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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第11日目

前回のお話は以下URLから。

第11日目(2007年8月6日)

新潟ー吉田ー出雲崎ー柏崎ー(長岡ー)越後川口ー十日町ー戸狩野沢温泉ー豊野ー高田

8月6日の行程

11.1 越後線

▲ 新潟駅

 早朝、新潟市内は涼しげな青空の下にあった。雲の姿も見えず、空は透き通っている。僕の待ち望んでいた夏そのもので、気分は高揚する。夕べは駅近くのホテルに泊まったから、新潟駅へは軽い朝の散歩を兼ねることができた。

▲ 普通吉田行き

 新潟駅を6時45分に出る吉田行きの普通列車に乗った。近郊型の115系で、車内は空席が目立った。信濃川を渡って、白山駅へ着く。まだまだ新潟市でも街中の風景が続くが、内野駅を出ると、急に建物が減って内野西が丘駅に着く。数件の新しい家が建つが、まるで虫食いのようにぽつんぽつんとあるだけである。どうやら、内野西が丘駅を中心にして、宅地開発がされているようである。

▲ 越後線の車窓

 その内野西が丘駅を出れば、窓外にはライトグリーンの水田が広がる。青空の下にライトグリーンのカーペット、それは秋田でリゾートしらかみの車中から見たあの風景を思い出させた。何という気持ちの良い朝なのだろう。

 しかし、そうのんきなことは言ってはいられない。この平穏無事とした田園風景のすぐそばで、今まさに震災に直面している現実があるのだ。そして、列車は終着の吉田に到着した。

11.2 被災区間をいく

 この年の7月16日午前10時13分、すなわち先月のことだが、新潟県中越地方の日本海沖で、新潟県中越沖地震が発生した。マグニチュード6.8というエネルギーが、震源周辺を中心に最大震度6強という激しい揺れを引き起こした。当然、その揺れによって、付近の建造物だけでなく、道路やガス、水道、電気などのライフラインが被害を受け、また無念の死を遂げられた方もおられた。沿岸にある東京電力の柏崎刈羽原子力発電所でも被害を受け、火災が発生、ごく微量の放射能が漏れたという。鉄道の被害では、震源に近い越後線が出雲崎~柏崎間の路盤に被害を受け、越後線の電車が柏崎駅構内にて横転するなどの被害を受けている。また、柏崎の西方に位置する信越本線の青海川駅は線路際の山肌が崩落し、駅ホームの西半分が土砂に埋もれるなど相当の被害を被ったのだった。ちょうど、僕がリゾートしらかみ1号で五能線を行っていた頃の話である。

▲ 吉田駅

 地震後、しばらくして被害を受けた鉄道区間でバス代行輸送が始まった。しかし、越後線の出雲崎~柏崎間は、道路の被害が甚大でバスによる代行輸送さえできない状態であった。7月26日からようやく同区間でもバスによる代行輸送が実施されるようになったのである

▲ 列車代行バス出雲崎行き

 吉田駅前に出ると、ハイデッカータイプの観光バスが停まっていた。越佐観光の車両である。車内は空いていたが、発車時間が迫るにつれて、高校生の数が増えてきた。あっという間に満員になって、通路に補助席を出して座る生徒もいる。夏休み中だから、この程度で済んでいるのだろうが、これが学期半ばであれば、バス一台では済まなかっただろう。ライフラインが機能しない不便さの一つだと思う。

 7時50分、出雲崎行きの代行バスが発車した。午前中の日差しが大きなバスの窓から射し込むので、乗客のほとんどはカーテンを閉めていたが、僕はそれを閉めずに車窓を眺めていた。どれほどの被害があったのかを自分の目で確かめるためである。

 バスは、越後線に沿うようにして、各駅に立ち寄っていく。その都度、人家のそばを通るが、目立って被害はないようだ。このあたりは、建造物の損壊が少ない地域なのだろうか。

 出雲崎駅に到着したのは、所定の9時10分より4分早い9時06分のこと。三角屋根が印象的な出雲崎駅の駅前はとても静かだった。

11.3 被災区間をいく 2

 出雲崎駅のみどりの窓口へ行く。きっぷに途中下車印を押してもらうためである。応対してくれた駅員さんに地震のお見舞いを申し上げると、紙風船を一つくれた。丁重にお礼を申し上げた。

