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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第14日目

前回のお話は以下URLから。


第14日目(2007年8月9日)

佐原ー松岸(ー銚子ー外川ー銚子ー)松岸ー成東ー大網ー安房鴨川ー蘇我ー海浜幕張ー東京ー西国分寺ー武蔵浦和ー大宮ー熊谷(ー石原ー)熊谷ー倉賀野(ー高崎)

8月9日の行程

14.1 きょうは房総半島を巡ります

▲ ビジネスホテル朋泉

 チェックアウトするときにタクシーを呼んでもらった。夕べに歩いてきた道のりを朝から歩くと、きょう後々にその影響が出るのではないか、そうなるのは嫌だと思ったからである。タクシーは10分程度で来るという。フロントで待っていてもすることもないし、外へ出てみた。

 夏特有の爽快さが感じられる朝だ。空は雲一つない快晴である。こういう天気を僕は願っていたが、北海道や東北ではそれに恵まれることはなかった。僕の心は昂揚した。階段を下りるとき、ふと左側を見ると、線路がある。昨夜通ってきた成田線の線路だ。

▲ 佐原駅

 タクシーで佐原駅へと行く。昨日は夜11時頃の到着とあって、ゆっくりと駅を見ることも忘れていたが、タクシーを降りて見る佐原駅は以前と違って見えた。それもそのはずで、今年の春に実施された観光キャンペーン「ちばデスティネーションキャンペーン」を機にリニューアルされたのである。したがって、リニューアルされてからまだ半年しか経っておらず、駅舎の屋根瓦は美しい。

▲ 普通銚子行き

 7時18分の普通銚子行きに乗車した。211系である。東北本線、高崎線などで活躍していた車両で、東北・高崎の各線に新車両が投入されたことで余剰となったため転属してきたのである。その際、カラーリングも房総をイメージさせる青と黄色の帯に変更された。

 平日の朝だが、乗車率は少ない。それはこの列車が銚子行きだからだろう。千葉行きならばもっと乗車率が高かったろうと思う。鹿島線との分岐駅香取を出ると、水郷駅に着く。車窓には、その名の通り利根川の畔に広がる水田が見られた。思えば、昨日の朝に水上で見た利根川の流れと再会したわけである。40分ほどの乗車時間で、総武線との接続駅である松岸駅に到着した。

14.2 寄り道

▲ 松岸駅

 最長片道切符の経路では、松岸駅からは総武本線を千葉方面へと接続する。そのまま切符の経路通りに千葉方面へと乗り継いでも良かったが、せっかくここまで来たのだから銚子まで足を伸ばして、銚子電気鉄道に顔を出すことにした。そうであれば、松岸駅で降りずに直接銚子へ行けば良いのだが、松岸駅まで来たという「証」が欲しくて下車した次第である。

 途中下車印をもらい、銚子までの往復乗車券を買う。佐原からの電車では高校生の姿はまばらだったが、松岸駅の駅前には自転車が数多く駐輪されてあり、改札口からホームへ向かう高校生が多い。

▲ 普通銚子行き

 8時24分発の銚子行きは113系であった。総武本線のみならず、房総半島の普通列車の代名詞的な車両であるが、現在は老朽化に伴って211系に置き換えられる傾向にある。見かける回数も減ってきた。「千葉の電車」というイメージがあるから、見かけなくなるのは寂しいが、これも時代の流れだろう。

 銚子までは5分。8時29分に到着した。

14.3 がんばれ銚子電鉄

▲ 銚子電鉄銚子駅

 銚子駅2番線・3番線の東端に洋風の三角屋根の建物があり、そこから先が銚子電気鉄道のホームになる。そこには既に一両編成のチョコレート色と朱色のツートンカラーの電車が停車していた。前面を見ると、中央上部の豚の鼻を思わせるようなヘッドライトと貫通扉の間には「1002」の文字が見られる。1000形で元営団地下鉄2000形を両運転台にして改造したものである。

