経営者保証を外すための実践マニュアルpart1
2022年11月に上梓した拙書「日本一わかりやすいM&A起業の教科書」では、経営者にとって非常に重要な経営者保証(社長の個人保証)について、テクニカルなM&A論が多いM&A書籍の中では異例ともいえる頁数を割きました。
経営者保証は、当事者である経営者にとっても、事業がうまく行っている時は関心が薄くなりがちです。「それくらいのリスクは背負って当然」という覚悟も、ほとんどの経営者は持っています。しかし、事業経営は変数だらけです。いつまでも右肩上がりが続くわけではなく、時代の流れ、環境の変化で、必ず浮き沈みがあります。
そんな時に、極めて重く圧し掛かってくるのが、この経営者保証です。場合によっては経営判断を鈍らせてしまうし、M&Aや親族継承などの際に大きなネックにもなります。
これから起業したい、M&Aで会社を買収したいと思っている人にとっては、避けて通ることができないのが金融借入であり、それに伴う経営者保証は可能な限り外す方が、より健全な経営ができます。私が、前著でそこに力を入れた理由は、そういった思いがあるからです。
そんな中、2023年4月から経産省、金融庁、財務省の連携による「経営者保証改革プログラム」がスタートするなど、さらにこの経営者保証を外すための流れが加速していますので、今回、同書から経営者保証に該当する箇所を抜粋し、少しリライトを加えました。
本書で繰り返し述べていますが、私は経営者保証には真向から反対の立場です。以下でその理由を説明しますが、それよりも「具体的にどうすれば経営者保証が外れるのか」が、皆さんにとっては重要なことだと思います。特定の一社について書くわけではないので、どうしても第一章は概念的な話にはなりますが、是非自社に当てはめて読んでみてください。
また、概念論はいいから、具体的な外し方を知りたいという方は、ここをスキップして「part2:経営者保証の外し方」をお読みください。
第一章:なぜ経営者保証が問題なのか
1.そもそも株式会社とは何か
多くの場合、企業が銀行等から借入れを行う際は、経営者自身が個人で連帯保証(経営者保証)を行います。それがこの国の大問題で、株式会社の存在意義そのものを根底から覆すと言ってもいいものだと、私は考えています。この国の経済を萎縮させている大きな要因は、この経営者保証制度だと思っているほどです。以下、理由を説明します。
株式会社というのは「株主有限責任」と言う大原則があります。株主の責任範囲は有限であり、出資額以上の責任は負わないというものです。これがあるから、リスクの高い新規事業にもお金(出資金)が集まるのです。
そして、会社(法人)というのは、法律上の人格、つまり法的には会社を構成する個々人とは「別の人」です。この株主有限責任原則に則ると、会社が借り入れた借金はあくまで会社のものであり、それを個人が負担するなんて筋の違う話です。
ここで、「法人」の定義とは何なのか、改めてウィキペディアで調べてみましょう。
法人の名で権利義務の主体となることが可能となる
民事訴訟の当事者能力が認められる
法人財産へ民事執行をする場合には法人を名宛人とすることが必要となる
構成員個人の債権者は法人の財産には追及できない
構成員個人の法人の債権者に対する有限責任
(出典:ウィキペディア「法人」)
などが法人の特徴であると書かれています。この限りではありませんが、主要な定義はこの5つでしょう。
例えば、1番目の「権利義務の主体となることが可能である」ことから、当然に2番目の「民事訴訟の当事者能力が認められる」ことになります。つまり、個人ではなく法人が裁判の当事者になることが出来るということです。
3番目もその流れですね。法人が所有する財産に民事執行(差し押さえなど)をする場合は、その宛名人は個人ではなく法人にする必要がある。当然ですね。法人の差し押さえの宛名人が個人だとおかしな話です。
4番目の「構成員個人の債権者は法人の財産には追及できない」。これも、個人と法人は別物なので、当然です。構成員(社員=株主)が個人で借金があったとしても、その債権者は法人の財産を追及できません。逆に、それが出来たらえらいことですよね。
そして、最後の5番目にある「構成員個人の法人の債権者に対する有限責任」。これが、20世紀最大の発明である(と私が個人的に思っている)、株主有限責任原則です。これこそが、資本主義社会を発展させたものなのです。