▲ 列車代行バス

 出雲崎からは、再び代行バスに乗る。今度は、越佐観光の中型クラスのバスであった。9時20分に出雲崎駅を出て、その集落から出て県道574号を行く。すぐに、道路が陥没している箇所に遭遇した。道路が陥没した箇所は一つだけではない。バスが行く先々で道路の一部に囲いがされ、人や車両を近づけないようにしていた。確かにこれでは危険で、バス代行輸送など安全に実施することはできないわけだ。このあたりから被害が甚大になりつつあった。

▲ 道路の損傷が見られる
▲ 越後線は新しいバラストが撒かれていた

 小木ノ城、石地などに立ち寄ると、駅前には人家が見られた。バスは駅前まで行くので、人家の密集した狭い道路を通る。そのとき、初めて、倒壊した建物を見た。木造の2階建ての民家だが、1階はガレージとして使われている感じであった。2階の重みに耐えられず、1階が押しつぶされたようである。その建物には「危険」と印刷された赤色の紙が貼られていた。また、他にも黄色で「要注意」、緑で「調査済」の紙のどれか1枚がどの建物にも張られている。これは、応急危険度判定された判定ステッカーで、地震に被災した後の建物の危険度を判定して、その建物による2次的な人的被害を予防する目的があるのだ。したがって、「危険」や「要注意」と張られている建物は応急的に補修せねばならないだろうし、危険なのだから建物の中には入れないだろう。

 県道や国道を行ったり来たりしながら、越後線の各駅へと立ち寄る。礼拝駅では保線の作業員が炎天下の中、黙々と作業をしていた。そのほか、道すがら、道路工事、電気工事、ガス工事、水道工事など、真っ黒に日焼けした作業員が汗をかきながら作業に従事しているのをあちらこちらで何度も見る。工事現場付近に停車している車を見れば、それぞれの社名がドアなどにプリントされていて、新潟県およびその近隣だけでなく、関東や関西、東海地区などからも応援で駆けつけているのがわかる。一刻も早い復旧のために尽力する姿に感動した。そして、彼らには頭が下がる。

 東柏崎駅まで来ると、柏崎の市街地の中で、一見すると、倒壊した建物は見られない。こうして見てみると、やはり1階がガレージ、2階が住居または倉庫となっているタイプの建物に被害が大きいように感じた。また、瓦屋根の重みで倒壊した建物もあるにはあるが、倒壊している建物に隣接しているにもかかわらず、そうでない建物もあり、よくはわからない。また、新築したての民家でさえ、赤色の「危険」判定ステッカーが貼られており、古いからという理由だけでは建物の危険度は判別しにくい。さらに外見上は何らの被害を受けていないのに赤色の張り紙がされていたりと、一見しただけではわからない様子である。

 10時42分頃に、柏崎駅に到着した。日差しがきつく、肌が痛かった。

11.4 信越本線は臨時ダイヤ

▲ 柏崎駅

 柏崎駅では1時間近くの乗り継ぎ時間がある。駅前を一周してみたが、あれだけ待ち望んでいた夏だと高揚していたにも関わらず、夏の強い日差しに負けて、早々に駅舎内へと戻った。駅内の掲示板には、中越沖地震の影響で運行の乱れている信越本線や越後線の最新情報がダイヤとともに掲出されていた。

 信越本線の直江津~長岡間は、中越沖地震の影響で通常の運行ができない状態になっている。特に、先述した青海川駅付近の被害は甚大で、それを含む柿崎~柏崎間は完全にバスによる代行輸送という形を取っている。そういう事情から、大阪および金沢と新潟、青森、北海道を結ぶ特急や急行列車はすべて運休中で、また貨物列車もルートの変更を余儀なくされるなど、影響は大きい。一ヶ月ほど前にトワイライトエクスプレスで夕食をとった区間である。その時には、よもやこんな事態になるとは想像もつかなかった。災害は、突然やってきてはあっという間にその土地の状況を一変させる。凄まじいエネルギーを持っている。

 柏崎以東も、通常よりも列車の運行本数を減らして、さらには危険箇所では速度を落として運行するとのことだから、所定の時間もより多く掛かる。

 11時20分頃、改札口を通り、ホームへと向かう。ホームはガランとしていて寂しい感じだ。地震直後に横転していた越後線の電車の姿は既になく、しばらくは使われない越後線のホームはさらに寂しい感じがした。11時27分、長岡からの普通列車が到着した。この115系が、折り返し、11時40分発の9381Mとなる。