▲ 普通外川行き

 銚子電鉄は、経営が苦しく車両の修繕費もまかなえず、廃線の危機に晒されたことがあった。テレビで取り扱われたこともあり、全国的にも注目の的となった。副業の濡れ煎餅は全国からの注文が相次ぎ、生産が追いつかないほどだったという。その売り上げで当座の危機は脱したものの、依然として厳しいのだそうだ。

 ホームに乗務員がいたので、切符を買うために声を掛ける。すると運転士のようで「この電車は車掌が乗らないんですよ。この一本あとだと乗るんですよね」という。外川まで往復することを伝えると「犬吠埼レジャークーポン券」を勧めてくれた。

▲ 電気機関車

 8時32分に銚子を出発する。夏休みともあって鉄道ファンの姿も多いかと思ったが、そんな風情の者は意外に僕しかいなかった。周辺に醤油工場のある仲ノ町には銚子電鉄の車庫があって、そこには往年に活躍した旧型の電車も見られる。時間があれば、見学もしたいところだが、生憎、きょうはその暇はなかった。

 仲ノ町を出ると、住宅街の中を行く。本銚子を過ぎてしばらくすると、左右に畑が見えだした。大豆畑なのだろうか。君ヶ浜を出て、左車窓に犬吠埼灯台が見えるとまもなく犬吠駅に到着。終点の外川駅はその次である。

14.4 がんばれ銚子電鉄 2

 銚子から乗ってきた列車が折り返すのに僅か2分しか停車しないので、一本遅らせて行くことにした。一本遅らせても銚子からは予定の列車に乗れるのである。それならば、仲ノ町で下りて車庫でも眺められたのだが、外川での折り返しがやはり短いため、窓口できっぷなどを買う暇がなくなっては困ると思い、仲ノ町は車窓からの眺めで我慢をしたのである。

▲ 海の見える坂道

 したがって、銚子行きを見送ってから、まずは銚子電鉄のきっぷなどを趣味蒐集した。外川駅から南へ下る坂へ行ってみた。ここを下りれば港に出られるが、重い荷物を持ちながらなので海の見えるところまで行って引き返したのである。その後、外川駅と電車を組み合わせて撮影できる場所へ移動し、そこで撮影をした。太陽も高くなって日差しがきつくなってきた。まだ9時だから、きょうは暑くなりそうである。

▲ 外川駅に到着した列車

 銚子行きの電車は、801と表示のある電車で800形と呼ばれるタイプだ。先ほどの1000形よりもレトロな感じがする。こちらは、元伊予鉄道で活躍した車両である。

▲ 普通銚子行き

 9時15分、外川駅を出発した。この列車には僕を含めてマニア風情が3人乗っていた。時間が早いのか、一時の熱を帯びた銚子電鉄ブームは過ぎ去ったのか、いずれにしても意外であった。犬吠を出ると、車掌さんが切符を売りに来る。銚子駅での「一本後の」という言葉を思い出した。僕は車内券を購入した。

 終点の銚子までは19分。9時34分の到着である。

14.5 総武本線

▲ 普通千葉行き

 銚子駅からは9時37分発の総武線経由千葉行きに乗車する。211系であった。銚子・千葉間の普通列車は、成東周りと佐原周りの二系統があり、乗客の誤乗を防ぐために、行き先の書かれている方向幕を、経由する路線名の表記だけでなく、色別にして表示している。総武本線経由なら黄色、佐原周りの成田線経由なら緑色という具合である。

 松岸を過ぎて、最長片道切符の経路へと戻る。長閑に田園地帯を行くからか、朝が早かったからか、僕はうとうととした。変わり映えのしないといって悪ければ、単調な車窓は僕に眠りを与えるのにそう時間が掛からなかったのである。しかし、これがウトウトであったから良かったものの、グッスリと意識を手放していたら、千葉まで運ばれていたかもしれない。そうなれば、きょうの予定は破綻する。幸いにも成東に到着する少し前には目を覚ますことができた。成東到着10時33分である。

