できないものだろうか。

 さて、列車が藤根駅に着いたときのことである。運転士が何やら指令とやり取りしている無線の声が聞こえた。その直後に、運転士からのアナウンスで「この先で強風による速度規制が掛かっており、上り列車が遅れています。上り列車の到着までしばらくお待ちください。なお、この列車も速度規制により徐行運転いたします」とあった。藤根駅の紫陽花がきれいだった。

▲ 錦秋湖

 藤根駅で上り列車と交換した後、ゆっくりとした速度で西に向かって走り出した。和賀仙人という霞でも食べて生活していそうな名前の駅を過ぎると、右手の車窓には断崖絶壁の下に水面が見える。この辺りが錦秋湖である。周りを落葉樹の生い茂る山々に囲まれているダム湖で、そういうロケーションだから秋には紅葉が美しく、まさに錦秋となるわけである。

 僕は、どうにも水を見ると心が躍るように感じる。生まれ月の星座に関係するのか、守護霊がそれに因むものなのかは知らないが、どうにも水が好きである。したがって、海の見える車窓は勿論のこと、湖や川が見えると沸き立ってくる。水分を貯め込んで瑞々しく見える山々の木々にだってそう感じることもある。しかしながら、天気はというと雨よりも青空を欲するのだから今ひとつ整合性に欠けると言わねばならない。

 列車は、山間の小駅、ゆだ錦秋湖駅に到着した。

6.8 穴ゆっこ

 北上線に乗って立ち寄り湯へ行くなら、まずほっとゆだ駅に併設されている「ほっとゆだ」を思い浮かべる。しかし、今回はほっとゆだではなく、穴ゆっこへ行くことにした。

▲ 紫陽花と穴ゆっこ

 穴ゆっこは、ゆだ錦秋湖駅から徒歩数分の位置にある立ち寄り温泉施設である。ログハウス風の建物の中は、まるで町の診療所を思わせるような雰囲気であった。受付で代金250円を支払って中へ入る。

 脱衣場は鄙びた温泉の雰囲気が出ているほどに簡素なもので、コインロッカーの一部は鍵が壊れているらしく、使えない。他の客は、みんな脱衣籠に入れているようである。浴室へ入ると、長方形の内風呂があった。かけ湯をして中へ入ると、温泉らしく湯温は高く気持ちが良い。家庭の浴槽だと小さい分、外気に晒されて、また体温が湯温を奪って、すぐに温度は下がっていく。ところが、浴槽が大きいとちょっとやそっとの低温によって温度が下げられるということはない。温泉ならば、なおのことだ。しばらくもしない間に、僕の額からは汗が噴き出した。

 内風呂の横にあるガラスを覗くと、錦秋湖が見えた。そして、窓の下には露天風呂がある。早速、そこへと向かう。外気は冷たかった。滑らないようにと気を遣いながら石でできた階段を下りていくと、露天風呂に行き着く。脚を入れてみたが、内風呂の温度が高く、身体も温まっていたからか、露天風呂は温く感じられた。

 そして、うっかりするところだったのが、洞窟風呂である。穴ゆっこの特徴的な風呂が洞窟風呂である。洞窟を模しただけの風呂なのだが、こういう雰囲気は面白い。温泉と言えば開放的なイメージがあったが、その逆をいくような発想である。

▲ 湯田牛乳 美味しかった

 風呂から上がって、パック牛乳を一飲みする。温泉で身体を温めた後の冷たい牛乳は旨い。パッケージを見ると、「湯田牛乳」とあり、太陽を擬人化したかわいらしいイラストが描かれている。ご当地ものでも、牛乳は各地によって特徴が様々で、それを味わうのも楽しみの一つとなっている。

 穴ゆっこを出ると、小雨がぱらついてきた。降られてはまずいと思ったので、足早に駅へと向かった。

▲ 普通横手行き

 ゆだ錦秋湖からは19時01分発の739D横手行きに乗車する。おそらくは遅れて来るだろうと踏んで、駅の待合室にて、旅行者などが書き込みをする駅ノートを見ていた。さて、僕も一筆と思った時、列車が到着するのが見えた。慌てて荷物を持って、ホームに行く。739Dは定時にゆだ錦秋湖駅を発車した。

▲ 錦秋湖

 2両編成で、車内は空いていた。ボックスシートを陣取って、車窓を拝むが、この天気でこの時間のことだから徐々に薄暗さを増していく。赤いトラスが目を惹く第2和賀川橋梁を渡る。錦秋湖の対岸へと出ると、さらに第一和賀川橋梁を渡り、ほっとゆだ駅に着いた頃にはすっかり日が暮れていた。

 列車は漆黒の闇の中を走る。7時も回ってそろそろ腹も空いてきた。しかし、軽く摘むものは持ち合わせていなかった。今日の終点、秋田まで行けば何かしらあるだろうと、我慢をする。列車が横手に到着したのは19時42分のことであった。ホームに降りると、ついさっきまで雨が降っていたらしく、空気が湿っていた。そして、それが急速に冷やされてか、辺りはうっすらと霧も出ているようだった。

