終活とはいえ、明日死ぬかもしれぬのが人生
50で終活を始めました。
とは言いながら、死ぬ時期を決めることはできないのがまさに”人生”
だから、準備をしつつ、今しかできないことをやろう。
それがこの note でもある。
40歳の時
あの時の感情を決して忘れないと思っていたのに、リアルには思い出せなくなっているが、情景は今でもはっきりと思い出せる。
3月17日の朝、実家の母から電話があった。
「●●くんが亡くなったって」
「えっ??」「●●くんのお父さん?」
「いや、●●くん・・・・」
「えっ??えっ??えっ??えっ??えっ??えっ??えっ??えっ??」
●●くんとは、妹の夫。
だから、母と会話をしたけど、よく理解できなかった。
確実に脳に血液が回りすぎていた。
心臓がバクバクして、頭が痛かった。
何が何だかよくわからなかった。
その日は子供の学校もあったし、仕事もあったから
明日、妹の家に行こうということになり準備をした。
職場に行って明日からの休みをもらったが、
仕事にならなかった。
涙しかでなくて、人の話を理解できる状態ではなかった。
とにかく泣いた。ただただ泣いた。
次の日、新幹線で向かう。
その時はちょっと冷静になっていた。
いや、現実として受け入れてなかったというのが正しいかもしれない。
妹の子供たちは泣いていなかったが、
私と同様、現実として受け入れていなかったのかもしれない。
わかっているが、現実にしたくなかったのかもしれない。
突然の死だったので、予約していた美容院の方が連絡してきたり、SNSで通知したメッセージをみた同級生が集まってくれた。みんながあまりのことに信じられない様子だった。
横たわっている●●くんは、いつもの通りだったけど、冷たく動かなかった。
それから
それからずっと、人間は明日死ぬかもしれないという思いで生きている。
だからやりたいことにチャレンジしないと後悔する。
終活は、やりたいことをやりながら人生を終うことだ。
今日はDVDと本を処分した。
いらない物を捨てて、本当に必要なものに囲まれて行きていきたい。
自分の力を活かして、やりたいことに最後まで挑戦して生きていきたい。