14.6 東金線

 成東から東金線へと入るのが最長片道切符の経路だ。この東金線があるからこそ、房総半島を一周できると言っても過言ではない。東金線は僅か13.8kmの地味な路線だが、最長片道切符の旅にとっては非常に重要な路線となる。というのも、房総半島を一周する外房線と内房線は、共に蘇我駅で分岐して安房鴨川駅で再び出会うように路線が設定されている。であれば、蘇我駅から外房線、内房線の順に巡っても蘇我駅で2度めの通過となって最長片道切符の経路がそこで断たれてしまうのである。ところが、この東金線が総武線から外房線へのバイパスの役割を果たしてくれるから、蘇我駅を一度しか通過しなくても良いようになるわけだ。

▲ 成東駅

 一度改札を出て駅の外へ出る。駅前にはちばフラワーバスが停車しており、高校生くらいの男の子らのグループが乗り込んでいく。バスの方向幕を見ると「蓮沼南・南浜・作田南廻り」とあるから、どうやら九十九里浜の南浜海水浴場へ行くのだろう。きょうは、快晴で海水浴日和だ。彼らを見ていると、僕も付いて行きたくなったが、この後の予定を考えて断念した。嗚呼、時間が欲しい。

 後ろ髪を引かれる思いで改札を通り、東金線の発着ホームへと行く。しばらくすると、銚子方から211系が到着した。正確には、総武本線から分岐しているから大網方から来たというべきだろう。これが折り返し、1640M普通千葉行きとなるのである。総武本線の千葉方面とは逆方向に行くのに千葉行きとは変な話だが、それは前面方向幕の赤色がその謎を解いてくれる。前面方向幕が赤色の電車は外房線の電車を表している。先程来乗ってきた成田線の緑色、総武本線の黄色然りである。この電車は東金線で大網まで行き、そこから外房線に入って千葉まで行くのだ。

「655は撮らないの?きょうは成田線でやってるよ。2往復。千葉着12時49分だったかな。行っておいでよ」

 ふと撮影する僕に声を掛けたのは、東金線の電車の運転士だった。「655」とはJR東日本が保有するE655系電車のことで、皇族方がお乗りになる、いわゆる「お召し列車」として製造されたものである。その試運転が成田線で行われるというのだ。しかし、僕はこれから房総半島をぐるりと回らねばならない。行きたいのは山々だが、予定を狂わせるわけにはいかない。ここはグッと堪えて先を急ぐことにした。

▲ 普通千葉行き

 10時48分発の千葉行きに乗車した。長閑であり、そして郊外住宅地として家々も目立つ。なるほど、千葉行きの直通列車も走るわけである。乗車時間は17分。外房線との接続駅である大網駅に到着した。11時05分である。

14.7 外房特急で一気に

▲ ロコモコ丼

 そういえば、きょうはまだミネラルウォーター以外は何も口にしていなかった。腹の虫が鳴き始める。時計を見ると、もう正午前とあって、食事をとることにした。大網駅の高架下にある「丼呑みはる」という食堂へと入る。そこのメニューにロコモコ丼というのがあったので、物珍しさもあって、それを注文した。

 ロコモコとは、ハワイ料理の一つで、ごはんの上にハンバーグと目玉焼きが載せられたものをいう。これを丼に盛りつけたのが、ロコモコ丼である。洋風定食を丼にしてコンパクトにした感じだが、中々旨かった。ちなみに、丼呑みはるのロコモコ丼には目玉焼きではなく、温泉卵が添えられていた。その辺りがこの店のオリジナリティということだろうか。

▲ 特急わかしお7号

 腹も膨れて、大網駅へと戻る。みどりの窓口でこの後に乗る特急わかしお7号の指定を取った。D席を所望し、幸いにも希望通りにきっぷを取ることができた。

 改札口を通ってホームへと行く。E257系の5両編成がカーブを描いて入線した。車内へ入ると、幼子を連れた若い女性らの姿が目立つ。乗車率は高かった。みんな海水浴へ行くのだろうか。そういえば、僕の愛読書である「最長片道切符の旅」の中で、著者宮脇俊三氏が房総を回ったとき、氏のまだ幼かった令嬢を連れて行ったのを思い出した。

