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「鬼滅の刃」の重厚さはどこから来るのか

前にセッションという映画を借りて家で観た時,

劇場で観なかったことをとても後悔した.

 

そして今,「鬼滅の刃」という作品に同じ気持ちを抱いている.

物語の重厚さ,キャラクタ造りの巧みさに感動してしまった.

 


今回は全巻一気に読み込んで深く感動した点を,

自分なりに分析しながらまとめていこうと思う.

 

ちなみに物語の展開について触れる部分もあるので,

そういうのやめて!という方は星をつけてから別の記事を読んでいただきたい.

 1.鬼滅の刃とは

時は大正時代.

炭作りを営む小さな家に暮らす少年 竈門炭治郎は,母親と兄弟を人を喰らう”鬼”に襲われ失ってしまう.

唯一息のあった妹 禰豆子を助けるため彼女を連れて山を下るが,

傷口から鬼の血が入ってしまった禰豆子は鬼と化してしまう.

 

妹を人間に戻すため,人を殺す鬼を滅するため,

炭治郎は鬼の大将・鬼舞辻無惨に挑む・・・

 

というのがだいたいのあらすじである.

かっちりとしたあらすじは単行本の人物紹介の所に書いてあるので,

とりあえず買って読んでみてほしい.

 

気がついたら最新刊まで買っているはずである.

 

昨年アニメ化され,新刊が書店から消えてしまうなど

もはや社会現象となっている作品である.

 

2.時代と対立構造のうまさ


まずすごいな,と思ったのは”大正時代”という時代設定である.

 

 

江戸幕府が倒れ,諸外国からの知識・思想が流入し,人々の考え方が変わっていく激動の時代.

 

帯刀も許されない世の中なので,炭治郎たち鬼狩りが所属する組織"鬼殺隊"は,

世間には知られていない存在となっている.

実際,帯刀していることを警察に指摘され逃走するという場面がある.

 

つまり鬼殺隊はあくまで自警団なのである.

 

そこに統治や外部勢力との協力関係などは描写されておらず,またその組織間の軋轢に関しても同様である.

 

そして,その組織は”鬼を滅すること”のみ目的として動く.

階級という差はあれど,上下関係というよりは協力関係が主となる印象を受けた.

 

一方,鬼の側にも鬼舞辻無惨を頂点とした階級支配の構造がある.

こちらはガッチガチの強権支配・恐怖政治のワンマンショーである.

 

これがすごいのである.

 

鬼側の大きな目的があくまで無惨個人のものであるのに対して,鬼狩りの目的が集団として共通である
力の支配であるため怯えながら従う鬼と,悲願達成のため最適な手段をとる鬼殺隊
 人を喰らう鬼の側・人を守り鬼を狩る側について,その考え・組織構造などが全く逆となっている所にものすごく惹かれてしまった.

 

これは絶対王政VS民主主義の構図にも見える.

ちょうど大正時代の日本における社会の動きを反映したような対立構造・・・

これがすごいのである.

 

3.巧みなキャラクター造形


最初にアニメを観てから,大声で弱音を吐きながら鬼と闘う剣士 我妻善逸に

そこはかとない親近感を覚えている.

 

何がいいって使う剣術が居合斬り一本ってのが最高なのである.

心の中の中2がキャッキャするのである.

 

そんな彼が魅力的なので絵に描いてみたのだが,そこで気がついたことがあった.

zenitsu  完


 物語の中心となるのは

・竈門炭治郎
・我妻善逸
・嘴平伊之助
の3人なのだが,一人ずつ外見に大きな違いがある.

 

まず,炭治郎は

髪は赤みがかった黒で,赤い目の色,緑地に黒の市松模様があしらわれた半纏を隊服の上に羽織っている.

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緑と赤は色相環でいう真反対の色(補色)であり,派手ではないがしっかりと印象に残る色使いになっている.

 

反対に,善逸は黄色を基調とした配色となっており,髪・まゆ・羽織は端に向かって

黄色→オレンジのグラデーションのような色使いとなっている.

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伊之助は上裸でイノシシの被り物をしている.これが全てである.

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それぞれのキャラクターの外見を説明するときに,基本的に3つの色を伝えれば

誰かが分かるようになっている.

(炭治郎→緑・黒・赤 善逸→黄色・オレンジ・白 伊之助→裸のやつ)

 

とてもシンプルで印象に残りやすい.

それと対比するように,実力者の集団である”柱”の面々は服装の情報量が多く,

いかにも別格であることをひしひしと感じることができるのだ.

(無個性な霞柱の存在が際立っているのも巧みだなあと感じた.)

 4.鬼狩りの過去,鬼の過去 


 人が変化したものである鬼には,人間だったころの過去がある.

決して倒されるためだけの存在でなく,闇の力を頼るしかなかった背景がある.

 

それは当然鬼狩りの側も同様で,剣士となるまでに悲しい過去を背負った人物が多く描写されている.

 

単行本には鬼となった者の背景や本編には登場していない設定について記述があり,

とても綿密に物語が練られていることが分かる.

 

だからこそ,敵である鬼にも何か寂しいものを感じてしまう.

 

鬼と人間の闘いの結末に,スカッとした気分ではなく悲しく寂しい気持ちになる,

来世での安らかさを祈ってしまうのが,この作品の不思議な所である.

 

闘いが英雄的なものとして描かれていないところに,作者である吾峠先生の思いを感じる.

 

この物語は,熾烈な闘いを描いていながら,その根元には暖かく優しい信念が流れているのである.

 

 5.受け継ぐ覚悟 しがみつく執念


 この作品から感じるのは,2種類の強さである.

 

鬼には,何が何でも”しがみつく”という執念を感じる.

それは強さであったり,時間であったりと様々だが,”自分が得たい,到達したいところへたどり着きたい”という部分で共通している.

 

反対に,鬼狩りには”意志を受け継ぐ”という覚悟を感じる.

自らは後進の糧となり,鬼を滅して人を救うという思いを繋いでいくこと

彼らの行動原理はただその一点のみである.

 

この二つの強さは,確かに人間の中に存在する.

悪いやつ,いいやつという単純な理由ではなく,

2種類の精神の強さがぶつかり合う結果として戦いがある

というところも,この作品の魅力の一つだと思う.

 

この作品では,多くの魅力的なキャラクターたちが命を落とす.

そのせいでtwitterなどが阿鼻叫喚となることもしばしばあった.

 

しかし,それが”思い”が継がれている,自分の行いを無駄にしない仲間がいると確信している鬼殺隊の強さなのだ.

 

 

そして長く生きすぎそれを忘れてしまった鬼は,今際の際に”思い”と向き合う.

 

前の章で鬼に寂しさを感じると述べたが,鬼狩りもまた悲しい業を背負っているのである.

 

6.さいごに


先週末に全巻一気読みしてから熱がおさまらず,勢いのままに文を連ねてしまった.

 

アニメを観たから漫画はまだいいか,なんて思っていた自分がとても恥ずかしく感じた.

 

物語の強さ,緩急の工夫,そして20巻ほどで完結する内容,どれをとっても紛うことなき名作だった.

心の中2も大はしゃぎしている.

 

触れるきっかけがあったことと手を出しやすい条件が揃っていたことはとても幸運だと思う.

 

早く新刊が出ないだろうか,結末はどうなったんだろうかとワクワクしつつも,

もうちょい彼らの世界に触れていたいなと名残惜しく感じながら,

”鬼滅の刃”から受け継いだものを噛み締めている.

 

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