 先頭の車両に乗り込んで、一息つく。ふと、左窓の外を見ると、青空の中にぽつんと白いラグビーボールのようなものが浮かんでいる。何かと目を凝らしてみれば、飛行船であった。

▲ ツェッペリンNT号

 その飛行船は、西へ向かって、すなわち船首を左へ向けていたが、柏崎の上空で左旋回し、そして船首を右へ向けて飛んでいく。船体の側面には「FLY
WITH ME !」と大きく書かれ、垂直尾翼には日の丸が見えた。ツェッペリンNT号である。

普通長岡行き

 11時40分、9381Mが柏崎を出発した。本数が少ないために、乗車率は割に高い。列車は、通常よりも速度を落として運転している。越後広田駅には12時06分に到着したから26分かかっているが、通常なら15分で行く。柏崎と越後広田の間は営業キロでいうと11.8㎞だから、通常の表定速度(平均の速さ)は47.2km/hである。一方、この列車の表定速度は27.2km/hなので、ここまでは通常の58%の速度で運行しているのである。

 長鳥駅を出ると、トンネルに入る。そこを出ると渋海川の鉄橋を渡るが、そこから見える山肌は崩落し、渋海川に流れ込んでいた。

▲ 信濃川

 来迎寺駅を出ると、大きな川を渡る。今朝、越後線で渡った信濃川だが、ここで2度目に渡る。我が国を代表し、我が国最長距離の河川である。社会科の教科書には、名称や、どの地域を流れているのか、我が国最長河川であるなどの特徴くらいしか掲載されていない。それはその程度の情報が得られれば必要最低限の一応の知識というものが満たされると考えるからである。しかし、それだけでは実感を得ることは難しいだろうと思う。どんな大きさなのか、どんな色をしているのかなどを、自分の目で感じること(もちろん、別の手段で実感することも可能だ)も面白いのではないかと思う。

 信濃川を渡ると、大きく左へとカーブして進路を北へと向ける。右側から上越線の高架線路が近づき、その下をくぐって行くとまもなく宮内駅である。最長片道切符の経路では宮内駅から上越線へ乗り継ぐが、宮内駅での接続が悪いので、そのまま長岡駅まで行くことにした。

 12時57分に長岡へ着いた。長岡駅の改札口横にある精算窓口で復路専用乗車券を買う。買うと言っても精算にすぎず、これで宮内と長岡間の往復運賃は支払ったことになるわけだ。宮内・長岡間は、お馴染みの旅客営業取扱基準規程第151条に規定された分岐駅通過列車に対する特例区間となっている。ならば、復路専用乗車券で精算する必要はなさそうに思うが、残念ながら僕が乗ってきた列車は宮内に停まる普通列車だし、これから乗る列車も同様であった。

▲ 長岡駅発行の復路専用乗車券

 長岡で買い求めた復路専用乗車券は、釧路や苫小牧で買ったのと同じ別途乗車復路用の乗車変更専用特別補充券である。しかし、様式は、旅客営業規則第227条第3号のイにあるB型硬券式と似ているが、実際は軟券式でサイズもA型であった。

11.5 上越線を南下

▲ 長岡駅

 長岡駅前のデパートでTシャツなどを購入した。暑いので、すぐに汗をかくだろうから、持ってきた着替えだけでは足りなくなるのではないかとやや不安になったからである。僕は旅に出るときは、どんなに長旅になろうとも2、3日分程度の着替えしか持って行かないことにしている。荷物になるからで、着替えがなくなりそうになると、コインランドリーを利用しては洗濯するのである。実際、今回の旅でも何度となくコインランドリーを利用して着替えを最小限に抑えてきたのである。しかし、この猛暑ともいうべき暑さの中を移動するときにどうしても汗をかいてしまい、着替えてしまうと服が足りなくなってしまう。Tシャツならかさばらないだろうから、この機会に2枚ほど買っておいたのである。