 街らしい街が見えたのは茂原くらいまでで、それ以降は千葉の片田舎を走った。大原駅ではいすみ鉄道が分岐して上総中野へと行く。房総半島の真ん中へと線路を延ばしているのだ。また、終点の上総中野からは小湊鉄道に接続して、内房線の五井駅までを結ぶ。そういうローカル線に寄り道したいところだが、これまた予定を崩したくはなかったので、我慢して先を急ぐことにした。

 童謡「月の沙漠」で有名な御宿海岸のある御宿は、いかにもリゾート地のような開発をされている。いわゆるリゾートマンションというのか、東京から離れたこの地に、大きなマンションがいくつも建ち並んでいる。その御宿駅に停車して、幾人かの乗客を降ろした。子連れの家族は、これから海水浴の様子である。

 次の勝浦では10分停車する。その間に改札口を出て、入場券でも買おうかと思ったが、窓口は昼休みで閉鎖中とあった。列車が停車しているときくらい開けてもらっても良さそうなものだが、やむを得まい。僕は列車に戻った。

 特急わかしお7号は、勝浦から普通列車となる。列車番号も57Mから5257Mに変わる。房総半島の末端部分では、一部の特急列車に昔からこのような運用が見られる。乗車券のみで、最新型の特急車両に乗れるのだから何だか得した気分になるのは僕だけではなかろう。そうは言っても、僕の場合は大網から特急料金を払って乗ってきているのだから、実のところ、あまり旨みを感じていない。

▲ 海の見える区間

 12時38分に勝浦を出て、各駅に停車していく。時折海岸沿いを走る。窓外に映る海は真夏の太平洋だ。さらに列車は山間の中へと入る。行川アイランド駅に到着する。行川アイランドとは、駅前にあった動植物園で、2001年に閉園している。すっかり寂しくなって、そもそも駅を置いておく意味があるのか疑問である。施設がないのに、駅名もそのままである。どうなっているのだろうか。

 列車は、久々に拓けた街に入った。終点の安房鴨川駅である。この列車が、このまま先へ進んでくれれば東京方面へ戻れるのだが、この列車は折り返して外房線の列車となる。あれだけ混雑していた車内はすっかり閑散としてしまっていた。13時06分、安房鴨川に到着である。

14.8 内房線

 安房鴨川駅は右を向いても左を向いても東京・千葉方面である。乗ってきた方は外房線、これから乗る列車は内房線を走る。

▲ 普通千葉行き

 13時12分発の普通千葉行きは211系である。前面の方向幕は青色で「内房線」と書かれてある。安房鴨川駅発の千葉行き普通列車は2系統あって、乗り間違えると大変だ。したがって、視覚的にも認識しやすいように方向幕を色別にしているというのは、銚子駅のときに先述したとおりである。

 ロングシートの車内は、案外空いており、僕はドア横の座席に座る。カップに入ったかき氷を食べながら騒ぐ女子校生や、学校帰りの男子高校生など、特急とは明らかに客層が異なる。

▲ 東京湾

 館山を過ぎると、房総半島の西岸、すなわち東京湾に沿って走る。保田、浜金谷あたりから海が見えだした。僕の好きな区間である。しかし、上総湊を過ぎると、基本的には田園地帯を行く。君津や木更津といった千葉の中都市を行き、小湊鐵道との分岐駅五井駅を過ぎると、住宅が増えて一際大きな駅へと到着した。内房線の始発駅にして、京葉線の終点、蘇我駅である。

14.9 京葉線 1

普通東京行き

 蘇我からは京葉線に経路を移す。15時55分発の1518Y普通東京行きは、京葉線の独特の顔を持つ205系で、その長い編成を見ると、さっきまでの地方の色を醸し出していた雰囲気の211系から、ぐんと都会的になったような感じがする。

 始発駅の蘇我駅からは乗客の数もまばらで、空席が目立った。しかし、停車駅を重ねて行くにつれて乗車率は高くなっていった。都心へと向かう列車だから、この流れは自然なのだろう。

 京葉線の車窓は、都会的で面白い。蘇我を出た直後は工場街の広がる車窓を眺めることになるが、稲毛海岸駅辺りから、計算された都市区画の上に近代的な建物が多くなる。まるで未来の街を見ているかのようだ。

