経営者の個人保証について、改めて考える
この『わらしべM&Aノート』は、これから起業をする人に、既にある会社を買う”M&A起業”の選択肢を提供し、そのメリットとデメリットを解説することをテーマとしています。
それを、大きく起業・売却の各フェーズ、またDXで企業価値を高める方法を、それぞれ解説していく予定ですが、その前に、どうしても伝えたいことがこの【個人保証】です。
”M&A起業”に限らず、会社経営全般において私が最も重要視したいテーマのひとつです。なぜなら、会社や事業をいう枠を超えて、人生にダイレクトに関わってくることだからです。しかも、多くの場合あなた一人ではなく、家族や友人も巻き込んだ話になってきます。
多くの場合、企業が銀行等から借入れを行う場合、経営者自身が個人で連帯保証(経営者保証)を行います。これは、会社が潰れても経営個人がそれを肩代わりしなさいよ、と言う制度です(多くの場合と書きましたが、これはあくまで日本の場合です)。
実は、それがこの国の大問題で、株式会社の存在意義そのものを根底から覆すものと言ってもいいものです。この国の経済を萎縮させている大きな要因は、この個人保証制度だと私は思っているほどです。
これを読み終わったときには、今まで深く考えずに捺印してきた個人保証が、いかに矛盾に満ちていて、個人だけでなく社会にとって大きな害であることが、お分かりになると思います。
株主有限責任原則
株式会社というのは「株主有限責任」と言う大原則があります。株主の責任範囲は有限であり、出資額以上の責任は負わないというものです。これがあるから、リスクの高い新規事業にもお金が集まるのです。
そして、会社(法人※)というのは、法律上の人格、つまり法的には会社を構成する個々人とは”別の人”ということです。そうである以上、会社が借り入れた借金はあくまで会社のものであり、それを個人が負担するなんて、基本的に筋の違う話ですよね。
ここで、「法人」の定義とは何なのか、改めてウィキペディアで調べてみましょう。
などが法人の特徴であると書かれています。この限りではありませんが、主要なものはこの5つでしょう。
例えば、1番目の「権利義務の主体となることが可能である」ことから、当然に2番目の「民事訴訟の当事者能力が認められる」ことになります。つまり、個人ではなく法人が裁判の当事者になることが出来るということです。3番目も、この流れからすると自然なことですね。
4番目の「構成員個人の債権者は法人の財産には追及できない」。これも、個人と法人は別物なので、当然ですね。構成員(社員=株主)が個人で借金があったとしても、その債権者は法人の財産を追及できません。逆に、それが出来たらえらいことですよね。
そして、最後の5番目にある「構成員個人の法人の債権者に対する有限責任」。これが、20世紀最大の発明(と私が個人的に思っている)、株主有限責任原則です。これこそが、資本主義社会を発展させたものなのです。
1千万円の出資をして、1億の負債を個人的に被るなんて、そんなことがあるなら誰もお金を出さず、株式会社、ひいては資本主義社会が成り立ちません。「株主有限責任」の原則は、資本主義社会の根幹をなすものなのです。
幕末、渋沢栄一がフランス万博に赴いた時、スエズ運河を航行中にそこが民間資本で作られた運河だと知り、愕然としたという逸話が残されています。そして彼は、日本でも民間資本による株式会社が必要だと考え、国に訴えていきます。
なぜそんなビッグプロジェクトに民間の出資が集まるのか。いうまでもなく、有限責任だからです。最悪の場合、自分の持ち株は紙くずになるかもしれないが、それ以上のリスクを負うことはありません。そして、成功すればその何倍ものリターンを手にすることが出来ます。
この有限責任原則というのは、産業革命を巻き起こした資本主義社会の、大きな成長エンジンとなる発明だったのです。そして、我々は今の時代もその恩恵を受けて生きています。
※ここでいう「法人」とは、あくまで株式会社や合同会社を指しており、合資会社や合名会社、あるいは弁護士法人等は、無限責任です。
株主と経営者は別(資本と経営の分離)
さて、ここからが問題です。皆さんお気づきだと思いますが、「有限責任」はあくまで株主の話です。経営者の話ではありません。なんか違和感ありますよね。そうです。法的には「社員(構成員)」とは株主のことを指しているのです。
役員はどうかというと、あくまで株主に経営を委託された存在に過ぎません。役員報酬や任期を決めるのは株主総会であり、期の途中で報酬金額を変えることもできません。株主は、約束した報酬を、約束した期間は役員に払う義務があります。