 長岡駅に戻ると、お腹が鳴った。時計を見ると、昼時であった。駅弁売り場を覗くと、いろいろあるが、その中から「日本海さけかに合戦」という横長の箱の弁当を買った。

▲ 普通水上行き

 長岡からは1736M普通水上行きに乗車した。やはり115系である。小出や六日町、越後湯沢を経由して水上まで行く。関東圏へ繋げる列車である。乗客は、沿線に住まいのあるものや、観光客などさまざまで混雑をしていた。宮内から最長片道切符の経路へと戻り、上越線へと入る。左の車窓には田園風景が広がるが、右側を見れば信濃川が見える。夏の昼下がりの独特の陽光が眩しくもあり、懐かしくもあった。普段、これほど太陽の光というものに敏感になることなどあっただろうかとふと思う。

 14時10分、越後川口駅に到着。

11.6 飯山線

▲ 普通十日町行き

 越後川口駅は、飯山線との接続駅である。越後川口駅は2面3線の構内で、長岡からの列車を降りたのが山側の3番線、同じホームの向かい側は長岡方面へ向かう上越線の下り列車用乗り場になっている。飯山線は、地下階段を渡って、向かいのホーム1番線から発車する。既に、キハ110型が1両停車していた。

 僕の他に、赤ちゃん連れの夫婦が大きな荷物を抱えて階段を上り下りする。僕も大きな荷物だから、手伝いたい気持ちはあったが手を貸すことができないので、ホームまであがって荷物を置いてから手伝うことにした。しかし、結局僕がホームまで上りきると、その家族連れもまた上りきった。

▲ 日本海さけかに合戦

 車内は空いていた。ボックスシートを陣取って長岡駅で買った「日本海さけかに合戦」を食べた。鮭フレークとイクラの鮭親子寿司、かにの寿司が2パック入っていて、食べ比べをしながら楽しめるというものである。

 越後川口駅を出るとすぐに大きな川を渡る。これは、信濃川に合流する魚野川で上越線に沿って谷川連峰に源流を発する。一方、信濃川は、飯山線と並行して流れるので、これからも信濃川に沿って行くことになる。

 信濃川から離れずに路線が延びるのは、そもそもこのあたりの地形が日本でも有数の河岸段丘であるからだ。河岸段丘というのは、河川の流れによる侵食と土地の隆起が繰り返されたことによって起こる地形で、河川の両岸にそれぞれ崖と平らな大地が階段状に連なる様子をいう。平らな部分は平地となるから、人家が建ち、水田や畑が開墾され、そして道ができる。鉄道を通すなら、当然そこを通すことになるから信濃川と飯山線は並行するのだ。

 徐々に空が雲で覆われてきた。左側から北越急行の高架線路が近づき、飯山線の上を通る。まもなく十日町駅に到着した。14時43分のことである。

11.7 天気が悪くなる

 14時43分に十日町に着いた。十日町駅は飯山線の駅であるが、同時に北越急行の駅でもある。北越急行の十日町駅は近代的な高架駅となっており、飯山線からの跨線橋がそのまま2階の改札口へと繋がっている。到着した飯山線のホームからは跨線橋を渡って東側のJRの改札口へ向かわねばならないが、北越急行のきっぷなどを記念に購入したいがために、西側にある北越急行の窓口を訪ねてみた。

▲ 十日町駅

 きっぷを購入した後、今度は折り返してJR側の改札口へと向かう。JRの十日町駅は昔からある地方の中核駅の様子であった。改札口で途中下車印を押してもらい、外に出てみる。大きなロータリーに客待ちのタクシーが何台か停まっているが、人が行き交う様子は見られず、何とも寂しい駅前になっている。駅舎の撮影などをしていると、ポツリポツリと雨が落ちてきた。そろそろ本格的に降ってくるかと思って、駅の待合室に避難する。だんだんと蒸し暑くなってタオルで汗を拭う。そのうちに遠くの方でかすかに空が唸ったかと思うと、太鼓を叩いたような大きな音が轟き、大粒の雨が一気に地面を叩きつけた。雨が地面に打ち付けるたびにロータリーのあちこちで大きな水冠ができる。

 雨が降ると、急速に涼しくなった。土砂降りの様子は多少緩んではきたが、それでも雨の降りは強い。その中を数人の高校生らが駆け足で駅まで来る。この不測の夕立に男子も女子もずぶ濡れで、風邪でも引かないかと心配になるくらいだ。

 15時45分頃に長野行きの普通列車の改札が始まった。改札口の真ん前のホームにキハ110型が一両停車している。まだ車内には室内灯はついておらず、側面方向幕も「ワンマン 越後川口」になっている。それが、回転していき、「ワンマン 長野」と表示されると、ドアが開いた。雨に濡れた高校生らも乗って、車内は賑やかだ。

