「イマーシブシアター『サクラヒメ』~『桜姫東文章』より~」【#まどか観劇記録2020 2/60】
2020年1月24日~2月3日まで京都南座で上演中の「イマーシブシアター『サクラヒメ』~『桜姫東文章』より~」(以下:『サクラヒメ』)を観劇してきた。
歴史ある南座で行われる最先端の舞台表現のイマーシブシアタ-『サクラヒメ』。この作品についてその二大特徴である、イマーシブシアターという点、マルチエンディングという点から書いてみる。
あらすじ
歌舞伎演目の『桜姫東文章』をもとにしたオリジナルストーリー。
かつて深く愛し合ったものの結ばれること叶わず、来世での邂逅を約束して心中した男女。生まれ変わりを繰り返し、再び出会うことは出来るのか。女は生まれ変わり花魁 桜姫として現世に生を受けた。前世の記憶をもとに、陰陽師、浪人、町医者、鳶、義賊の5人から愛した男を探す。
①イマーシブシアター
作品について言及する前に、イマーシブシアターというものについて触れておきたい。イマーシブシアター(没入型演劇)とは、従来の着席型での観劇とは異なり、観客が演者と同じ舞台の上で、自らの意志で動き回り観劇する形式の舞台作品である。観客と演者が同じ場所にいるため、当然着席型よりもずっと近い距離で観劇することができる。また、観客自らの意志によって自由に動き回り見るものを選び取るため、一人ひとり見るものは異なるという能動的な観劇体験となる。NYをその発祥とし、近年日本でも上演が増えてきているが、この『サクラヒメ』はその日本のイマーシブシアターの先駆者であり牽引者であるDAZZLEが演出・脚本・振付・制作協力を担当している。
更に、『サクラヒメ』には、今までのイマーシブシアターと大きく違う点がある。それは、俯瞰的視点が存在すること。つまり、着座型の観客席があるということ。
会場となる南座は2018年に改修し、1階客席を取り払い舞台と同じ高さの床を作ることでひとつの大きな空間とするフルフラット化を実現した。この新機構を初めて本格的に使うのがこの『サクラヒメ』である。フルフラット化した1階をイマーシブシアターの動くエリアとする一方、2,3階の着席環境は残し、観客を含めた“イマーシブシアターを観劇する”、という体験ができる。これは世界初ではないだろうか。しかも、2階と3階にも演者が登場したり、角度によって見ることができる光景も異なるため、一概に雲上人といってもその体験は様々だ。
では、具体的に何が見えるのか。
ー1階(都人)
イマーシブシアターの醍醐味ともいうべき、自ら動き回り、触れることができる距離で演者を見る体験ができるのが1階の観客である。作品の世界観に没入するため、黒い羽織を羽織った彼らは都人と呼ばれ、フルフラット化された舞台の上を歩き回る。
入場するとすぐその光景に圧倒される。南座だった舞台は、京都の町の一角に変わり、すでに入場していた都人(観客)が演者と往来のそこここでやり取りをしている。一歩会場に入った時から世界観に没入する仕掛けだ。そして、作品中には、様々な小道具を用い、この場所が様々な空間に変化する。あるときはお茶屋のお座敷、ある時は町医者の診療所、ある時は長屋の一室、ある時は往来のど真ん中、というように。そしてこれらはいくつもが同時に行われている。
従来のイマーシブシアターに多い建物を舞台に使うものでは仕切られているため、それぞれのパフォーマンスは独立して作ることができるが、この『サクラヒメ』ではすべてのパフォーマンスが一つのフロアで行われるため、ぐるりと見まわせばメインキャラクターのだれがどこで何をしているかはざっくり確認することができる。そのうえで誰を近くで観るかを考えたり、首を回して欲張りに2シーンを同時に観たり。
異なるシーンが同時に、あまり強固でない仕切りにおいて同じ場所に存在しているため、下手をすると認識が混在してしまいそうになるが、この作品はそんなことは決してなく、明確に、同時で柔軟に数々のシーンが分かれたり合流したり、その構成は実に秀逸である。
また、平面的な空間は障子などでも緩やかに仕切ることが可能となるが、大きな一室空間では音を分けることは出来ない。全体に流れるひとつの音楽が作品の進捗を知らせ、登場人物の心情を代弁していく。いくつも同時に行われるシーンのすべてに合致しながら、全ての物語を推し進める。構成も、演出も、音楽も、これを成功させていることは見事としか言いようがない。
イマーシブシアターは客席に座らず演者と同じ空間を動きながら観劇するため、従来の舞台作品よりも演者との距離が近い。近いが、このサクラヒメはそのイマーシブシアターの中でもさらに近い。どういうことか?目の前の出来事に巻き込まれるのだ。例えば、お茶屋のシーンを見ているとする。近しい距離で演者と目が合ったかと思うと手を引かれ座敷にあげられているのだ。その後座敷遊びまで一緒にしてしまう。作品の中で演者と観客がやり取りを行う。作品の世界に入り込む。これ以上の没入(イマーシブ)があるだろうか。