 僕は、思うところがあって、海浜幕張駅で下車した。

14.10 京葉線 2

 海浜幕張駅で下車したのは、ホーム上で駅員によって発売される自由席特急券を得るためであった。窓口の機械を介さずに予め印刷されたきっぷを売ることを「手売り」という。券売機やマルス端末によらないきっぷだから、珍しさもあってきっぷ蒐集家には、蒐集対象になりやすい。このきっぷは発駅、着駅ともに券面に印刷済だから、こういうきっぷを常備券という。

▲特急わかしお20号

 そのきっぷを駅員から買って、16時10分発の特急わかしお20号に乗り込んだ。この時間の東京行きは、房総方面で仕事を終えて帰社する風のビジネスマンが多かった。空いていた通路側の席を見つけてそこへ腰を下ろす。

▲ 常備券

 ちらりと車窓を眺めると、近未来的な建物がますます増えてくるように思う。そして、僕が京葉線で最も好きな車窓である東京ディズニーリゾートが見えた。大都会の中にありながら、現実主義の横行する大都市空間の中にそれとは異質の空間を醸し出す、そんなギャップが僕の心を捉えた。

 京葉線の線路が敷設されている場所のほとんどが、かつては東京湾だった。そんなことを思わせないくらいに陸になって、そして街として成熟している。新木場駅を過ぎると、方向を90度変えて北へと向かい、東京湾から離れる。潮見駅を過ぎて再び西へ進路を変えると、まもなく車窓が消えた。地下へと潜っていったのだが、正確にはトンネルである。しかし、トンネルに入ったはずだが、そこから出ることはなく、終着駅の東京駅に到着した。

14.11 日本の代表駅に到達する

 東京駅の京葉線ホームから丸の内の煉瓦駅舎まで出るのは時間が掛かる。京葉線ホームの場所がちょうど東京駅と有楽町駅の間にあるからで、平面での移動に時間が掛かる。また、京葉線ホームがそもそも地下奥深くにあるため、地上へ出るには高さの移動もあって、さらに時間が掛かるのである。京葉地下丸の内改札で下車印を押してもらい、丸の内自由通路を歩く。

▲ 東京駅丸の内駅舎

 ようやく地上へ出ると、丸の内南口で、煉瓦駅舎が目の前に現れた。東京駅は、丸の内側と八重洲側で駅舎の雰囲気が異なる。八重洲側は新幹線の発着ホームがあるからか、商業地区の多い土地柄にあった近代的なビルだ。一方、丸の内側は東京駅開業当初からの風情を有するレトロな煉瓦造りの駅舎である。皇居を向いており、日本の(というよりも、とりわけ皇族方、その他の要人を迎えるための)玄関口にふさわしい造りとなっている。日本銀行本店などを設計した辰野金吾の作品である。

 とは言うものの、現在の丸の内口の駅舎は1945年の東京大空襲による戦災で損傷を受け、建て直されたものである。開業当初に比べて似て非なるものであった。それを今度、開業当初の姿へと復元するとのことである。実際、その工事は既に始まっており、一部がフェンスで囲まれていた。

 最長片道切符の経路では、中央本線で御茶ノ水、新宿と経て西国分寺へ向かうことになっている。しかし、正式の路線名では東京・神田間は東北本線、神田・代々木間は中央本線、代々木・新宿間は山手線、新宿以西は中央本線となり、中央本線が分断されたややこしいことになっている。以前は中央本線は東京・名古屋間がその区間であったが、これは他路線と重複する区間をどちらか一方にするよう処したためである。実にややこしい。

▲ 快速八王子行き

 17時02分発の快速八王子行きは、近年導入されはじめたE233系電車であった。東京のど真ん中を通っていく。まさに都会の通勤電車だ。ローカル線が好きな人に、その対称にある都会の路線をつまらぬと感じることが多いと聞く。好きなものの対称としての存在だから至極当然なようにも思うが、都会の車窓だって捨てがたいものがある。さまざまなビルや住宅などが密集した様はローカル線では見られない。人工的なものは、案外と同じものはなく、千差万別であったりする。それぞれの様式は僕にとっては建造物のカタログを見ているようで面白いのだ。