▲ 普通長野行き

 16時10分、普通長野行きは十日町駅を出た。相変わらず雨は降ったままであったが、駅数を重ねるごとに雨は小降りになってきた。生徒の数も減ってきて、車内は空席が目立つようになった。列車が越後田沢を出て信濃川の鉄橋を渡ると、今度は左側に信濃川を見る。雨は止んだが、対岸の山には黒い雲が竜となって襲いかかっていた。おそらくは寒冷前線が通過しているのだろう。急速に気温が冷やされて、その温度差が大きいために竜巻のような雲を作っているのだ。

▲ 信濃川

 そして、津南を過ぎるとついに雨が落ちてきた。猛烈な雨である。空もピカピカッと光り、そしてドドドッと空が唸る。そのうち、ピカピカと光っていたのが、空を引き裂くかのようにして稲妻が走る。そして轟く音。いよいよ嵐の中へ突入だ。

 森宮野原に着く直前で新潟県から長野県へ入った。それと同時に、信濃川も千曲川へと名を変える。ところで、森宮野原は「もりみやのはら」と読む。駅名の由来になったのは、付近に存在する「森」と「宮野原」という地名で、両者をくっつけたのである。僕なぞは、当初「森宮」と「野原」をくっつけたものだと思っていた。面白いのは、森は駅のある長野県栄村にあるが、宮野原は千曲川の対岸に位置する新潟県津南町にあるということだ。県境を挟んだ二つの集落から名を取ってくるとは珍しいが、実は僕の自宅最寄り駅である川西池田駅も兵庫県川西市と大阪府池田市の市名をとって駅名としている同様のケースだ。

▲ 戸狩野沢温泉駅

 列車は豪雨の中、戸狩野沢温泉駅に到着した。ここで31分停車する。僕は、折り畳み傘を出して駅へ向かった。傘を打ち付ける雨の音と弾く水滴が降りの凄さを表していた。改札口で途中下車印を押してもらい、外へ出てみる。駅前で待つバスの屋根には雨の飛沫が立つほどに酷い降りで、時折雷がなるものだから、僕は思わず首を竦ませる。外へ出ても濡れるだけなので、再び中へ戻る。

 改札口を通ろうとしたとき、駅員さんが「長野行きは、車両を換えるよ」と言う。話を聞けば、長野からの141D列車が途中落雷にあって、車両に不具合が発生し、検査のために長野へ引き返すのだそうだ。僕は、また傘を差してホームへと向かった。

 車内へ戻り、鞄を網棚から下ろして乗り換えの準備をしていると、同じホームの向かい側に長野からのキハ110系普通列車が到着した。相変わらず勢いの収まらない豪雨の中を、向かいの列車から降りてくる人たちとすれ違い、そして駆け足で飛び乗った。

11.8 いよいよ遅れる

 本来であれば、十日町から乗ってきた車両がそのまま長野まで向かうが、対向列車のトラブルという不測の事態で乗り換えることになった。対向列車のトラブルがどうして乗り換えねばならないことになるのかは、前述の通りである。

▲ 長野からきた列車に乗り換えた。画像は十日町からの車両

 そして、僕は、そのトラブルの発生した車両に乗り換えて、先を急ぐ。ゆっくりと戸狩野沢温泉駅を出たにわか仕立ての142Dは、もの凄い雷雨の中を走る。窓に打ち付ける雨のせいで景色も見にくい。雨の降る方向が変わって景色が見えたかと思うと、重たい色のした雲をかききるように稲妻が走る。

 戸狩野沢温泉を出て30分ほどすると、雨も止み、空も薄明るくなってきた。まもなく替佐駅というところで、ATSの警報音が鳴った。そして、急制動して駅でもないところに停車した。ATSの警報音は、非常ベルのように、けたたましくなったかと思うと、キンコンキンコンと鳴りやまない。戸狩野沢温泉に来るまでに落雷にあったというから、電気系統に不具合が生じたのだろう。

 あまりに鳴り続けるものだから、そのうち通路を挟んで向かい側で居眠りしていた若者が何事かという顔をして飛び起きた。そして、他の乗客はというと、運転席まで行って事情を問い合わせるということもなく、それぞれが何事もなかったかのようにして静かに事の成り行きを見守っている。