そして、業績不振だったりすると、株主は役員の首を切ることが出来ます。それが経営者の「経営責任」です。経営者(役員)というのは、あくまでそのような雇われの立場です。その意味では、大企業の不祥事で社長が引責辞任というのは、正しい責任の取り方といえます。
では、なぜそんな「雇われの身」でありながら、会社の借入れを「経営者保証」と称して個人で連帯保証させられるのか。
そう考えると理不尽で、そんなドMな立場なら誰も社長なんて引き受けませんよね。雇われの立場なのに、会社の借り入れを個人で連帯保証するなんて、怖くてしょうがない。
だって、株主から首を切られたら、立場はなくなるけれど、借金だけは残るんですよ。
このドМ状況の理由として考えられるのは、株主と経営者が同一人物というケースが多いことです。つまり、資本と経営が分離していないのです。それだけに、「公私混同」という問題が多々生じてしまいます。
会社は株主のもの。株主は有限責任。でも、社長も同一人物。なら社長が保証しろよと。ざっくり言うと、そういうことです。
個人保証は立派な公私混同
ここで考えてみてください。個人保証も立派な公私混同だと思いませんか?会社の借金を個人で保証するわけですから。
会社のお金を経営者が個人的に使うことは、脱税にもつながりかねず、厳しく罰せられます。会社が借りたお金なんてなおさら、個人で使うことは出来ません。明確に公私混同です。
また、会社と経営者の間で大きな金額の貸し借りがあり、それが長期間放置されているような場合も、会社の評価は格段に落ちます。公私混同と解釈されるからです。
にも関わらずですよ。会社が金融機関から借りたお金だけは、個人で肩代わりする公私混同を是としているのです。
矛盾してますよね。そんな矛盾だらけなのが、長年、多くの人が当然のように受け入れている、経営者による個人保証なのです。
なぜこんなことをやっているかと言えば、債権者(金融機関)を守るためです。それ以外の論理的な理由があるなら、ぜひ教えてほしいくらいです。
かく言う私も、今はありませんが、かつては何の疑問も持たずに個人保証をしていました。返済しながら借り換えを繰り返し、多い時で8,000万円強。信用保証協会との二重保証になっていたものも何本もあります。
一方で、財務的に厳しいときは社員のボーナスや社員旅行の費用を自腹で出して(やっちゃいけない典型パターンですが)、社員のためにがんばってる自己満足に浸っていたり、そんな程度の経営者でした。社員数30人程度の、吹けば飛ぶような弱小会社です。
それも立派な公私混同です。私が株主なら、今ならそんな経営者はクビにするかもしれません。小さな会社とはいえ、会社と個人は別物です。よく家族に対して「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ」と言う、傲慢な男の話を聞きますよね。根本はあれと同じで、私物化なのです。「俺が食わせてやってる」と言う意識が出てきます。
ここ重要なので繰り返します。経費(お金)の公私混同をしていると、心の公私混同(私物化)も必ず起きます。そうなると、社員の心も離れ、会社は衰退していきます。なのに個人保証という公私混同をなぜ当たり前に受け入れているのか?と言うことです。
個人保証はするな。してるなら外せ
いきなり命令口調になって申し訳ないですが、「個人保証は絶対するな。もし既にしてるなら、必ず外せ」と、私は強く思っています。
新規で借り入れをする場合は、簡単です。「個人の連帯保証はしない」との前提で金融機関と交渉するだけですから。向こうは保証を付けたがります。多くの場合、特に実績に乏しいベンチャーなどには、プロパー融資ではなく国の機関である信用保証協会を付けたがります。その上で、経営者個人からも連帯保証を取ろうとします。ダブル保証です。
銀行も民間のビジネスであり、預金者から預かったお金を運用して利益を上げる義務がありますから、できるだけリスクを避けたいのは理解できます。しかし、そのために国の機関(信用保証協会)というものがあります。
そして、世界各国の制度を調べたわけではありませんが、会社が銀行からデッド資金を調達する際、CEO個人が連帯保証するなんていう国は、他にあるでしょうか?恐らく日本特有の制度(というか空気)でしょう。
個人保証なしでは融資出来ないと言われた場合は、公開されているガイドラインを理解して、会社を「個人保証しなくていい状態」にすることが先決です。経営者として、これは他の何よりも優先する最重要課題です。
では、今現在個人保証をしている人は、どのようにそれを外すことができるのか。長くなりすぎますので、次回以降に丁寧に解説していきます。
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