1千万円の出資をして、1億の負債を個人的に被るなんて、そんなことがあるなら誰もお金を出さず、株式会社、ひいては資本主義社会が成り立ちません。「株主有限責任」の原則は、資本主義社会の根幹をなすものなのです。
幕末、渋沢栄一がフランス万博に赴いた時、スエズ運河を航行中にそこが民間資本で作られた運河だと知り、愕然としたという逸話が残されています。そして彼は、日本でも民間資本による株式会社が必要だと考え、国に訴えていきます。
なぜそんなビッグプロジェクトに民間の出資が集まるのか。いうまでもなく、有限責任だからです。最悪の場合、自分の持ち株は紙くずになるかもしれないが、それ以上のリスクを負うことはありません。そして、成功すればその何倍ものリターンを手にすることが出来ます。
この有限責任原則というのは、産業革命が巻き起こる資本主義社会の、大きな成長エンジンとなる発明なのです。我々は、今の時代もその恩恵を受けて生きています。
※ここでいう「法人」とは、あくまで株式会社や合同会社を指しており、合資会社や合名会社、あるいは弁護士法人等は、無限責任とされています。
2.株主と経営者は別(資本と経営の分離)
さて、ここからが本題です。皆さんお気づきだと思いますが、それはあくまで株主の話です。経営者の話ではありません。なんか違和感ありますよね。そうです。法的には「社員(構成員)」とは株主のことを指しているのです。
役員はどうかというと、あくまで株主に経営を委託された存在に過ぎません。なので、役員報酬や任期を決めるのは株主総会であり、自分で報酬金額を変えることもできません。株主は、約束した報酬を、約束した期間は役員に払う義務があります。
そして、業績不振だったりすると、株主は役員を解任することが出来ます。それが経営者の「経営責任」です。経営者(役員)というのは、あくまでそのような雇われの立場です。株主ではない社長のことを、よく「雇われ社長」と言いますが、経営者とは元々そうなのです。「雇われ社長」というと、なんか特別な立場の印象も受けますが、そもそもそれが本来の姿です。株主と社長(資本と経営)はあくまで別物です。
では、なぜそんな「雇われの身」でありながら、「経営者保証」と称して会社の借入れを個人で保証させられるのか。どう考えても理不尽で、普通に考えて、そんなドMな立場なら誰も社長なんて引き受けませんよね。いつ首を切られるかわからない雇われの立場なのに、個人で会社の借り入れを連帯保証するなんて、怖くてしょうがない。
このスーパードМ制度の理由として考えられるのは、株主と経営者が同一人物というケースが、中小企業の場合は多いことです。社長が株主を兼ねていて、自分で自分を雇っているという構図です。つまり「雇われ社長」ではなく、資本と経営が分離していないオーナー社長が多いのです。
つまり、資本と経営が一体であるオーナー企業の場合だと、「株主有限責任原則」に反します。資本と経営が分離している状態だと、「いつ首を切られるかわからない雇われの身でありながら、個人で会社の借り入れを保証するスーパードM状態」です。どちらにしても、経営者保証はそもそも大きな矛盾を孕んでいるのです。
3.経営者保証も立派な公私混同だ
日本は資本と経営が一体になっているオーナー会社が多い。何もそれ自体が悪いと言っているのではありません。日本の中小企業は、ほとんどがそうです。ただ、それだけに「公私混同」という問題が多々生じてしまうのも事実です。
よく、創業者が「この会社は俺が育てた子供みたいなものだ」などと言いますよね。会社に愛情を持つのは、経営者としては当然。自分が立ち上げた会社であれば尚更、我が子のように愛しく思う気持ちもよくわかります。
ただ、同時にそこには公私混同の種が潜んでいます。のちに「事業承継特別保証制度」などでも説明しますが、会社と経営者間のお金の貸し借りを放置したり、過剰な役員報酬を得たりするのは、明らかに公私混同とみなされますが、その根っこは、資本と経営が一体になっている、つまり「この会社は自分のものだ」という意識から生じていると言ってもいいでしょう。
「現場の責任者」である社長が株主と同一人物であれば、その『勘違い』は必然的に生まれてきます。しかも、会社の借金を個人で保証までしてリスクを背負っていたら、そりゃ勘違いも生まれます。
ここで考えてみてください。そもそもこの「経営者保証」も、立派な公私混同だと思いませんか?だって、会社の借金と個人の借金を同一視するわけですから。