 ここ数年、工事中の印象が深い新宿駅を過ぎると、いよいよ都心から離れるような感じがする。それは背の高いビル群が、新宿以西ではあまり目立たなくなるからだろうか。僕は、西国分寺駅で下車した。

14.12 武蔵野線

▲ 普通南船橋行き

 西国分寺駅からは、武蔵野線の下り列車に乗り継ぐ。17時53分発の普通南船橋行きである。かつて山手線で使われていた205系が使われていた。

 帰宅する人の姿が多く、各駅での乗り降りも多い。それは、武蔵野線が東京都心のベッドタウンを担う地域を結んでいることと、都心から放射状に伸びるJR・民鉄各線とほぼ垂直に交わる線形に関係があるだろう。つまり、武蔵野線は、都心を大きく囲むように弧を描いているのである。昨日は、新松戸から南浦和まで乗車した。新松戸が時計でいうところの3時だとすると、南浦和は1時の辺りで、きょう乗車した西国分寺は9時の辺りである。これから向かう武蔵浦和は12時頃となる。中心へ向かわない路線だが、こういう路線は都心の混雑緩和にも役だっているのだ。

 武蔵野線は、かつて貨物専用線であった。これを沿線住民の足として利用するべく旅客線として運用するようになったのが1970年代のこと。高度経済成長後期に入っていたためか、沿線には既に建物などが林立している箇所もあった。武蔵野線は、そこをトンネルで通過する。いや、武蔵野台地のアップダウンのある箇所を通過するがゆえのことだったのかもしれない。

 列車は、西日の射す武蔵浦和駅に到着した。武蔵浦和駅は昨日乗り継いだ南浦和駅から西へ一駅、1.9kmの地点である。

14.13 埼京線

▲ 普通川越行き(大宮到着後撮影)

 武蔵浦和駅からは埼京線へ乗り継ぐ。埼京線は正式の路線名称ではなく、東北本線別線の通称名である。18時24分発の通勤快速川越行きは、相互乗り入れしている東京臨海高速鉄道の70-000系であった。外観こそ違えど、オーソドックスな通勤電車の様式は変わらず、JRの通勤車両に乗るのとさして変わりはない。

 僕は、埼京線でもこれから通る区間が好きである。大宮へ向かうとき、左の車窓に東北新幹線と併走するのを見ることができるからだ。東海道新幹線と阪急京都線、山陽新幹線と鹿児島本線の組み合わせもあるが、埼京線と東北新幹線が並走するこの区間は距離が長く、また新幹線も大宮以南の速度が時速110㎞に制限されているため、じっくりと新幹線を眺めることができる。他には中々ないケースだ。

 西の空は雲がかかって、沈む太陽の赤色が雲にまで映えていた。北与野を過ぎると高架を下っていく。新幹線の線路が見えなくなる変わりに、右の車窓にはさいたまスーパーアリーナを見ることになるが、それも束の間で地下へと潜る。18時32分、大宮に到着した。

14.14 ワープ

 大宮駅でモタモタしていると、あっという間に時間を潰してしまい、当初の乗車予定だった、熊谷に停まるあさま543号に乗り損ね、さらにたにがわ425号にまで乗り損ねる始末となったので、やむなく19時38分発のMaxたにがわ427号に乗ることにしたのである。だったら在来線で行けば良いようなものだが、既に自由席特急券を買って入場した後だったから、そうもいくまい。ただ、本来であれば在来線経由の方が営業キロが長いから在来線で行くべきだろうが、今日はその気力は失せていた。

▲ 海鮮太巻き

 30分ほど、大宮駅で待つことになったが、これはこれで良い機会だと思い、駅弁屋を覗いて食料を調達した。チキン弁当と海鮮太巻きを購入した。ホームのベンチに腰を掛けて海鮮太巻きを頬張る。マグロやえび、サーモンやイクラなどがぎっしり詰まった巻きだと思っていたが、およそ海鮮ものとしては酢で締めた鯖が入っているだけであった。であれば、海鮮太巻きに違いないが、何やら複雑な気持ちである。ただ、大網駅のロコモコ丼以来だから遅い目の昼食、いや、もはや夕食であったが、空腹の僕にとってはごちそうであった。チキン弁当は投宿の後、第2夕食として食べることにした。