▲ トラブル発生

 運転士は、列車の運行を管理している運転指令と無線でやりとりし、車両の点検をしている。その間、女性の車掌さんが車内放送で車両トラブルのために緊急停車している旨伝えている。そして、緊急停車してから10分ほどして、再び車内アナウンスがあった。

「点検のため、エンジンを一旦切ります。車内の灯りが消えますが、ご了承ください」

 そういうと、程なくしてエンジンが切れた。ATSの警報音も鳴りやみ、空調や室内灯など全電気系統が遮断された。それまでの「音」が消え失せ、一瞬にして車内は静寂に包まれた。そして、ブルルっとエンジン音がしたかと思うと、室内灯が点灯し、空調が再開された。しかし、ATSは鳴りやまない。18時51分、結局、打つ手なしということか、替佐駅まで時速15㎞で徐行するとのアナウンスがあって列車は再び動き出した。20分の遅れで、この後も遅れは増大しそうである。

 7分ほどゆっくり走って、替佐駅に到着した。替佐駅では対向列車がこの列車の到着を待っていたようである。しかし、替佐駅に到着しても、この列車のドアが開かない。5分ほどドアが開かずに替佐駅に停車して、ドアが開くとホームで待ちぼうけとなっていた乗客らが次々に乗ってきた。

 相変わらずキンコンキンコンと鳴りっぱなしの警報音に、耳も慣れてきた。替佐を19時06分に出発するものの、やはり豊野まではそのまま時速15㎞で徐行するようである。すっかり雨は上がったが、外は夜になっていた。豊野には、19時27分に到着。所定よりも40分ほど遅れての到着である。

11.9 実は信越本線もダイヤが乱れていた

▲ 豊野駅

 豊野駅は、雨が上がって間もないようで、ホームは濡れて、そして空気も湿っていた。夜になって気温が下がったから、うっすらと霧のようなものも出ていた。中学の理科で習った露点の話を思い出した。

 豊野駅の改札で途中下車印をもらうときに、中年の駅員さんに「次の直江津行きは何時ですか」と聞いてみた。すると、台帳のようなものを持ってきて「今の段階では、18時50分発のやつがまだ長野を折り返せていないんですよ。この感じだとまだしばらくは来ないですね」と言う。どういうことかと聞いてみると、豊野と黒姫の間で集中豪雨があり、運行規制がかかっていたとのことであった。さらに話を聞けば、「長野を折り返せていない」という列車はまもなく豊野駅を出るのだという。つまり、これから長野まで往復してくるまで列車の発車はないということであった。

 その間、僕は豊野駅から出て、辺りを歩いて暇を潰すことにした。すっかり夜となった豊野の駅前は、寂しかった。街灯が照らす姿さえももの寂しく感じられる。地方の駅前は、最近このような状況が多く見られるようになった。

▲ 普通妙高号

 コンビニさえも見つからないので、駅へと戻った。そうこうしているうちに、直江津行きの普通列車がまもなく到着するとのアナウンスがあった。やってきたのは、特急形車両、189系の妙高号だった。通常の普通列車が来ると思っていただけに、これは嬉しいハプニングであった。妙高号は、20時23分頃、豊野を出発した。車内はようやく長野を出たという乗客らで混雑をしていたが、運良く座ることができた。この時間になって、いよいよ疲れてきて、立ちっぱなしというのは辛い。特急形車両を使用しているだけあって、座席はリクライニングシートと快適だ。

 黒姫を出て再び新潟県へと入る。妙高高原でまとまって乗客を降ろしたので、徐々に車内も静かになってきた。僕は、今夜の宿を高田駅近くに取っているので、高田で降りねばならない。昼過ぎの日本海さけかに合戦以来、口にはお茶以外は何も運んでいない。腹の虫も騒ぎ始めた。

▲ ロワジールホテル上越

 21時24分、すっかりと閑散としてしまった高田駅に降り、改札口で途中下車印を押してもらう。駅前のロータリーをぐるっと回って、通りへと出る。すぐの交差点のところに今宵の宿、「ロワジールホテル上越」があり、チェックインした。疲れたのでそのままシャワーを浴びて寝ようかとも思ったが、腹の虫を収めないと眠れない。近くのコンビニまで往復した。部屋に戻り、サンドウィッチを頬張る。腹にものを入れて安心したのか、この後から翌朝まで記憶はない。


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