6.9 暗くなってきたけれど

▲ 普通秋田行き

 横手で名物の焼きそばを食べたかったが、断念して先を急ぐ。19時51分発の2455M秋田行きはこの地区ではすっかりお馴染みとなった701系電車である。

 この701系電車はピンクと紫の帯を纏っており、午後に乗った東北本線のデザインとは異なる。701系は、使用されている線区によって番台区分がなされており、ピンクと紫の帯は秋田地区の奥羽本線用の基本番台となる。すなわち、701系は最初秋田地区に配備されたのであった。

 701系は、鉄道ファンらを中心に評価が頗る悪い車両である。その主な批判の矛先は、進行方向に対して横向きの、いわゆるロングシートの存在に向けられている。

 かつては、東北地区と言えば、客車列車や気動車が跋扈して、車内の設備はいわゆる向かい合わせのボックスシートであった。その客車列車の置き換えを目的に90年代初めに登場したのが701系電車であった。地元では一部において苦情が出たというが、それは変化を嫌った日本人特有の保守的思考によるものではないかと、僕は疑ったことがある。また、鉄道ファンが701系を嫌うのも、せっかく遠方まで“旅情”を味わいに来たのに、期待して訪れたところの車両は都会的で無機質で、自身が生活圏の中で日々利用しているものと何ら変わりないという結果に裏切りの感情を抱くのではないかと思う。

 しかし、地方を走る列車が何故都会的ではいけないのだろうか。コストダウンを図る目的で短編成化されている以上、早朝におけるラッシュに対応するためにはクロスシートだと混雑に拍車が掛かるだけであろう。まして、ラッシュの時だけのために別個に編成を用意するというのも不経済な話である。

 僕は、大曲で下車した。このまま乗って秋田まで行っても、後続のこまち27号と同着をする。しかれば、そのまま普通列車に乗車していても構わないわけである。しかし、僕はこまち号に乗りたかったので、敢えて別料金を払って乗ることにした。

6.10 きょうの最後にこまち号

 大曲駅を出てみどりの窓口へと行く。こまち27号の特急券を買うためだ。今朝は、はやてのグリーン車で始めたから、今日の終わりはこまちのグリーン車で締めよう。

 秋田新幹線は、盛岡から大曲を経て秋田までを結ぶ運行経路上の名称であり、秋田新幹線という路線があるわけではない。これは、在来線の線路の幅を新幹線用に変更(これを「改軌」という)して、そこに新幹線車両を走らせているからである。すなわち、盛岡から在来線である田沢湖線と奥羽本線を経て秋田へ行くのである。新在直通といわれる所以である。

 また、秋田新幹線は、他の新幹線に類を見ない運行の仕方をする。田沢湖線は大曲駅に北側から入る。秋田駅へは奥羽本線を北向きに進むから、こまち号は一旦北から大曲駅へ入った後、進行方向を変えて北へ向けて走る。つまり、大曲駅でスイッチバックをするのだ。新幹線がスイッチバックするのは、日本広しといえど、ここだけである。

▲ こまち27号

 こまち27号が12番線に入線した。大曲駅に着くまではグリーン車は最後尾11号車にある。しかし、大曲からは11号車が先頭になる。グリーン車の乗車率は低かった。20時29分、大曲を出た後、すぐにグリーンアテンダントのお姉さんがドリンクサービスとしてジュースやスリッパなどを持ってきてくれた。

 グリーン車というグレードの高い設備の、単なる座席の利用というだけでなく、それに付随して特別のサービスがあることは、それだけでグリーンという設備の利用価値が向上するというものだ。戦前の特別急行列車の一等車というものまでは要求はしないが、ロザならロザらしくせめて二等車としての威厳を保ってもらいたいものである。そういう意味において、こまちのグリーンサービスは及第点だといえよう。

 秋田駅には21時01分に到着した。その脚でみどりの窓口へと向かう。明日利用する五能線パスを購入するためである。窓口では、研修中の若い係員がベテランの指導員と一緒に発券業務を行った。見ていると、どうもまだマルスの操作が慣れないらしく、指導員に注意を受けていた。おそらくはまだ接客を始めて間もないのだろうと、僕はじっと様子を伺っていた。客の前に立てば、新人もベテランもないというのは社会的常識なのかもしれないが、僕の場合は「そう厳しいことを言わんでも宜しいがな」という心根があるものだから、じっと発券されるのを待っていた。指導員にも注意され、客にも注意されていたのでは立つ瀬もないだろうし、じっと見守るという寛容さもまた彼を育てるということに繋がるのではないだろうか。それは取りも直さず、周りの人の存在によって、人は育てられるということである。近い将来に僕が彼から受けるであろう、接客サービスという恩恵を狙っているわけではないが、真っ直ぐ育てば客にとってもプラスになるはずである。

 今夜の宿は、昨年宿泊したコンフォートホテルである。秋田駅から徒歩数分という立地の良さと、サービスの良さを気に入って利用することにした。

▲ 八戸小唄寿司

 部屋に入るなり、シャワーを浴びた。夕食の買い出しに出かけようと部屋を出てエレベーターに乗りかけたが、今朝、八戸駅で購入しておいた小唄寿司のことを思い出し、トンボ返りをした。鞄の奥から、小唄寿司を取り出し、早速頂く。脂の染みた寿司飯は旨かった。


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