会話の中で気づくこと
友達と話しながらコロナの話になった。
「コロナにかかったみたいだったけど、その後どうだった?」
と聞かれたので、
「倦怠感が数日あった。」
と答えたら隣にいた別の友達が
「その単語のチョイスが珍しい」
と言われた。
友達が解説してくれたのだが、普通は
「だるさがあって力が入らない」(中国語で説明された)
などの表現になるそうだ。
確かに会話の中で選ばれる単語は、
これまで学習してきた内容、特に最近のものに
影響されている。
私の場合は、「倦怠感」という単語を
中国語ではどういうのかが気になったので、
調べて、たまたま読み方が珍しかったので
覚えていただけかもしれない。
何回も口に出すことで、記憶にも定着していく。
逆に、「だるさがあって力が入らない」という表現を
知らなかったのも問題である。専門用語、またはそれに近い言葉を使うと、
聞き取ってくれる人は極端に減る。
また、中国人の方が普段口にしないような言葉の配列(またはチョイス)で会話をすると一発で外国人だとバレる。
「意味は通じるけど、中国人はそんな言い方しない」
これまで何回も言われてきた呪文である。
そんな場合、正解を聞くとより簡潔であることが多い。
生活で使う言葉はそんなに複雑にならないことが多いと学ぶ瞬間である。
これらの経験を踏まえて、学生たちに薦めたいのが「日記」と「普段の会話」である。
日記は書くことで自身が使える単語がどれだけかを測ってくれる。また、分からない単語は調べることで増やすこともできる。できれば、ネイティブに修正を頼むのがベストである。そうすれば、言葉遣いや細かい文法を分析することができる。「なぜ」の宝庫に気づくとさらに成長が進む。
もう一つは、「普段の会話」である。普段から言語を口にすることで、定着化を図る狙いがある。といっても最初は簡単な言葉すら発することができない場合が多い。
中国の学生(これは日本も言えるかもしれないが)は、圧倒的に「読む」「聞く」に偏っている。さらに言えば、「読む」である。「書く」は模範の型をそのまま使えばよいという形で割り切っていることが多く、「話す」については、かなり難しい。(ただし、音読の習慣はある。)
考えてみると、話す時にも原稿がないと進めない時があり、そうなると話さなくなるという現象も起きてしまう(その対処法も考えたのだが、効果的ではなかった。これについては再考が必要である)。
ただし例外の学生はもちろんある。アニメ好きやオタクなどで、「聞く」「話す」に特化した学生もいれば、オールマイティーに何でもこなせる学生もいる。彼らにとっては自主学習もできるので、こちらから何かをするというアクションはほとんどない。
今学期はさらに国際交流をすすめ、「話す」についてもう少し推し進めてみたい。彼らの「型」をぶち抜くようなことができればと妄想しながら(それは彼らにとって良いことなのか、悪いことなのかは分からないが)、今日も過ぎていくのだろう。