親友Rのこと
2017年も、残すところあとわずか。もう本当に「もういくつ寝るとお正月」という言葉がぴったりの時期になってしまった。
noteのハッシュタグ企画もあり、2017年を振り返ってみようとおもったけれど、なぜかあまり記憶がない。
一月に何をしていたか? 二月何が起きていたのか?
ぼんやりと毎日を過ごしていた訳ではないと思う。むしろ毎日何かしらバタバタと慌ただしかったと思う。けれども、「ああ、そう言えばこんなことがあったな」と、思い出せるような事柄がほとんど思い当たらないのだ。大きな事故や病気がなかったんだからいいじゃないか、とも思えるのだけれど、プライベートであまりにも何もなかったのもそれはそれで寂しい気もする。
いくつか思いあたることといえば、親友Rが三月に結婚し七月に出産したことと、間詰ちひろ というペンネームをつくってnoteで書きはじめたことだろうか。
Rとは高校二年生の頃からの付き合いで、もうかれこれ二十年来の友達だ。高校生の頃は一緒に梅田や心斎橋に買い物に出かけ、おしゃれを楽しんだり、将来に対する漠然とした不安をお互いぼそぼそと口にしながらも、その不安をかき消すようにして笑い合っていた。Rは京都の大学に進学し、私は神奈川の大学に進学したため離ればなれになった。けれど、そこからが不思議なことで、Rと私は文通をはじめた。正直言って、もうその時代にはPHSや携帯電話が広まりはじめていた。パソコンでのメールのやりとりも一般的になりはじめた頃で、文通は正直時代遅れといってもいいようなものだった。けれど、私たちは、大学生になればなったで、大人になることへの漠然とした不安を抱え、その不安を手紙にぶつけていた。読んでもらう、というよりは手紙のなかに吐き出すようにして、心に渦巻いている灰色なモヤを言葉に変えていた。お互い、手紙を書きたい、という気持ちが強くて、返事が来る前にまた手紙を書いたりしていた。
おかしなもので、その習慣は、Rの結婚が決まった2017年の春先まで続いていた。声が聞きたい、とか、すぐに返信して欲しい、とかではなかった。お互い手紙を書くこと行為そのものに、意義を感じていたのだろう。
結婚に対する不安や、母親になることへの不安、様々な想いが綴られていてた手紙に対して、わたしは「大丈夫。心配することないんやで」と、母親になったこともないのに、Rを安心させるような文面を丁寧に書いて送ったことを覚えている。
Rは今年の7月に元気な男の子を出産し、いまではすっかり母親の顔をしている。インスタグラムに成長記録的な写真をアップして「完全なる親バカ笑」と記している。母は強し。母は図太し。と思いながら、いいねの♥︎マークをポンと押す。
それでも、時々Rから不安をつづる連絡がある。さすがに手紙を書くための時間は割けないようで、LINEに変わっているのだけれど。こどもに対するあらゆる面において神経質になり過ぎてしまっていることへの不安なんかが吐露されていたりする。母親になったことのない私には、返答はすこし難しいものもあるけれど、「わたしは、こう思う。だから、心配し過ぎるのは当たり前だし、心配し過ぎる必要もない」といった言葉を彼女に返信している。
彼女には、近くに両親もいるし、旦那さんも優しく、とても理解のある人なのだ。それでも、とても不安になるのは、なぜなのだろう。
それでも、母親としてうまくやれるかどうかわからない。夫とうまくやれるかわからない、と悩みながらも、私にLINEを送ってきてくれるのがありがたいとすら思うのだ。彼女の悩みを二十年も聞いている私は、彼女がどんな答えを求めているのか、100パーセントではないけれど、わかる部分がある。同時に、私が投げかけた不安や悩みに対しても、彼女はかなりの確率で求めている言葉をかえしてくれるのだ。
Rとは、住んでいる場所、としての距離は離れているけれのだけれど、こころの、どこか深い底の部分でつながってしまっているのだ。一卵性双生児、とまではいかないのだけれど。そんなことに今年になって、今更ながら気付けたことが2017年のハイライトとしておきたいと思う。Rにもわたしにも、明るくあたたかな新年が訪れることを祈りながら。