日本炭酸飲料水界の横井庄一さん。その名もガラナ
ガラナという飲み物がある。北海道限定発売だ。味はドクターペッパーに似てる。
沖縄のルートビアや台湾の黒松沙士(台湾コーラ)に似てるという意見もある。
北海道のコンビニやスーパーに入ると「コアップガラナ!」や「キリンガラナ!」という名前が並んでおり、「キリンよ!いつのまにこんな商売をしてたのだ!」と驚くこと請け合いだ。
さて、北海道を旅行する人の疑問は、「なぜガラナという北海道限定の飲み物があるのか?」ということである。
結論から言うと、ガラナは今も北海道で戦争をしているレジスタンス戦士なのだ。1960年代からずっと戦っている。
いわば日本炭酸飲料水界の横井庄一さんというべき飲み物だ。
彼(ガラナ)が戦ってきた戦争の名前を、コーラ戦争と言う。
世界的に言うと、コーラ戦争とは主に1980〜1990年代に行われた争いを指す。コカコーラのコカコーラ社とペプシコーラのペプシコ社が世界的シェアを競って、世界のあちこちで戦いを繰り広げた。
日本でも1999年の夏にペプシコ社が『スターウォーズ』のボトルキャップをつけて、大々的にマーケティングしたのを覚えてるだろうか?
日本中のスターウォーズ好きがボトルキャップを集めるため、ペプシコーラを飲んだと思う。
一方で、コカコーラも負けずに『ファイナルファンタジー10』のボトルキャップを付けて、コカコーラ人気を高めようとした。ぼくもFFのフィギュアを集めるためにコカコーラを買い、友人にコーラをあげた覚えがある。
一般的にはこれが有名なコーラ戦争だ。
しかし、この戦争には前段階がある。もう一つの重要なコーラ戦争は、1950〜60年代に起きた、アメリカのコーラ企業による他国への進出である。
日本でコカ・コーラ社がコカ・コーラを一般発売したのは、1960年のことだった。
日本市場において、1950年代から販売網を整えたコカ・コーラ社。それまでコカ・コーラは在日米軍や日本にやってくる観光客向けに販売していた。最終段階の1960年代に入り、一般発売に踏み切ろうとしていた。
恐れたのが日本の炭酸飲料を販売していた中小企業の事業者だ。
「海の向こうからコーラという飲み物が入ってくるらしい。これではサイダーなどの売り上げが下がる」
そこでコカ・コーラ販売前に、日本中の中小企業の飲料メーカーが集まって、新しい日本版炭酸飲料水を開発しようとした。
彼らはブラジルでコーラよりもガラナが売れていることに目をつけた。ブラジル大使館の協力を仰ぎ、ガラナの製造方法を教えてもらったのだ。
日本中の中小飲料企業がガラナを作れるように、統一した商標を作った。
その名も、コアップガラナ。
コーポレーション(協力)とアップ(高揚)を掛け合わせ、海の向こうからやってくるコカ・コーラを迎え撃とうと、コアップ・ガラナという戦士で本土決戦に挑んだ。
コカ・コーラ発売前夜、コアップ・ガラナは日本中で好評の飲み物として受け止められた。
しかし、いざコカ・コーラの販売が始まると、あっという間にコアップ・ガラナの販売本数は落ちてしまった。
やはり国産炭酸飲料水は勝てないのか……。
だが、最終防衛戦線の北海道では、コカ・コーラの工場設立が3年ほど遅れたのが転機になった。
コカ・コーラの道内進出が3年遅れたおかげで、道民からコアップ・ガラナが受け入れられたのだ。
北海道は寒いので、強めの甘みを求める道民の嗜好にガラナが合ったという声もある。
かくして北海道では、今も対コカ・コーラ戦線のレジスタンス戦士ガラナが活躍することになった。
北海道に降り立つと、コアップ・ガラナ以外にも、キリンガラナ、セイコーマートガラナ、リボンナポリンガラナ、函館のラッキーピエロガラナなど、たくさんの種類がある。
ガラナは北海道のご当地飲み物と思われるかもしれない。
しかし、かつて日本中の中小企業飲料メーカーが力を合わせて、コカ・コーラに立ち向かった製品が、ガラナなのである。
1960年代に行われた日本飲料水業界のヤシマ作戦。もしくは今もコカ・コーラと戦っている日本炭酸飲料業界の横井庄一さん。
そんな目でガラナを見ると、少しは北海道旅行が楽しくなるのではないだろうか?
いや、ちょっと大げさですかね?
ちなみにガラナの種類は多く、味もけっこう違う。けれど、歴史の古さで言うとコアップガラナが群を抜いている。
北海道に来たらコアップガラナを飲んで、
「これが1960年以前のコカ・コーラ発売前の日本で親しまれていた味か」
と感じてもらうのも、オツな楽しみ方だと思います。
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