逆の場合、つまり個人の借金を会社が連帯保証するなんてことは、あり得ません。勤めている会社の信頼性によってローンの審査結果が左右されることはありますが、それは個人の返済能力に関係するためです。
例えば、会社のお金を経営者が個人的用途に使って経費にすることは、脱税にもつながりかねず、罰せられます。会社と経営者の間で貸し借りがあり、それが長期間続いているような場合も、会社の評価は格段に落ちます。公私混同と解釈されるからです。
であれば、借入返済も会社と個人を区分けするのは当然です。会社が借りているお金ですから、個人は無関係のはずです。にも関わらず、会社の借り入れ返済に関してだけは、そのような公私混同を是としているのです。矛盾していますよね。それが、長年、多くの人が当然のように受け入れている、経営者保証です。
なぜこんなことをやっているかと言えば、債権者(金融機関)を守るためです。それ以外の論理的な理由があるなら、ぜひ教えてほしいくらいです。
かく言う私も、かつては何の疑問も持たずに経営者保証をしていました。返済しながら借り換えを繰り返し、多い時で7,000万円くらい。信用保証協会との二重保証になっていたものもたくさんあります。そして、国の期間である保証協会も、個人保証を求めてきます(これも変ですよね)。
一方で、財務的に厳しいときは社員のボーナスや社員旅行の費用を自腹で出して(やっちゃいけない典型パターンですが)、社員のためにがんばっている自己満足に浸る、そんな程度の経営者でした。社員数30人程度の、吹けば飛ぶような弱小会社です。それも立派な公私混同です。今の私が株主なら、そんな経営者はクビにするかもしれません。小さな会社とはいえ、会社と個人は別物です。
よく家族に対して「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ」と言う、傲慢な昭和オヤジの話を聞きますよね。根本はあれと同じで、私物化なのです。「俺が食わせてやっている」と言う意識が出てきます。そんなこと思ってませんが、俺がリスクを取ってるんだという意識は当然にあります。
ここ重要なので繰り返します。お金の公私混同をしていると、心の公私混同(私物化)も必ず起きます(順番は逆かもしれません)。そうなると、社員の心も離れ、会社は衰退していきます。
経営者保証を抵抗なく受け入れるのは、この私物化マインドに繋がるものだと私は思っています。「俺はこれだけのリスクを負っている」という自負心や覚悟は素晴らしいことですが、それが公私混同の元なのです。株主や経営者は、社員のように簡単に辞めるわけにはいかない立場です。株主は出資したお金と配当。経営者は実績に応じた報酬。それらは、会社がなくなるとゼロになります。それだけで立派にリスクを背負っている上に、社員とその家族への責任も背負っています。それ以上背負う必要などありません。
4.経営者保証はしない。してるなら外そう
新規で借り入れをする場合は「個人の連帯保証はしません」との前提で金融機関と交渉すればいいですから、話はシンプルです。先方がそれを受け入れるかどうかの話です。金融機関は、多くの場合、特に実績に乏しいベンチャーなどには、プロパー融資ではなく国の機関である信用保証協会を付けたがりますが、その上で、経営者個人からも連帯保証を取ろうとします(さらに保証協会も個人保証を要求してくるという、何重もの保証になりがちです)。
銀行も民間のビジネスであり、預金者から預かったお金を運用して利益を上げる義務がありますから、できるだけリスクを避けたいのは理解できます。しかし、そのために国の機関(信用保証協会)というものがあります。何より問題は、その経営者保証がどれだけ長年に渡って社会の足を引っ張り続けているのか、ということです。
世界各国の制度を調べたわけではありませんが、会社がデッド資金を調達する際、CEO個人が銀行に連帯保証するなんていう国は、他にあるでしょうか?恐らく日本特有の制度(というか習慣)でしょう。
経営者保証なしでは融資出来ないと言われた場合は、次に説明するガイドラインを理解して、会社を経営者保証しなくていい状態にすることが先決です。経営者として、これは他の何よりも優先する最重要課題です。なぜなら、それは会社の強さに直結することだからです。
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