▲ Maxたにがわ427号

 19時38分発のMaxたにがわ427号は、E4系であった。通勤客の姿が多いが、座ることができた。すっかり夜となってしまって車窓から見る眺めには人家の灯りが映る。各家々では一日を終えてゆっくりと過ごしているのだろうと勝手に思うわけだが、そうすると今自分のやっていることに疑問が表れて、ふと我に返ったような気がする。果たしてこういうことをしている僕は何者なのだと自問する。

 しかし、熊谷駅のホームに降り立つと、その意識は薄れ、再び旅の中へと引き戻された。Maxたにがわ427号のテールサインが闇の奥、遠くに消えるまで見送った。

14.15 寄り道

 熊谷駅の改札を出るときに、在来線が遅れているとの情報が入った。熊谷と行田間の上り線で人身事故があって、高崎線は運転を見合わせているという。新幹線を利用して正解であったと下車印をもらって駅を出た。

 熊谷駅はJR線の他、秩父鉄道線が乗り入れる。秩父鉄道で熊谷から寄居方面に2つめの駅に石原駅がある。そこから10分も歩いたところに銭湯があって、2005年の春先に初めて利用してからお気に入りとしている。駅からほど近い温泉や銭湯は、僕にとってはありがたく、旅先での楽しみの一つとなっている。

▲ 普通影森行き

 20時32分発の影森行き普通電車に乗る。ステンレスの車両は元都営地下鉄6000形を譲り受けた5000形車両だ。

 熊谷駅を出ると、上越新幹線の高架に沿って走る。石原駅には20時36分に到着した。

14.16 戻る

 石原駅で初老の改札係から、使用したきっぷをもらい、さらに帰りのきっぷも買っておいた。在来線がいつ復旧するかわからないので、じっくり汗を流して時間を潰すつもりでいた。きょうの目的地、高崎へはできることなら早めに到着したい。22時22分発の羽生行きに乗ることを決め、銭湯へ向かった。

▲ 普通羽生行き

 1時間半ほど汗を流して駅へと戻る。既に改札口は閉鎖されており、無人と化していた。誰もいない駅はもの悲しい。しばらく待っていると、ヘッドライトを輝かせて列車が到着した。元国鉄101系の1000形だ。熊谷には22時25分に到着した。

14.17 きょうの終わりに

 22時28分発の特急あかぎ11号は、発車時間になってもまだ熊谷駅に到着はしていなかった。人身事故による運転見合わせは既に解除されて、一応列車の運行は再開されているが、大幅に遅れているという。

特急あかぎ11号

 22時44分頃、特急あかぎ11号が到着した。先頭車両に乗り込むと、乗客はまばらであった。ほどなくして、車掌が車内改札にやってきた。自由席特急料金として500円を支払い、乗車券を見せたが、特に乗車券を見るでもなく、足早にその場を去っていった。

 列車は、先行列車との運転間隔を確保するため、断続的に速度を落とす。高崎に到着したのは23時33分で、通常なら30分の所要時間だが、49分も掛かった。最長片道切符の経路では高崎の一つ手前の倉賀野駅から八高線へと入る。しかし、今夜は高崎駅前のホテルへ投宿するのでそのまま高崎まで別途分岐していく。改札口では、遅れによって前橋の方へ行けなくなったお年寄りらが若い改札係に食って掛かっていた。僕はその喧噪が収まるのを待って、倉賀野・高崎間の運賃180円を支払って駅を後にした。

▲ チキン弁当

 今夜の宿は高崎駅前のアパホテルである。部屋に入って、大宮で購入しておいたチキン弁当を食べる。チキンライスは、昔、子供の頃に洋食屋で食べた懐かしい味だった。

 銭湯でたっぷりと汗を流したからだろうか、昨日よりも疲れは感じられなかった。幸い、明日は8時前の列車に乗れば良いので、ゆっくりすることができる。最近、ホテル暮らしが板に付いてきたような気がする。その反面、自分の布団と枕が恋しくもなっていた。


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