大好きな演者を追いかけ、まさか一緒に作品世界に入れるとは、少し恥ずかしそうなうれしそうな笑顔が1階にはあふれていた。
ー2階(雲上人)
2,3階の着座の観客は雲上人と呼ばれる。文字通り、雲の上から作品を見下ろす形になるからだ。
2階は舞台が驚くほど近い。自分が座っている側のパフォーマンスは見えないこともあるが、見えないことで満足度が下がるとか、ストーリーがわからないということはなく、むしろ見えるものが豪華すぎる。というのも、1階の観客(都人)は歩き回ることができるのだが、パフォーマンスができなくなってしまうため一応入ってはいけないエリアが決まっている。その入れないエリアでのパフォーマンスが2階から見るのに最適に構成されているのだ(私にはそう思えた)。まさに特等席だ。
そして2階には時々1階で動き回っていたはずの演者が出現する。不意に現れる演者たちは気さくで、観客は彼らに話しかけられたり、そこでしか見られないシーンなどの特別な体験をすることになる。
メインの軸となるストーリーはあるが、それは1~3階すべての観客に対してきちんと伝えられる。そのうえで、観客は自分の意志で好きなものを見ることができる。2階から見る景色は1階からよりも視界が広がるため、より選択肢も増え、より全体を把握することが可能となる。
ー3階(雲上人)
近さでいうと1,2階席には及ばないが、個人的にはぜひ一度は3階から観ることをお勧めしたい。
なぜか。
ストーリーの進行で重要なメインステージが最も見やすい場所であるため、物語への理解と感動が最も深まる場所であること、そして世界一美しい振付と構成が見れる場所だからである。
1,2階で述べたように『サクラヒメ』はどこから観ても満足感が高いことに間違いはない。すべての演者がそのままの役を生きているし、プロ中のプロの演技、ダンス、歌、パフォーマンスはどれも素晴らしい。ただし、やはり南座の劇場は正面があるように作られている。大きな仕掛けや全員に見せたいものは正面に向けて作ることになる。これが、、、たとえようもないほど美しいのだ。日本語が、日本の文化がわからなかったとしても素晴らしいとわかるような。これは言葉では表現できないのでぜひ一度その目で見て確かめてほしい。南座の設えも相まって、美しい浮世絵を見ているような構築的で絵画的で情緒的な美しさである。
②マルチエンディングについて
あらすじでも述べたが、今作品は最終的に5人の男から一人が選ばれるマルチエンディング形式となっている。
つまり5通りのエンディングが存在し、その選出は雲上人と呼ばれる2,3階の観客に投票という形でゆだねられる。このため、投票権のある観客は幕が開いた瞬間から誰を選ぶかという問いかけを頭の片隅に置いたまま観劇することになる。選ばれた人によってその後に観られるパフォーマンスも変わってくるため、選ぶのも真剣である。自分がもともとファンだった人を見たくて投票する人、その場での印象で決める人、複数回見ている人は前回見ていない人という理由で決めるかもしれない。たくさんの人のたくさんの思惑の総意としてエンディングが決定する。
雲上人がその意思を表明した直後、並びそろった5人の男の中からたった一人が舞台上に残る。その演出が憎らしいほど格好よく素晴らしいのだが、これはネタバレになるので涙を飲んで割愛する(ぜひ実際に見て)。
ただ一人が選ばれるだけでなく、自らが悩み考えた末の選出。自らの意志と結果が同じだったとしても違っていたとしても、ただ観劇していただけでは得られない心の動き、記憶への残り方が生じる。人は見れたかもしれないのに見れなかったというものがとても気になる生き物なのかもしれない。マルチエンディングは観られなかった結末への想いも含めて、観客の心に深い爪痕を残していく。
『サクラヒメ』は、イマーシブシアターという点でも、マルチエンディングという点でも、一度では決してすべてを見きることができないたくさんの要素がつまった作品である。
ここまで読んでいただき、この作品が気になった方は #サクラヒメ でぜひツイッターを検索してみてほしい。その中毒性に気づくと思う。写真の載ったレポート記事もたくさん掲載されているのでぜひご一読を。そして、この新しく素晴らしい体験をぜひ実際に。上演期間は2/4(火)まで。京都南座。
おススメは1,2,3階すべて1回ずつは見ること。さらに言うと最後に1階をもう一回足すと悔いなく終われるかもしれない。と言いつつ、上手と下手では見れるものも異なるため、2,3階は上手・下手・正面の3パターンが必要になるかも。
沼ですね!!!
(ネタバレには配慮しましたが、不適切な点があれば修正します。ご指摘ください)